
2025年2月 さぬき旅5
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金比羅山参道から外れた位置にある鞘橋。アーチ型の木製橋、に屋根がついていて、あれ、これ結構自分に刺さる建築だぞ(トップの写真です)。何より誰もいないというのがいい。じっくりと見学ができます。弥次喜多の旅した江戸時代でも、珍しい橋だったようで。本来は金比羅山、正面の参道に位置していた橋なので、多くの旅人が通っていたようで。ただ度々洪水によって流されていて、少し外れたこの場所に移築されたのだとか。なお現在は神事に際して使われるのみで、立ち入りはできなくなっているのだけれど、古い時代にはるばる遠くから徒歩で旅してきて、参道に架かるこの鞘橋を渡ったのなら、きっと鳥居を潜るときよりも「ようやく金比羅山に」という実感があったんじゃないかなぁ、と思う。橋の建築だけでなく、周囲に巡らされた石欄干も興味深く、おそらく寄進者の名がその表面に彫られていて、「江戸 品川 新宿」と読めるものもあり(多分、そこから集団参拝に来たんだろうね)、都民としては親近感を憶える。さて、鞘橋をあとにして川をたどっていけば、昨日も触れた駐車場の強引な客引き。というか傘差すほどじゃないけれど、ぽつぽつ雨が降っております。そうして昨日も歩いた参道へ。目的は酒蔵『金陵』の見学であります。ここには昔ながらの製法を学べる『金陵の郷』という無料の施設があるので、とりあえず歩いて見て回る。関東では「杉玉(すぎだま)」と呼ばれる、酒蔵や居酒屋の軒先に吊されてるマリモみたいなアレが、地域によって名称が異なることを初めて知る(香川では「酒林(さかばやし)」)。そんでもって売店へ。有料の試飲もできるようだったけれど、元より買おうと思っていたので300ml瓶の……純米吟醸でいいかと思ったけれど、大衆的なバージョンの味も知りたいので特別純米を買い求める(帰ってきてから飲んだけれど、少し好みとは違ったかなぁ)。そうしてお昼時なので、参道の店で讃岐名物だという骨付き鳥の定食をいただく。鶏のもも肉がまるっと一本、銀皿にハサミと一緒に供される。味はスパイシーで肉も軟らかくて結構美味しかったんだけれど、ハサミの色や形が日常で使うものと同様なので、ちょっと工具で食べている感じがして残念かなぁ、と。ともあれ、ごちそうさまでした。そういえば今いる琴平町。金比羅山。旅する前から気になっていたことがあった。「ことひら」と「こんぴら」、響きが似ているけれど関係あるのだろうか。というわけで、そういう質問をするのにうってつけの観光案内所へ。そしたら人はいないけれど撤収中といった様相で、パンフレットだけが置いてある。併設されていた店舗に「なくなっちゃうんですか?」と聞けば、「そうなんです」とのことで。こんなに観光客の行き交うエリアで観光案内所が閉業するだなんて、個人的には結構ショッキングな出来事だけれど、まぁ昨今はネットで調べる人がほとんどだろうから、これも時代の移り変わりなんだろうか。気を取り直して、併設店舗の店員さんに「ことひらこんぴら」の謎について聞いてみる。すると、「金比羅は確か仏教用語のクンピーラ?から来ているようで……琴平町とは関係ないんじゃないですかね」とのこと。ここまで似ているのに無関係なのは少し腑に落ちない感じがしたけれど、その場ではどうもありがとうございましたと礼を述べてあとにします。こういうのAIに聞けば、即座に答えてくれるかもだけれど、それだとちょっと情緒がねぇなぁ……。というか、次の移動まで少し間があるな。金比羅山の麓には、古くからの歌舞伎座もあるので、ちょっと覗いてみようかと、参道を途中で左に折れ曲がり、少しばかり坂道を上っていくと、小雨の中どでかい木造建築がどどーんと構えている。実はこの威容を目にするまでは、入館料かかるし、どうしようかなと迷っていたのだけれど、あぁこれなら見応えが充分にありそうだということで、手前の受付で500円を払う。そうすると受付の裏側から歌舞伎座へと向かっていく法被姿の年配男性。ガイドの方っぽい。ということは今の時間は自分で案内を独占できる。と、ややテンションが上がる。
さて、いざ日本最古の芝居小屋──旧金比羅大芝居へ。まずは入口。先ほどのガイドの方が待たれていて、こちらをお潜りくださいと中へ入っていく。利休の茶席みたいに、頭を屈めて入る随分と背の低い戸。むろん自分も続く。靴を脱いで、スリッパに履き替える。やはり案内を初めてくださいました。いよっ、待ってました。で、早速この低い入口について質問。利休の茶席のように誰もが頭を下げて、平等に歌舞伎を楽しむという感じだろうかと思ったが、入口で一人一人から入場料を徴収することが目的だったようで。頭を低くして入るため自然とゆっくりとした入場になる。となると混乱に乗じて料金を払わない不届き者がいなくなるという寸法で。なぁるほど。次に、気になっていた「金毘羅」と「琴平」の関係についてもご質問。そもそも昨日自分も参拝したが、正式名称は金刀比羅宮(ことひらぐう)とのことで、発音も同じなので琴平町とは大いに関係があると。仏教のクンピーラという神様がいて、それで金比羅になったというお話(少し調べたけれど、大昔は琴平神社だったけれど神仏習合で金毘羅(こんぴら)大権現となり、明治の神仏分離で金刀比羅宮と改めたみたい)。