
人魚の沓脱ぎ (2)
◇◇
新幹線を降りて、新潟駅の在来線五番ホームへ向かう間、郷愁に襲われた。行き先が同じ乗客ばかりなので、ちらほらと耳に入ってくる会話に、故郷のアクセントが聞き取れたからだ。十五年前に帰省したときは乗り換えのために通路を歩き、階段を下りた覚えがある。ところが今は、高架線となったホームに場所が移ったようで、新幹線の改札を抜けただけで特急列車に乗り込むことができた。この小さな変化に、わたしはさっそく時の経過を感じてセンチメンタルな思いに沈みかけた。いや、それよりも前、この取材の旅が人魚にまつわるものだとわかったときから、わたしの記憶には感傷が付きまとい始めていたのだ。それを振り払ってくれたのが、隣にいる彼女の服装だった。ひらひらとしたゴスロリファッションは、北へ北へと向かう列車の中にあっても、陰鬱なリアリティを希釈してくれる効果があった。
黒色の服を、よく着ている女の子だった。わたしがセンチメンタルな気分になると思い出すそれは、十代の頃から記憶の底に眠っているもので、終生離れていくことのない女性の幻影だった。その子とは中学のときに出会い、高校の三年間は同じクラスだった。けれども、教室ではほとんど会話をしたことがなかった。わたしたちは二人で濃密な時間を過ごしたこともあったが、その場所は学校ではなく、高台にある住宅の裏側から海岸に向かって直接下りていけるコンクリートの長い階段でだった。そこは地元の住民にしか知られていない公共通路で、狭いうえに傾斜がきついため、この階段を使用する人は限られていた。あの頃のわたしは、東京都内にある大学の進学を希望していて、深夜まで勉強する日が続いていた。集中が途切れると、新鮮な空気を吸ってくると言って、ほんの数十分ばかり家から抜け出して夜風に当たることを習慣にしていた。家族には新鮮な空気、と言っていたが、実際は隠し持っていた煙草をほんの悪戯のつもりで一本だけ吸う、というのをやっていたのである。吸いたくて吸っていたのではない。普段から周囲にいる大人たちの評価を気にして、優等生づらをしている自分に嫌気が差し、反逆的な行為を実践することで、心のバランスをとっていたのだ。クラスメートの廣田夏来と会ったのは、そんな夜のことだった。時刻は九時を過ぎていたと思う。階段の途中に腰を下ろし、いつものように煙草を取り出した。外灯なんてひとつもないし、夜は足元が危ないから人が通る心配もない。ちょうど火を付けたタイミングだった。斜面を利用して作られた野菜畑の暗がりから、名前を呼ぶ声がしたのだ。
しんいちくん、わたしにも火を貸して。
誰の声なのかわからなかったので、先に怯えの感情が体の中を走り抜けた。真横にあった里芋の葉が揺れて、葉擦れの音とともに暗闇からぬっと姿を現したのが廣田夏来だとわかったとき、わたしは思いもよらなかったクラスメートの登場に、「どうして?」と声を出していた。
普段から接点が少なかった廣田と、こんな場所で遭遇するのもおかしなものだと思った。聞けば廣田の母親が、海岸通りにある温泉街の旅館に仲居として働いており、金曜と土曜の夜は娘の自分もそこで手伝いをしているのだという。たまに行儀の悪い酔客に品のない言葉でからかわれたり、体を触られたりするようなこともあるらしく、そんなときは旅館から抜け出して、外の空気を吸いがてら、この辺りの入り組んだ路地を散策して時間を潰しているのだそうだ。山を切り崩した斜面に狭い階段を見つけたのが先々週の金曜で、興味本位に上ってみたら、月に照らされた夜の海面が銀紙でできた切り絵のような輝きをみせているのが木々の隙間から見え、しばらく見とれているうちに、廣田はこの階段のてっぺんはどこに繋がっているのか知りたくなったという。数十段上ったとき、上から誰かが下りてくる足音が聞こえたので、咄嗟に野菜畑に身を寄せて隠れていたら、自分のすぐそばに腰を下ろして煙草を吸い始めた男がいた。それが同じクラスの碓井慎一だとわかったとき、廣田は心の底から驚いたという。先週の金曜日もこっそりと階段を上り、野菜畑に潜んで待っていたらしい。毎週来ていたのかよ、とわたしが廣田に言うと、彼女は暗がりの中で素直にこくりと頷き、しんいちくんの家ってこの上にあるんだね、と言って高台の住宅地にわたしの家の表札を見つけたことを、自ら告白するのだった。
奇妙といえば奇妙だが、学校では毎日顔を合わせているのに、わたしたちはあえて言葉を交わすことはしなかった。だが、金曜の夜、いつものように階段を下りていくと、そこに廣田が待っているのだった。彼女は目立たないようにいつも黒いパーカーを羽織っていた。
旅館の仕事はいいのかよ。
いいの、いいの、今日も嫌なことがあったから。
変なことをされたらそいつを殴ってやれよ。
できないよ、お母さんの仕事がなくなる。
廣田の家庭が複雑なのは何となく察していた。中学から知っているが、廣田はそのときから苗字が二回も変わっている。
それからも、わたしたちは金曜日になるとこの階段で落ち合い、他愛ない話をした。好きな食べ物の話とか、好きな音楽の話とか。その他愛ない話の中に、この先の進路の話や、自分たちの身内の話が混じることがあった。
しんいちは、東京の学校に入ったらどこに住むの?
