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子どもに向き合うのをやめた瞬間、仕事運が尽きた話

    皆なにしてもクレームが来て、先生方疲れちゃったんだと思います。特に、あの件があってから、巻き込まれたくないんでしょうね。先生。

    前回までの内容

     ここにまとめたので、時間のあるときに読んでもらえると幸いです。

    ・登場人物の整理
    A…自分のクラスの学級委員
    B…研修担当の教員
    C…学年主任
    D…支援員の先生

    学年運営に潰された末路

     某市の伝統行事を終えて、学年の子どもと職員は謎の一体感を得て3日目を迎えました。この日は帰りの道すがら、川魚の水族館を立ち寄り、そのまま高速道路でまっすぐ帰るという、集団行動的要素がない日となりました。とはいえ、川魚を見てはしゃいでいる子どもを見て、やっぱり都会っ子なんだな~と感じました。
     無事に帰って来た夜、学年の飲み会に誘われて行くことになりました。

    飲みニケーションという精神耐久戦

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     前提として、私はお酒は好きですし、飲み会も喜んで行くタイプでした。しかし、この日の出来事を境に、学年の飲み会も学期末の納会も欠席するようになりました。
     行事後の飲み会で行われたことは、副担任の先輩による私への説教。というより、私の指導や仕事に対する全否定でした。

    立崎のやり方は全然だめ。悪いけどお前が一番最悪。しかも子どもへ思い届いていないしね。なにがそんなに自信があるのか知らないけど、学年で浮いてる。そんなに、文句あるなら今までやってきたことをそのままやればいいじゃないか

     といったことを2時間近く話をされたました。私の所属していた学年では、今までの学校で教わってきたことと180度異なる指導を行っていました。担任裁量が大きく、揃えない指導。日課表も無視することも多々あり。それでうまくいくなら、文句はないのです。現状はうまくいかず、生徒指導も多いからこそ、私は今まで教わってきた指導方法を大切にしてきました。とはいえ組織なので、学年の方針も従わないといけません。だからこそ、今までの指導方法との間で、板挟み状態で指導してきました。そして、なんとかこの謎の伝統行事までやってきましたが、ここまで全否定されるとは思いませんでした。同時に、説教して最悪な空気の飲み会って、マジであるんだなって勉強になりました。
     私は副担任のとき、担任のサポートを徹底することを心がけて来ました。担任の思いが子どもに伝わらなかった時、子どもに担任の思いを噛み砕いて伝えたり、影で担任が褒めていたことを伝えたりして、クラスと担任を繋いだりもしてきました。しかし、この当時の副担任は特定の子を贔屓したり、テストについても、自分のクラス有利な形式で作成したり、テスト返し中に子どもの前で怒鳴ってきたり。めちゃくちゃな人でした。職員にも露骨に贔屓する人だったので、私へのサポートは皆無でした。

    垣間見える過去

     ところで、教員が本採用されると、数週間に一回来校して研修を行う先生が配属されます。私の場合は、元校長でよく研修中の大半が自身の武勇伝で終える先生(以下B)でした。

    も〜そいつがどうしようもないワルでさ笑
    おおおまえええ!!こら!!何してんだ~!!て俺ブチギレちゃってよ笑

     なんてことをよく話していました。ただ、人は悪くないので、授業のアドバイスを受けて新しい取組にも挑戦できました。とはいえ、ほとんどの研修時間が武勇伝に費やされた感じは否めませんでした。また、当時の学年主任(以下C)とBは以前、一緒の勤務校でした。しかし、どこか毎回ぎこちなく両者は話すのです。また、両者の考えも意見も間逆なので、毎度どちらが正しいのか、どちらの方に従えば良いのか、また板挟みになりました。

    俺が言うと先入観が入っちゃうから詳しくは教えないけど、まぁ話半分程度に聞いたほうが良いことが多い人だよ

    とCがいえば、

    Cはなんでもできるから、子どもの気持ちはわからないんだよ。だから指導も強いし、案外子どもから好かれないんだよ

    とBがいう。この当時は、単に仲が悪かっただけなんだろうと考えていました。しかし、両者は重大な過去を持つことを知ったのは、もう少し先の話でした。

    すれ違いの中で

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     2学期は生徒指導も多かったものの、体育祭や合唱祭で子どもたちの活躍もあり、結果を残すことができました。一方で、Cから学級指導について、

