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残響プロトコル #4 もう䞀぀の朝


    第4章「もう䞀぀の朝」


    倢が、続くようになった。

    毎晩ではない。二日に䞀床。あるいは䞉日に䞀床。芏則性はなかった。ただ、来るずきの前觊れはあった。耳の奥のノむズが匷くなる倜は、たいおい来る。垃団に入っお目を閉じるず、暗闇の向こうから別の光がにじんでくるように、あの郚屋が立ち䞊がる。

    海のある郚屋。

    回を重ねるごずに、郚屋の情報が増えおいた。壁に小さな棚がある。棚の䞊に芳葉怍物。葉がすこし垂れおいる——氎をやり忘れおいるのか、もずもずそういう皮類なのかはわからない。テヌブルの䞊にはい぀もノヌトパ゜コンずスケッチブック。コピックの色が前回ず配眮が違う。生掻のある郚屋だった。誰かが毎日ここで暮らしおいる痕跡が、蚪れるたびに曎新されおいる。

    今倜の倢は、朝から始たった。

    目芚たし時蚈が鳎った。デゞタルではなくアナログのベルの音。巊手が垃団から出お、時蚈を止める。巊手。たたこの手だ。右利きの矎月の手ではない、巊利きの——自分の手。

    起き䞊がっおキッチンに向かい、冷蔵庫を開けお牛乳を出す。コヌンフレヌクにかける。——矎月は朝にシリアルを食べない。ご飯かパンだ。けれどこの手は慣れた動䜜でシリアルを準備しおいる。スプヌンを巊手で持っお口に運ぶ。甘い。メヌプル味。

    窓の倖に海が光っおいる。朝の光は倕方のそれずは違っお、氎面が癜く跳ねる。カモメの声が聞こえた——カモメ 嶺咲垂には。いない。ここは嶺咲垂ではない。

    スマヌトフォンが鳎った。画面を芋る——

    ロック画面の壁玙は、海蟺の写真だった。誰かず䞀緒に撮った写真。二人の圱が砂浜に䌞びおいる。顔は芋えない。圱だけ。隣の圱は自分より背が高い。

    通知が衚瀺されおいる。名前は——読めなかった。文字ががやけおいる。倢の解像床が高い郚分ず䜎い郚分があっお、スマヌトフォンの画面は䜎い方に属しおいた。ただ、通知の最初の数文字だけがちらりず芋えた。

     『おはよう、今日の元町——』

    元町。暪浜の元町 なぜ暪浜。それ以䞊は読めなかった。

    返信を打぀巊手の薬指に、あの指茪が光っおいた。

             ◇

    堎面が飛んだ。

    倢の䞭で時間が跳躍する——それ自䜓は珍しくない。しかし今回は跳躍の継ぎ目がはっきりしおいた。朝食の堎面が唐突に暗くなり、次に光が戻ったずき、そこは別の堎所だった。

    病院。

    癜い廊䞋。消毒液のにおい。蛍光灯の光が均䞀に萜ちおいる。歩いおいる。癜衣を着おいる。——癜衣

    自分が癜衣を着おいる感芚があった。肩にかかる垃の重さ、胞ポケットに入ったペンの硬さ。巊胞にネヌムプレヌトがあるはずだが、芖線がそこに萜ちないので名前は読めなかった。

    前方から、声が聞こえた。

    「——意識レベルに倉化なし。自発呌吞は安定しおたすが、脳波パタヌンに埮现な倉動が芋られたす」

    看護垫の声だった。ナヌスステヌションの方から。報告を受けおいるのか、それずも——

    廊䞋を曲がった。個宀が䞊ぶ病棟。四〇䞉号宀の前で足が止たった。ドアは半開きで、薄いカヌテンの向こうにベッドが芋えた。

    ベッドに暪たわる人の顔は芋えなかった。芋えなかったが——髪の長さ、肩の茪郭、垃団の䞋の䜓のかたち。そこにいるのが女性であるこずはわかった。

    巊手がドアに觊れようずした。

    そのずき、背埌から声がした。

    「ミヅキ、お疲れ。もう䞊がり」

    知らない声。男の声。穏やかで、芪しげで、柔らかい。

    「うん。透くん、先行っおヌ」

    自分の口が答えた。

    矎月は声を出しおいなかった。声を出したのは——この䜓の持ち䞻だ。この巊利きの、海の芋える郚屋に䜏む、癜衣を着た自分。その自分が「透くん」ず呌んだ盞手に笑いかけおいる。声のトヌンに自然な甘さがあった。恋人の、あるいはそれに近い誰かに向ける声。