まだ決まってない。一人暮らしをしたいけど、最初は親戚のうちに間借りすることになるかも。
わたしも東京に行きたいな。ここを離れたい。でもできないんだ。
なぜ?
お母さんをひとりにできないから。しんいちは自由にできていいね。
そうでもないよ。うちは親が離婚しそうなんだ。もしもそうなったら、東京で暮らせるのかもわからなくなる。
学校では、こんな話を誰にもしたことがなかった。けれども、静かな夜、廣田と一緒にこの階段に座り込んでおしゃべりをしていると、どんなことでも話せてしまうのが不思議だった。
あれは月の出ていない夜だった。階段を下り、海岸沿いの道路を横断して、二人で浜辺に出たことがある。誰から言い出して浜に来たのか、やみ夜だからここに来たのか、今となっては記憶はあやふやだが、夜空は黒に限りなく近い濃紺で、その下に横たわる夜の海は気配だけがあったのを覚えている。暗闇にのまれた砂浜は、目が慣れてくればほんのりと白く見えてきて、植物の蔓に足を取られそうになったとき以外は、歩くのに支障はなかった。
わたしたちは砂浜に打ち上げられていた流木に腰を下ろして、暗い海を見るともなしに見ていた。緩く湾曲していく海岸線の先に隣町の明かりがぽつぽつと灯っていたが、それ以外は視界の中に明かりらしいものは映らなかった。沖の手前に、夜空よりも濃い色の歪な黒い固まりが、連なるように延びているのに気付いた。昼間になればわかるが、それは積み重なった消波ブロックの群れだった。
あそこから落ちたら上がってくるのが難しいらしいよ。
最初にそう言ったのは廣田だった。
うん。たしか去年、釣りをしていて犠牲になった人がいたんだよな。クーラーボックスと釣り道具がブロックの上に残されていたから、発見は早かったらしいけど。
ねえ、わたし、いいことを思いついた。
廣田が急に明るい声を出した。隣に目を向けると、彼女はパーカーのフードをすっぽりとかぶり、尖った鼻先が見える白い横顔だけになっていた。
廣田はあいている方の左手で、消波ブロックを指差した。
あそこの目立つところに、わたしの靴だけをぽつんと置いておくの。
それで?
それっきり、わたしは姿を消すんだ。
きっと大騒ぎになる。
なるかな?