    そんな指導しなくていいよ。やった感を出すことが大事だから。指導した感ね。だからガチガチにクラスもやんなくていいよ笑

    と告げられることが度々あり、日々迷いながら勤務をしていました。
     そして冬至の頃、学級委員のAから話したいことがあると相談を受けました。そこで終業式の後、他の職員も同席して、一室を借りて話すことになりました。Aは年度当初に学年で一番の子を入れたと聞いて受け入れたものの、実際には嫌なことがあれば感情的になって声を荒げたり、単に声が大きいだけでリーダー的要素はない子でした。しかし、伸ばされていないだけで、実際には大きい力を持っている子でした。だからこそ、この後の校外学習で力を伸ばしたいと考えていました。一方で自分もこの頃、言葉が足りずにクラスに思いが伝わらないことが多々ありました。業務を進める手を止め、Aのいる部屋に向かい、話し合いが始まりました。

    「先生はクラスをどんな風に思ってますか?嫌いなんですか?」
    「嫌いに見えるん?」
    (無言で頷くA)
    「だって他のクラスと自分たちの扱いが違いすぎるじゃないですか。でも他のクラスは立崎先生別に普通じゃない?っていうけど…。」
    「…体育祭だって合唱祭だって、もっとクラスに入って一緒に喜んでほしかった」

     ここで、先を見すぎて今の子達を見ていなかったと反省しました。もう2学期も終わる頃。このまま進級させていいレベルなのか、指導に日々悩んでいました。私は素直に話すことにしました。

    「嫌いじゃないし、皆のことは学年で一番だと思っているよ。でも、今までの学校でやってきたことと、今の学校で色々なやり方が違うから、悩んでる。どこかでクラスの子達が苦労しないかなって。」

    すぐにAが反論します。
    「じゃあ、なんでうちのクラスにだけ厳しいんですか?」
    「それは自分自身が社会人になって嫌な経験いっぱいしてきたいし、つらい思いしてきたからね。それこそ、同僚がストレスで失踪しちゃったり、命を断つなんて組織だったんだよ、就職したところがね」
    「だからこそ、手放しで辛いならやんなくていいとか、嫌なら逃げれば良いなんて、無責任なことをいえない。だってこれから先、下手したらそんな場面に出くわすかもしれない。この先に出会う人が、いい意味で社会のしんどさと立ち回りを教えてくれればいいよ。でも、そうじゃなかったらって考えたら、俺は担任で受け持ってる子には自分の経験を活かすことで、苦労してほしくないんだよ」
     そんな問答をして20分程度経過すると、Aの顔も少しづつ和らいできました。とはいえ、今学期最後の職員会議があったため、同席した職員が切り上げの声をかけました。最後に、Aが様々な思いを全部飲み込んだ末に一言述べました。

    もっと早く先生の思いを知りたかった。

     思えば結局、子どもからしたら単に担任と仲良くなりたかった。もっと、一緒に行事に参加してほしかった。ただそれだけだったのです。仲良くなりたい。そんな子どもの素朴な感情に気付かされる学期でした。

    梯子を外されて失脚へ

     同時並行で、3学期に行う校外学習の担当を任されていました。校外学習はこんな感じで動きます。

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    度々、学年の先生が子どもたちの能力が高いと口にしていました。しかし、子どもの能力を伸ばすというよりも、子どもの能力をその場その場で使い切って乗り越える事が多い学年でした。そのため、校外学習を担当するからには、この子どもたちの持っている能力を更に伸ばしていきたいと思い、担当を引き受けました。
     何度か学年内で修正を受けながら、方向性が決まりました。実施地域は例年通りとしながら、実行委員を学級委員にすることで、次年度に向けたリーダーの育成を目指しました。また、修正を受けたらその都度紙面と口頭でその旨を周知するようにしてきました。
     そして、校外学習の係が決定し、第一回実行委員会が開かれ、実行委員の中で担当を決めた後、事件が起こります。実行委員会で決まったことを紙面に起こし、その後の学年会で報告したところ、なんと同僚によって係の役割をひっくり返されたのです。

