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戦争や失敗を繰り返そうとする世の中だから災禍を”語る”大切さを考える|瀬尾夏美「声の地層 災禍と痛みを語ること」読書感想

    つい忘れそうになるけれど、人は突然いなくなる、それは揺るがない現実だ。人が居なくなる理由は、引っ越しなどの別れによるものかもしれないし、関係性の変化による別れかもしれないし、病気や事故、天災による死別かもしれない。

    だから目の前に居る人々、目の前には居ないけれど交流しておきたい人々とは、話せるときに話した方が好いし、話を聴いた方が好い。繰り返しになるけれど、人は突然居なくなるのだから。永遠に会話を交わせなくなる瞬間は、思いのほか急に訪れる。

    そして、その別れによって永遠に失われる話は、我々が想っている以上に膨大な量に上る。何せ人間とは情報の塊である。一人の人間が生きて触れてきた事象、記憶に残された出来事は、生きた時間が長ければ長いほどに膨大な量になる。

    そうして積み重ねられた情報の地層は、掘っても掘ってもキリがないほどに深く重厚な一方で、死によっていともたやすく崩れ去る。これまでどれだけの希少な情報が、貴重な記録が失われ続けてきたのだろうか。それは想像を絶するほどの量に違いない。

    世の中の大事な情報は、必ず何らかの形で資料や文献に記録され、遺され、後世に受け継がれていくと思われがちだけれど、記録されて遺される情報など微々たるものだ。たとえば戦争。たとえば東日本大震災。たとえば新型コロナウイルスによるパンデミック。

    それらについて、漠然とした情報はたやすく手に入るけれど、一人一人の人間が暮らしていた地域という世界において、そのとき一体何が起こっていたかなんて、資料や文献には事細かに遺されていない。それこそ戦争にいたっては、国の隠ぺい工作のために焼却・廃棄された資料も多い。

    瀬尾夏美 氏による「声の地層 災禍と痛みを語ること」は、一人一人の話を聴いて、残された記録に触れられる一冊だ。資料や文献に遺された情報だけでは知られない、記憶という生々しい記録によって綴られる災禍の情報が記されている。

    記録の中には、喜びもあれば哀しみもある。後悔や失意、痛みがあれば、希望めいた祈りもある。そのどれもが、我々一人一人が触れて、知っておく必要のある情報であり、想いに違いない。


    ※広告です。興味が湧いたらぜひ手に取って読んでみましょう!
    ※岩手県陸前高田市の泊まれる古本屋山猫堂でも販売されています


    語ることで災禍に向き合い過ちを繰り返さずに済むのではないか? そんな希望を知る|瀬尾夏美「声の地層 災禍と痛みを語ること」読書感想

    先日、岩手県陸前高田市の泊まれる古本屋山猫堂で開催されたトークイベント「あたりまえの反戦」を聴いて、瀬尾夏美 氏による「声の地層 災禍と痛みを語ること」を手に取った。読んでおかなければならない。そう想ったためだ。

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    瀬尾夏美「声の地層 災禍と痛みを語ること」in 泊まれる古本屋山猫堂
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    瀬尾夏美「声の地層 災禍と痛みを語ること」は、泊まれる古本屋山猫堂で販売されている

    祖父は何を抱えながら戦後を生きたのでしょう。わたしはいま、日々戦地から送られてくる映像を見ながら、祖父が見たかもしれないもの、されたこと、してしまったかもしれないことの細部をあれこれ想像してしまいます。

    わたしたちが日常のちょっとした重苦しさなんか避けていないで、せめて祖父の話をよく聞いていれば。聞こうとしていれば。ちょっと大げさかもしれないけど、すこしは違う未来があり得たんじゃないかって思うんです。

    だからわたしは、祖父が目尻に溜めていた涙と、あの薄っぺらなマリア様を探さなきゃなりません。

    瀬尾夏美「声の地層 災禍と痛みを語ること」

    瀬尾夏美 氏による「声の地層 災禍と痛みを語ること」の中で、最も胸を打たれたのは上記の文章である。胸を打たれ過ぎて、山猫堂で一人涙を浮かべながら読んでいた。店内で突然涙ぐむちょっとおかしなおっさんが出現する形となり、心底申し訳なかった。