本人がどこにもいないとなれば、事故か自殺かで何日も捜索が続くと思う。
曖昧なまま消えるのがいいんだけど。やっぱり難しいね。
わたしはこのとき、廣田はやはりこの町から離れたいのだと思った。母親のことを気に掛けていたが、本音では自由になりたいのだと思った。
廣田がフードから顔を出して言う。
じゃあさ、事故でも自殺でもなく、あの子は人魚になって海に帰った、と思う人はいないかな。
人魚? 靴を残しておいて人魚は無理がある。
はっ、そっか。残念。
そう言って、廣田は静かに笑ったのだった。わたしはこのときの会話を、そのあと、何度も思い返すことになる。
あれは、東京で学生生活を始めて二年が経った頃だった。たまたま連絡が取れた高校時代の同級生から、廣田夏来が行方不明になっていることを聞いた。廣田は高校を卒業したあと、母親が勤める温泉旅館に就職したはずだった。同級生の話によると、地元では彼女が海難事故に遭ったという噂で持ちきりらしかった。沖の手前に並べられた消波ブロックの上に、彼女の靴が見つかったのだという。それを聞いて、わたしは廣田と夜の浜辺で交わしたあのときの会話を思い出した。けれども、それを誰かに話すことはなかった。廣田のことを思ったとき、わたしがその話を周囲に伝えることを彼女は望んでいない気がしたのだ。それに、わたしと廣田が奇妙な成り行きから二人で頻繁に会っていたのを知る人間は、あの高校時代にひとりもいなかった。学校では相変わらず、わたしたちは接点の少ないクラスメートのままだったのだ。
わたしは、廣田がこっそりと上京しているのではないかと考えた。ある日ひょっこりと、廣田がわたしを訪ねてくるのを心の中で期待した。何か根拠があるわけではない。けれども都内を歩いているとき、わたしは無意識に廣田の姿を探していた。彼女が着ていた黒のパーカーや、似たような黒い服装の女の子を見かけると、いつもそこに廣田の面影を求めた。どうかすると、未だに黒い服を探している自分に気付くことがある。三十年以上経った今でも。
◇◇
高校時代のこの話を、相棒の福螺だけが知っている。出版の仕事を始めた頃、二人で朝方まで飲んだときに、昔の思い出として打ち明けた覚えがある。話したのはこの一度きりだ。もう忘れていると思っていた。だが、彼は覚えていたのかも知れない。
新潟の海岸線を特急列車は北上している。車窓に目をやれば、日本海が青に碧を流し込んだような複雑な色合いを見せて眼下に広がっていた。ギザギザの岩が点在する海岸を眺めていると、岩礁に上がって休んでいる人魚たちを想像して、まさかね、と独り言を呟きそうになる。
妖怪写真家の彼女から、八百比丘尼の伝説を聞いたばかりだったので、間接的に人魚の存在を空想する、というややこしい心の働きが自分の身に起こったようだった。
日本の人魚について調べていくと、どうしても八百比丘尼の話に辿り着いてしまう、と先ほど新幹線の中で彼女は言った。比丘尼とは女性の僧侶、つまり尼さんのことだ。どこかでその名を聞いたような気がしていたところ、彼女から説明を受けて、ああ、と思い当たった。若狭湾の近くにかつて人魚の肉を食べて不老不死になった女性がいた。その人はのちに尼となり八〇〇歳になるまで生きたという……。わたしはこの話を、妖怪のシリーズ本の編集を手伝ったときに、たまたま読んだ資料で目にしていたのだ。それを彼女に伝えると、「知ったのは最近ですか? 結構有名な話ですよ」と呆れられてしまった。手塚治虫の『火の鳥』には八百比丘尼をモデルにした作品があるという。わたしは未読だった。読んでいないことを打ち明けると、彼女は「ちょっと信じられません」と言って完全に引いていた。書物の編集に携わる人間が、国民的な漫画家手塚治虫の代表作を知らないのは、彼女からすれば不勉強の謗りを免れない怠慢な大人ということになるようだった。このまま残念な印象を持たれてはわたしも格好がつかない気がして、漫画の知識がないわけではないところを示すために、楳図かずおの『おろち』に登場する主人公の少女も不老不死だよね、と言ってみたが、真面目な顔で首を傾げている彼女の反応を見て、わたしは自分の発言が的外れだったことを理解した。若い人を相手に、少しでもマウントを取ろうとした大人げない自分が恥ずかしかった。
