
忘れられない仕事の話 「先生助けて」
三十を少し過ぎた頃のこと。Aちゃんという女の子がいる学年を、三年生、四年生の2年間受け持つことになりました。三年生の時にはAちゃんは俺のクラスではありませんでしたが、国語、算数の授業では俺のグループでした。四年生時にはクラス担任となり、前年よりもさらに長い時間を一緒に過ごすことになりました。
このAちゃん、知的障害の他にてんかんという厄介な病気を持っていました。日頃から服薬をして発作を抑えているんですが、それでも体調やその他の要因によって発作が起きることがあります。意識を失い、全身を突っ張るようにして震える、いわゆる強直痙攣発作。四年生の1年間で5回ほど学校での発作がありました。俺は学生の時から日本てんかん協会でボランティアや事務局の手伝いなどをしていたので、てんかん発作には慣れており、対応に困ることはありませんでした。
さて、このてんかん発作ですが、意識を失ったり痙攣が起きたりする前に、前兆のようなものが見られる場合があります。これを〝前駆症状〟と言います。Aちゃんの場合は発作が起きそうだということが自分で分かるようで、そんな時には大人のそばに来たり、自ら手を繋いだりするのです。話すことは出来ないので、言葉での訴えはありません。普段は「Aちゃん、ちょっと来て。」と言われても、あっかんべーと舌を出して逃げていくようなお調子者なので、不安げに寄って来れば「何かを感じているんだな。」とすぐに分かります。Aちゃんのこの自発的な表現で、発作時の転倒を未然に防ぐことができました。四年生の1年間、発作による怪我は一度もなく過ごせたのです。
新年度となり五年生となったAちゃんは校舎3階の教室へ。進級できなかった(w)俺はまた三年生の担任となり、2階の教室で日々を過ごすこととなりました。
プール指導も始まった初夏のある日、昼休みに教室で子どもたちを遊ばせつつ連絡ノートを書いていた時です。ふと教室入り口に目をやるとそこにはAちゃんの姿が。担任を離れてからというもの、それまで一度も俺の教室に来ることなどありませんでした。何か現担任におつかいでも頼まれたか?と思いつつ「どうした?」と声をかけると不安そうな顔で近付いてきました。「これは…」と思ったその時!眼球が上を向き身体が硬直し始めました。俺はいつも通り抱き抱えて床に寝かせ、俺の脚を枕代わりにして気道を確保。吐瀉物による窒息に備えてAちゃんの顔を横向きに。そして時計を見て痙攣の継続時間を計りながら、収まるのを待ちました。1分を少し過ぎたところで発作は収まり、意識も戻りました。自分のクラスの子どもたちを他の担任に任せ、俺はAちゃんを連れてAちゃんの教室へ。担任に発作があったことと、その前後の様子も報告して引き渡しました。
その日の下校時のことです。たくさんの子どもたちがスクールバスに乗り込む中、Aちゃんは通院のためにお迎えに来ていたお母さんと一緒にいました。昇降口付近で担任と話をしています。おそらく発作があったことの報告だったのでしょう。その後、子どもたちがほぼいなくなったところでお母さんがAちゃんと共に俺のところに来ました。
母「先生、うちの子、今日先生のところで発
作起こしたんだって?」
俺「そうなんですよー。普段は俺と遊んでも
くれないのにねー。w」
母「A!よくやった!べに先生なら安心だも
んね!」
発作が起きそうなことを感じて、わざわざ俺のところに来たAちゃんを褒めたお母さん。Aちゃんは自慢げな笑顔を見せていました。
Aちゃんが俺を頼ってくれたこと、そしてお母さんも俺を信頼してくれていることが嬉しくて、その日は俺もずっと笑顔でいられたのでした。☺️