    やっぱこの係いらないから、◯◯にしましょうよ。
    まぁたしかにね。
    まだ動き出してないんでしょ。なら変えよ〜

    いやいや、随分前に提案して決定しているし、子どもにも係分担と今後の内容を下ろした直後ですよ?と思い、反論しました。しかし、最終的には動き出してないならいいだろという暴論によって覆されました。
     また、この会議で判明したことは、何度もわざわざ紙で起こした資料を誰も読んでいないのです。口頭で伝えても、聞いていなかったのです。そして、更に今後の実行委員の予定についても覆されました。

    先生が思っているほど、この子たちできないよ。
    そうだね~能力は低いよ
    そもそも1年次から教えてきていなしね笑

     ここで、自分の中で気持ちが折れた気がしました。散々、今までは能力が高いと口にしてきて、学年の子たちがかわいいといっていたけれど、その実、子どものことなんてどうでもいいんだなって感じたわけです。誰も子どもの成長なんて気にもしていないと気付きました。これ以上、子どもの時間を踏みにじりたくないと思い、担当を降りました。

    明かされる過去

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     1ヶ月ほど休暇を取って復帰をしたころには、校外学習も事前指導の時期に入りました。虚ろな目で背後から様子を見ていたところ、支援員のDから話しかけられ、教員に向いていなかったではないか、BとCも考えが違いすぎる話をしたところ、両者の関係について、過去の因縁が明らかになりました。

     私も実は、BとCと同じ学校で勤務していたんです。数年前に、市内で発生した例の事件、知ってますか?あの時の担任がCで、当時の校長がBだったんですよ。あの件があってCは今までと大きく指導を変えたんだと思います。
     この学校の先生は、皆本音を話さないし、何も言わないじゃないですか。それはきっと、皆なにしてもクレームが来て、先生方疲れちゃったんだと思います。特にCはあの件があってから、巻き込まれたくないんでしょうね。

     例の事件とは、いわゆる1号重大事態と呼ばれるもので、当時の市長を巻き込んだものでした。この件があってから両者の溝は深まり、対立関係が生まれたのでした。Dの話を聞いて、ようやくBとCの関係、ぎこちない会話の正体が判明しました。もう、誰を頼ればいいかわからなくなりました。同時に、この学校で信用できる、頼りになる人はいないんじゃないかとも。希望がなくなった気がしました。

    1年後に届いた思い

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     その後トラブルはあったものの、無事に校外学習が終わりました。そして、学期末、人事の話が至るところでされます。私は学年持ち上がりの話もありましたが、学年を変えてもらうことにしました。この頃には、Cの言うとおり指導し、もうクラスに向き合うこともやめていました。そうすると、今までは提出物含めて、厳しめの指導をしてきましたが、どんどん緩くなったことで、指導の軸がブレるようになっていました。今思えば、クラスの空気も良くなかったかもしれません。また新年度では、自分自身の学び直しのためにも、他学年で担任を降りることにしました。
     翌年度、担任していた子たちは3年生になりました。そして、卒業式の前日に感謝の手紙をもらいました。適当に眺めていたところ、Aの手紙がありました。その手紙の結びには

    先生は私のことが嫌いだったかもしれませんが、私は先生のクラスでよかったです

    と残されていました。嫌いなんて思ったことなかったのに。でも色々なことがあったけど、思いが届いてたんだなって感じました。それなのに、途中から指導がブれ、子どもを最後まで信じてあげられなかった。行き場のない後悔だけが残り続けました。
     そして翌年度、ついに不祥事が起こり、ボロ雑巾のように使い捨てられ、退職したのです。

     
     

    立崎

     
     
    20代後半|元公立中学校教員 挫折も回り道も、人生の一部。 再就職と社会復帰、 写真と読書を通して、 「自分に素直に生きる」を綴っています。

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