彼女はかい摘んだ形ではあったが、わたしに八百比丘尼伝説を語ってくれた。彼女によれば、人魚にまつわるこのような話は外国には存在しないらしい。古くから日本だけに流布しているのだという。わたしは改めて、このミステリアスな伝承に強い関心を持ってしまった。
八百比丘尼の伝説は、様々なバージョンを獲得して全国に広まっているという。長寿の年齢も八〇〇歳という説が一番多いとはいえ、二〇〇歳とか一〇〇〇歳とか伝えられているのもある。そもそも「八百」は、数がきわめて多いという意味の接頭語でもあるので、厳密な数字とは言い難い。あり得ないくらい長く生きているという意味で、のちに呼び名として使用された可能性があるのではないかと彼女は話す。
「碓井さん、この伝承の元となっているのが、現在の福井県小浜市を源流とする八百比丘尼伝説です。わたくしなりにこの話を要約して伝えますが、まず、若狭国の勢村に高橋権太夫という長者がいて、ある日、余所からやって来た男の誘いで、知り合いの何人かとともにその男の船に乗り、豪華な邸に訪れるんです。そこはまるで別世界のようなところで、高橋長者たちは珍しい料理で歓待を受け、帰りに調理済みの食べ物をお土産に渡されます。家に帰った高橋長者は、何となく不気味な感じがしてそのお土産に手を付ける気になれないでいたのですが、目を離した隙に長者の娘が食べてしまったんです。実はそのお土産は人魚の肉で、娘はそれ以降、まったく歳を取らなくなります。結婚をしますが、ずっと若いままなので、夫の方が先に亡くなってしまい、また別の人と結婚をしても同じ。次々と夫を亡くしていくうちに娘は出家を決意し、比丘尼として全国を行脚したのち、八〇〇歳のときに若狭の空印寺にある岩穴に入定して、その長い生涯を終えたとされています」
お伽話だな、という印象をわたしは持った。人魚だの、八〇〇歳だの、この話には現実離れした不思議要素がいくつも盛り込まれている。だが、彼女によれば、八百比丘尼が最期を迎えたという空印寺の岩穴は現実に存在していて、現在も小浜市の観光スポットになっているらしい。幻想と現実の配合がうまく融け合い、さらに長い年月に晒されても風化しない歴史の強度があるからこそ「伝説」になるのだろう。
わたしは彼女の話を聞いているときに、ふと思った疑問を口にした。
「高橋長者という人物は、どうしてお土産が人魚の肉だとわかったんだろう?」
「招かれた家で、調理している場面をちらりと覗いてしまったらしいです。……まな板の上に載せられた人魚を」
「生々しい話だな」
わたしは上半身が人間、下半身が魚の生き物をリアルに想像してみた。本当にそんな生き物の解体シーンを見てしまったら、食べる気がなくなるだろうと思った。少なくとも自分は、下は食べても上は絶対に食べられない。
自らが生み出した想像にゾッとして肩をすくめていると、それを目敏く見つけた彼女が、わたしの顔を覗き込んでくる。
「フフフ、碓井さん、人魚の実在を信じるようになりましたか?」
「それはないよ、さすがにね」
彼女はクスクスと笑った。
「八百比丘尼の方はどうですか」
「どうって?」
「室町時代の古い記録が残っているんです」
彼女は指先で、スッ、スッ、とタブレットの画面を撫でた。
「文安六年。西暦でいうと一四四九年ですが、京都に住んでいる三人の人物が、偶然にも八百比丘尼のことについて日記に残しているんです」
画面には、彼女が自分で作成したと思われる一覧表が表示されていた。
「まず、中原康富という官職に就いている人が、誰かから伝え聞いた話として、若狭から二〇〇余歳の白比丘尼が上洛してきたことを五月二十六日の日記に記しています。白比丘尼というのは八百比丘尼の別の呼び方です。髪が白かったから白比丘尼と呼ばれていたという説があるようです。料金を支払えば、この白比丘尼と対面することができたようです。次の廣橋綱光という公卿が書いた六月八日の日記にも、白比丘尼のことが記されています。ここには八〇〇歳だという記述があり、年齢が変わっている点に注目です。そして、臨済宗夢窓派の僧をしている瑞渓周鳳が記した七月二十六日の日記には、若狭国から入洛した八〇〇歳の老尼を一目見ようと、洛中の人々が争うように多く集まっていたことを伝えています」
彼女の一覧表には、それぞれの日記の題名が、『康富記』『綱光公記』『臥雲日件録』と明示されていた。