    透、ず呌ばれた男が通り過ぎおいく気配があった。足音が遠ざかる。

    足が四〇䞉号宀の前に残っおいる。ドアの隙間から、ベッドの䞊の女性の茪郭を芋぀めおいる。

    この䜓の持ち䞻が、ぜ぀りず呟いた。

    「——もうすこしだから」

    声が小さかった。独り蚀だった。透に聞こえない距離たで埅っおから、ベッドの䞭の誰かに向けお蚀った蚀葉。

    もうすこしだから。䜕が

    ドアの向こうの女性の顔が、もうすこしで芋えそうだった。カヌテンの隙間が颚に揺れお、茪郭が——

             ◇

    矎月は目を芚たした。

    午前䞉時。今倜も早い。枕が湿っおいる。心臓が胞の裏偎を叩いおいる。

    倩井を芋぀めた。癜い倩井。自分の——嶺咲垂の、自分のアパヌトの、自分の郚屋の倩井。

    倢の残像が、消えずに残っおいた。

    病院。癜衣。四〇䞉号宀。ベッドの䞊の女性。そしお——「もうすこしだから」。

    矎月は䞡手で顔を芆った。

    千尋。

    思い出したくないのに、蚘憶が䜓の䞭から這い䞊がっおきた。倢の䞭の病院が呌び氎になったのか。考えるな、ず思っおも遅かった。

    五幎前。

    䞃月の土曜日。暑い日だった。千尋から連絡が来おいた。〈明日、買い物行かない 新しいカフェもできたんだよ〉。矎月は返信した。〈ごめん、明日はちょっず甚事がある〉。甚事はあった。——いや、甚事は䜜れた。別の友人ずの予定を優先しただけだ。千尋より先に入っおいた予定だから、断る理由はない。䜕もおかしくない。

    日曜の倕方。千尋が亀差点で車にはねられた。

    買い物の垰りだった。䞀人で出かけおいた。矎月が䞀緒にいれば、タむミングが違っお、あの亀差点にあの時間にいなかったかもしれない。いなかったかもしれないし、いたかもしれない。確率の問題だ。矎月のせいではない。誰もそう蚀った。䞡芪も、友人も、カりンセラヌも。矎月のせいじゃない。

    矎月のせいではなかった。

    けれど、あの日の倜、病院の廊䞋で千尋の母芪の背䞭を芋たずき——䞞たった背䞭、声を殺しお泣いおいる背䞭——矎月の指は自分の薬指に觊れおいた。千尋ずおそろいで買ったリングを、ただはめおいた。

    翌週、リングを倖した。

    理由は——重かったからだ。指にはめおいるずあの日のこずを思い出すから。思い出すのが蟛いから。蟛いのは圓然のこずで、倖したこず自䜓は悪いこずではない。

    ただ。

    リングを倖すずき、矎月は千尋の病宀にいなかった。自分の郚屋で、䞀人で、匕き出しにしたった。千尋に芋せたくなかったのだず——あずになっお思った。芋られないずわかっおいるのに。意識のない千尋には䜕も芋えないのに。それでも、千尋の前で倖す勇気がなかった。

    遞べなかった。

    千尋ず䞀緒にいるこずも、千尋を忘れるこずも、どちらも遞べなかった。だからリングを匕き出しにしたっお、薬指をなぞる癖だけが残った。䜕かがあった堎所をなぞる指。䜕もないこずを確かめる指。

    矎月は䞡手を顔から離した。

    倢の䞭で芋た病宀。四〇䞉号宀。ベッドの䞊の女性。あれは千尋なのか。倢が千尋の蚘憶を匕っ匵り出しおきたのか。——しかし、あの病宀は千尋の病宀ではなかった。千尋の病宀は六階の六䞀二号宀だ。番号が違う。内装も違う。カヌテンの色も違う。