    人生において、あの時(頃)ちゃんと話を聴いておけば良かったと思う瞬間は年を重ねれば重ねるほどに何度となく訪れる。本書で描かれているのは、祖父本人に紐づく話であろうけれど、戦争というお題目を掲げると高齢者全般に対して話を聴いておけば良かったとなろう。

    若干ながら話が逸れるけれども、昨今の世界情勢や日本国内における首相の暴走めいた言動を見るにつけて、我々は戦前・戦時中・戦後と呼ばれる時代のおよそ70年~80年程度の間について、改めて知る必要性に迫られていると感じる。

    一方で、とりわけ戦時中に関しては、前述した「プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争」で書かれている通り、政府の隠ぺい工作に起因した文書の焼却・廃棄によって失われた情報があまりにも多く、当時の情報を知られる資料が少ない。

    日本は戦争を総括できていないと言われるけれども、そもそも総括できるほどに情報が残っていないという論点がある。だから、当時を知る人々から話を聴いて知る必要性が高い。もっとも存命の人々となると、当時子どもだったという層が主であり、得られる情報に限界がある。

    しかしながら、あと数年でそうした情報さえ手に入らなくなる可能性があり、ある種それを以って当時の日本政府の隠ぺい工作が完成すると言えるかもしれない。我々が戦時中を知るために残された時間は少ない。それが現在地だ。

    悲劇が悲劇として完成され、また繰り返される可能性が生じる。そんなことを想えばこそ、祖父の話を聴いておけば良かったという後悔の念は胸を打つ。また、人々が後世を生きる我々が幸せな時代を生きられるようにと繋いでいった想いが届かずに途切れる。

    その可能性を想像すると、胸が苦しくなる。我々は一体今まで何をしてきたのだろうか。そんな想いに駆られるとともに、だからこそ政府さえもが昔の悲劇を繰り返すような道を進もうとしてしまうのだろうかと考えてしまう。人間は学習しない生き物だ。

    わたしたちはきっと、教訓を語り継ぐためだけに災禍を語るのではない。同時代を生きる者同士が語らうことで、互いの存在を理解するための解像度を上げ、この人を信頼したい、信頼できるという感覚を獲得しながら、ともに生きる友人になっていく。

    瀬尾夏美「声の地層 災禍と痛みを語ること」

    だからこそ、我々一人一人が”語る”ということを大切にする必要があるのかもしれない。話を訊かせて欲しいというのは中々難しいものだ。誰もができることではない。しかし、何かのきっかけに話すならば、恐らくそれほど難しくない。

    昨今は誰もが”語る”行為をSNSで済ませがちで、自分の口で、声で、話すのをサボりがちである。しかしSNSだと自分の思いがアルゴリズムや個々の解釈によって歪められてしまう。どうしたところで、自分の声で想いを伝える以上に、相手に歪みなく伝える方法はない。

    そう考えると、2026年3月に行われた山猫堂3周年記念イベントで語られた、話す行為の大切さは、まさに今のご時世だからこそその大切さが際立っているように思う。話し合える相手、聴き合える相手の存在は、”語る”行為にとって必要な存在だ。

    そうして誰もが”語る”のを容易にできるようになれば、想いを繋いでいけるし、何かの拍子に居なくなったとしても、言葉を継いでいける。その先に、過ちを繰り返さずに済む世界があるはずだ。

    瀬尾夏美 氏による「声の地層 災禍と痛みを語ること」は、語ること、聴くことの大切さ、それがどれだけの人々を救うのかを感じられる稀有な一冊である。とりわけ幾度も災禍に見舞われる昨今において、そうした災禍と向き合うためにも読んでおいた方が好い一冊だ。

    この機会にぜひ手に取って読んで欲しい。山猫堂に行ける人ならば、山猫堂で購入できる。そのとき、併せて戦争や東日本大震災などについて”語る”のも良いかもしれない。その声は、きっと何かに繋がっていくだろう。


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