複数の人が日記に書いているなら、それは個人の妄想ではなく、事実を見聞きした可能性が高い。すなわち、この時期の京都に八百比丘尼は実在していた。だが、彼女の話を聞いて、わたしは大いに引っかかるものを感じた。
「八百比丘尼が室町時代の京都に現れた、というのはたしかに本当っぽい。でも……殻里さん、なんか、あやしくない? 見世物にしているよね」
「そうなんです。『康富記』にも書いてあるんですが、白比丘尼が滞在しているところに鼠木戸の入り口を設けたり、貧しい人とお金持ちとでは料金に差をつけて徴収したり。まあ、善意の寄付を募るのが目的だとは思うんですけど、やり方が俗世にまみれている感じがします。果たして本物の八百比丘尼だったのか……」
「大いに疑問だね」
人間にとって不老長寿は魅力だ。奇跡を体現した生き仏のような女性がいたら、それだけで大勢の集客が望める優良なコンテンツになり得る。誰かを八百比丘尼に仕立てて、京の都で一発当てようと企てる山師が現れても不思議はない。文安六年に京都に現れたのが本物か偽物かはわからないが、八百比丘尼伝説が各地に広まっているのは、こうした形で偽の八百比丘尼が出現し、ありがたい説法とともにそれらしい出自の秘話を触れ回ったことが、一部で行われていたからだと想像できる。人魚の肉は、手に入れたくても手に入れることができないという意味で、八〇〇歳の長寿をよりミステリアスなものにするツールとしては完璧だろう。文献を読み込んできた彼女によれば、この三つの日記には、人魚の肉が直接長寿をもたらしたとは書かれていないとのことだが、そうであっても、長寿の伝説をまとった本物の八百比丘尼が現れたら、実物をこの目で拝みたくなる人々の気持ちは、現代人のわたしにも理解できる。しかし、そもそもの話、本物の八百比丘尼っていたのだろうか。
「さすがにいないよなあ」
しばらく黙り込んで考え事に集中していたら、わたしはうっかり独り言を呟いてしまっていたようだった。タブレットを片付けていた彼女が、えっ、何がですか? と驚いたようにわたしを見つめている。
「あ、失礼。いや、八〇〇年も生きている人なんているわけないと思ってね」
「それはどうでしょうか」
「殻里さんは否定しないんだね」
「わたくしは思うのですが、仮に、人魚の肉を食べて歳を取らなくなったとしますよね? 不老不死の体になったわけです。八〇〇年間生きた八百比丘尼の最期は、空印寺にある岩穴に籠もって亡くなったとされています。でも、ご遺体があったという記録をわたくしは知りません。八百比丘尼のお墓はあります。でも複数あるようですし、そこに遺骨が埋葬されているかは不明です。どうなのでしょう。実際は、亡くなってないんじゃないでしょうか」
「大胆なことを言うんだね」
「本当に不老不死なら、ですよ。それが前提でお話ししています」
「では、なぜ八百比丘尼は八〇〇歳で入定したということになっているのだろう。殻里さんはどう思う?」
「わたくしは、彼女が自らの人生に区切りを付けるためだったのではないかと思っています。入定すれば、世間では亡くなったことになりますから。そのあと、彼女は晴れて自由の身になれたのだと思います」
「自由……」
彼女の話を聞いて、八百比丘尼だって元はと言えばひとりの少女に過ぎなかったのだ、とわたしは思った。好奇心が旺盛な、そして、ちょっと食いしん坊な、普通の少女だったのだ。ただ、何かのちょっとした間違いに彼女は巻き込まれてしまった。普通の少女だったのに、結果的にとんでもない運命に流されることになってしまった。これはきっと少女自身が望んだ人生ではなかったはずなのだ。
彼女に目をやると、幾分、高揚しているように顔が紅くなっている。
「碓井さん、大胆なことを言ったついでに、もっと大胆なことを言いましょうか」
「なんだろう?」
「八百比丘尼は今も生きています」
「まさか」
「まだ確証はありません。でも、その辺りのことを、このあと取材を申し込んでいる土屋さんという方に、伺おうと思っているんです。人魚や八百比丘尼にお詳しい方なんですよ。今はT市にお住まいです」
碓井さんはT市のご出身だそうですね、と彼女は改まった口調でそう言う。わたしはこのとき、ぼんやりとしながら頷いたように思う。彼女の口から故郷の名を聞いたら、なぜか行方不明になった高校時代のクラスメートのことを思い出してしまったのだ。今思うと、上野のドトールで彼女の黒い衣裳を見たときから、その感傷はすでにわたしの中で始まっていたのかも知れない。