なるほど、ネーミングの変遷、面白い話だ。さて、話を戻して続いては下足番の紹介。観客から下駄や雪駄を受け取った係が、後ろの番号の振られている鉤に客の履き物を引っかけて、元々そこに掛かっていた番号札を渡すという感じで。居酒屋の番号札で靴を預かるシステムの元はこれなんだと思うと面白い。そうして靴を預け、まずは花道へと足を向ける。歌舞伎の花道。カーテンのような幕が引かれ、その向こうには広い空間と、そこを照らす灯りが垣間見える。千両役者がここから歩いて登場、というわけだ。ガイドさんが「今からさっと幕を引きますから、大物役者になったつもりで花道を歩いてみてください」と若干無茶振りをされて、「えぇっ?」と戸惑ったが、さっと眼前に花道、大舞台、観客席が広がり、自然と口に上ったのは「絶景がな、絶景がな!」という歌舞伎っぽい台詞。だけれど、ガイドさんの多分用意されていただろう声援「いよっ、中村屋!」と被って、よく分からん状態に。あぁ楽しい。で、花道。壮観である。これは演技をする側も、いとテンション上がりけりだったことだろう。というか、桟敷席というのが面白い。花道の右手、大体正四角形に区切られた枡目の畳席。客席後方から舞台へと向かうタテ線は、本当に仕切るためだけだろう細い木の棒なんだけれど、左右に張られたヨコの棒は太く表面が平らになっていて、観客たちは予約した席に向かうとき、「えーと、いろはに……『ほ、の、伍』か。あぁ、あの真ん中あたりか」という感じで、この棒の上を歩いて行ったとか。つまり観客席には今でいう通路がなく、脇の通路から席の真ん中まで木材の上をバランスをとって歩いて行く、という感じだったようで(たまには他の観客の上に落ちるなんていうちょっとした事故も起きただろうなぁ)。というか、花道と観客席の距離がかなり近いね。花道脇の席だったら身を乗り出して手を伸ばせば、役者の足を容易につかめそう。観客にとっても、役者にとっても凄まじい臨場感だっただろうなぁ、と。花道の途中に、舞台の下──いわゆる奈落から迫り上がる装置があって、上から見るとただの床の木枠。奈落でスタンバイして、無論機械化なんてされてないから、人力で舞台へと押し上げるわけだ。その逆に、穴の空いた箇所もあって(見学中は塞がれてる)、ここは心中物なんかで井戸に見立てたりして身投げするシーンに使われるなんていう話も。いやはや、観客を驚かせ楽しませるための仕掛けや工夫が随所に見られて、観客席の歓声や表情が耳に目に浮かぶようで。さて、いよいよ有名な廻り舞台のご案内。舞台の上の巨大ターンテーブル、と表現したら伝わるだろうか。これは奈落で四人が人力で回転させる仕掛けなのだとか。現在俳優としても有名な歌舞伎役者もこの金比羅の歌舞伎座では演技を披露しているということを伺ったけれど、いかに名を馳せた役者だろうが、こういった時代がかった舞台で歌舞伎を演ずるのは、大層光栄なことなんじゃないかなぁと。事実、天皇家も二階席よりご高覧されたとのことで。ただ実際に公演で使われるのは4月のみのようで、というのも古い舞台なので空調がありません。実際に見学しているときもひんやりしておりました。その後は自由見学となり、楽屋やら(流石に控え室はエアコンがあった)奈落の底を見学する。人力で動かすための仕掛けも見て回りました。今でいうワイヤーアクションの走りみたいな器具もあった。そうしてガイドさんの控える入口へと戻ってくる。「縁の下の力持ち」や「差し金」といった歌舞伎由来の日本語を教えていただく。ではでは自分も、最初の花道直前の小部屋に『鳥屋(とや)』と案内板が出ていたので(歌舞伎用語としての鳥屋の由来は調べても確定的なものは出てこないね)、「遊郭でもこの名称は、ちょっと歌舞伎界の使われ方とは逆の方向であって、性病、つまり梅毒で病に伏せっていた遊女を寝かせておく部屋のことを鳥屋(とや)と呼んでいたとのことなんです。どうにも梅毒で全身の毛が抜け落ちる様子が、鳥の毛が抜け落ちるのと似ていたとかで」と知識を披露しておく。ガイドさんも感嘆して下さる。歌舞伎と遊郭。対照的な言葉の使われ方が、その場所の性格を表わしているようで、何とも。その後も、天皇家が座された席から全体を眺めたりして(皇室の方々も入口で頭を屈められたのだろうか)、いいお時間になってきたので、お礼を伝えて金毘羅大芝居をあとにする。どうもありがとうございました。見応えのある建築だったのと同時に、随所に凝らされた手作り感のある工夫を知り、往時の空気感に触れた心地がしました。
さて、あとは帰るばかりである。JRの琴平駅前からのバスに乗り、一路空港まで。途中、レオマワールドという巨大なテーマパークを通過したが、駐車場ががらがらだったのは、平日だからだろうか。ホテル前で家族連れの子供がバスに手を降っていたので振り返す。そうして初日に歩いて出た高松空港へ。出汁の蛇口は本日分はもう終わったようで。というか荷物検査が混雑してるわ、アナウンスは急かしてくるわで、ゆっくりお土産も見れずに搭乗口へ。飛行機までの通路、上を見やれば津田でやたらと目にした瀬戸内国際芸術祭のポスター。奇しくも同じ時期の作品展示。とはいえ、今回の旅が──とりわけ津田で過ごした時間が、作品に現われたらいいなと思う。次、香川に来るのは搬入のとき。そのときにまた会いましょう。それでは。


