短編小説『タマ、まさかの大気圏突破!』(前編)
目が覚めたら、地球を出ていた。
これほど理不尽な目覚めがあるなんて、私はそれまで知らなかった。
私の名前はタマと云う。
額から鼻梁にかけて白と黒が潔く分かれた、いわゆるハチワレの雄猫であり、少なくともその朝までは、宇宙開発という人類の壮大な野心とは一切の縁を持たずに生きていた。
念のため言っておくが、私は宇宙飛行士ではない。
そもそもの発端は、いつもの散歩だった。
ある日の午後、私は自らの縄張りに異変がないかを確かめるという、猫にとっては国境警備にも等しい巡回の途中で、近所の町工場の前に停まっている一台のトラックを見つけたのだ。
荷台には段ボール箱が幾重にも積まれ、その隅に、まるで私という存在を予め寸法に入れて積載されたかのような隙間が空いていた。
入れる場所は入って良い場所である。
少なくとも猫の法体系に於いては、そう定められている。
私は荷台へ飛び乗り、段ボール箱の狭間へ身体を滑り込ませた。
薄闇にはエンジンの余熱が微かに滞留し、外界の喧噪も角を削がれて届いてくる。
散歩によって適度な疲労を覚えていた私にとって、そこは偶然見つけた寝床というより、世界が私の為に用意してくれた安息所のように思えたのである。
私は身体を丸め、そのまま眠り込んでしまった。
次に目を覚ますと、見知らぬ巨大な建物の中に居た。
高い天井の下では、大勢の人間が慌ただしく行き交い、金属のぶつかる音や機械の唸りが絶え間なく反響していた。
トラックから降りて辺りを歩いてみると、その空間の中央に、乗り物と呼ぶにはあまりに巨大で、建築物と呼ぶにはあまりに不穏な物体が鎮座していた。
後で知ったが、それは宇宙船というものだった。
もちろん、その時の私にとってそんなことは無関係だった。
だが、その扉が開いていたという一点が、それを無関係ではないものにしたのであった。
私は入らずにはいられなかった。
猫には「関係者以外立入禁止」という概念がない。
人間がどれほど厳重な規則を制定しようとも、扉を開けておいた時点で、猫サイドからすれば招待状を掲げたも同然なのである。
船内には複雑な機械や座席、無数の配線が並び、人類の叡智と執念が凝縮されているらしかったが、私にとってそんなものはどうでもよかった。
奥へ進むと、身体がちょうど収まる暗い隙間を見つけた。
今日はよく歩いた上に、トラックにも乗った。
私は慣れない環境に紛れ込んでしまった疲れもあり、その隙間へ身体を沈め、再び眠りに就いたのである。
そして次に目を覚ました時、世界が爆発していた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!
「ニャアアアアアアアアアッ!」
私の生涯に於いて、これほど切迫した「ニャア」を叫んだことは無かった。
床が震え、壁が震え、空気そのものが巨大な獣の咆哮のように震え、内臓は身体の中で所在を失い、尻尾の先まで恐怖が電流のように駆け抜ける。
巨大な掃除機を百台ほど同時に起動し、その吸入口を全て私の耳元へ突きつけたとしても、おそらくここまでの惨事にはならないだろう。
逃げようにも逃げ場がない。
そこで私は、一つの恐るべき結論へ到達した。
これは罠である。人間はついに猫一匹を捕獲する為、国家予算を費やして途方もない装置を完成させたのである。
やがて、永遠にも思えた爆音と振動が鎮まった。
私は慎重に隙間から這い出した。
すると、変な衣装を着た人間が三人居た。
「ん?…猫?」と、一人が言った。
「えっ! 猫だよ!」と、もう一人が言った。
さらに、「なんでこんなところに!?」と、三人目が言った。
それは、私の方が聞きたいと思った。
しかも、何かがおかしい。
一歩踏み出した瞬間、私の身体は床からふわりと離れた。
見慣れた世界を支配していたはずの上下という秩序が、誰に断ることもなく廃止されている。
「ニャ?」
床が遠ざかっていく。
「ニャニャ?」
代わりに天井が近づいてくる。
「ニャアアアッ!」
私は四本の脚を猛烈に動かした。
生まれてから身に着けてきた歩行、疾走、跳躍という技術を総動員したにも拘わらず、空中ではその全てが無意味であり、私がいくら懸命に走れども、前方への推進力が生まれることはなかった。
人間たちは笑っていた。
笑うな。こっちは床を失っている。
私はどうにか壁へ脚をつけ、反射的に蹴ると、身体が飛んだ。
もう一度、別の壁を蹴ると、また飛んだ。
なるほど。これは面白い。
「おお、この猫、もう慣れてきたぞ!」
人間たちは感心している。
私は調子に乗り、壁から天井へ、天井から座席へと身体を飛ばした。
重力という地上の専制から解放された肉体は、思いのほか自在であり、私はほどなくして宇宙という無辺の領域における新たな移動方法を会得した。
そして次の瞬間、船長の顔面へ激突した。
「ぐあっ!」
船長を撃墜した。
それは、猫類初の戦果だと思う。
その後、クルーの一人が私の首輪に気づいた。
「名前が書いてあるぞ。タマだって。」
そうだ。
「タマタマがぶらさがっているから雄だな。」
そうだ。
「飼い主の連絡先もある。」
首輪に記されていた連絡先から地球へ照会が行われ、飼い主はほどなく特定された。
どうやら私が姿を消してから、かなり必死に捜していたらしい。
「飼い主さん、泣いて喜んでいるってさ。」
そうか。それについては申し訳ないと思う。
しかし冷静に考えれば、散歩中だった私がトラックで運ばれ、宇宙船に閉じ込められ、最終的に大気圏外に来てしまったのは、ほぼ人間のせいだ。
責任の割合については、帰還後に改めて協議したいところだ。
ー後編へつづくー
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