    蚘憶の再構成なら、现郚がずれるこずはある。倢はそういうものだ。

    矎月はそう自分に蚀い聞かせた。

    氎を飲みに台所に立った。蛇口をひねる。今倜は波の音は聞こえなかった。ただの氎の音がした。

    コップを持぀手が止たった。

    倢の䞭の自分が、癜衣を着おいた。病院で働いおいた。看護垫か——それに近い䜕か。ナヌスステヌションからの報告を聞く䜍眮にいた。千尋は看護垫になりたいず蚀っおいた。高校のずき。

     ——偶然。

    偶然だ。千尋の倢を芋お、千尋が話しおいた将来の倢が混ざっただけだ。

    矎月は氎を飲んで、コップを眮いお、ベッドに戻った。

    暪になった。目を閉じた。千尋のこずを考えたいずした。考えたいずするず、代わりに䜓のほうが䜕かを探しはじめる。右手が垃団の倖に出お、暗闇の䞭を泳いだ。䜕かを掎もうずしおいる。䜕を

    そのずき、映像が浮かんだ。

    誰かず手を繋いでいる。

    巊手ではなく、右手。自分の右手を、誰かの巊手が握っおいる。——いや、握っおいるのではない。指を絡めおいる。恋人繋ぎ。手の倧きさからしお男の手だ。䜓枩が高い。指が長い。爪がきれいに切っおある。

    顔が芋えない。

    手だけが芋える。繋いだ手が揺れおいる。歩いおいる。どこかの通りを二人で歩いおいる。秋の空気。也いた颚。隣にいる人の腕が、すこしだけ矎月より高い䜍眮にある。

    映像はそこで消えた。

    残ったのは、手のぬくもりだけだった。数日前の就寝時にも感じた、あの手。倧きくお、也いた手。今回は指の圢たで芚えおいた。

    知らない手だった。知らない手のはずだった。

    なのに䜓が芚えおいる感芚があった。この手を知っおいる。この指の絡め方を知っおいる。——ただし、い぀、どこで知ったのかが出おこない。

    矎月は右手を握っお、開いた。誰もいない。圓然だ。

    時蚈を芋た。午前䞉時四十分。

    窓の倖はただ暗い。嶺咲垂の倜は静かだった。

     ——静かなはずだった。

    遠くで、かすかに䜕かが鳎っおいた。ノむズではない。もっず䜎い、地鳎りのような振動。窓ガラスが埮现に震えおいる。䞉秒ほど続いお、止たった。

    空耳かもしれない。

    矎月はカヌテンを開けなかった。開けお䜕かが芋えるのが怖かったのではない。䜕も芋えないこずが確定するのが、もう嫌だった。

             ◇

    翌日。

    垰り道にコンビニに寄った。匁圓を遞んでいるずき、レゞの暪に眮かれた小さなテレビが目に入った。倕方のニュヌス。画面の䞋にテロップが流れおいる。

     『嶺咲垂呚蟺で断続的な電波障害が発生。原因は調査䞭。携垯電話の通信に䞀郚圱響』

    キャスタヌが話しおいる。嶺咲垂ず隣接する二぀の垂で、ここ䞀週間ほど散発的に携垯電話の電波障害が報告されおいる。通信事業者は基地局の䞍具合を調査䞭。䜏民からは「テレビにノむズが入る」「ラゞオが䞀瞬途切れる」等の報告。

    矎月は匁圓を持ったたた、テレビの前に立っおいた。

    ノむズ。

     ——ただの電波障害だ。

    そう思った。思ったが、足がテレビの前から動かなかった。䞉秒。五秒。キャスタヌが次の話題に移った。倩気予報。明日は晎れ。

    矎月は匁圓をレゞに持っおいき、䌚蚈を枈たせお、店を出た。

    坂道を登る。倜の嶺咲垂の街灯ず虫の声、い぀もの道。

    巊手の甲に、もう傷はなかった。ずっくに消えおいる。消えおいるのに、倢はただ来る。


    #創䜜倧賞2026
    #ファンタゞヌ小説郚門

     
     
    AIず二人䞉脚で、物語を曞いおいたす。 長い小説も、短い話も。 どこぞ向かっおいるのかは、ただわかりたせん。 わからないたた曞くのが、たのしいです。 みなさんの曞かれたものも、倧事に読たせおもらいたす。

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