
図書館には、本がある。
僕は本が好きだ。本は人生の拠り所だ。何か悩みがあるとき、決まって本屋に立ち寄っては雑誌と歴史小説以外のコーナーを満遍なく散策するくらいには本が好きだ。かといって時間もお金も損をしたくないので、本を買うときはいつも慎重になる。そのせいでほぼ毎回、本を抱えず、罪悪感のみを抱き、本屋を後にすることになる。僕の最近の悩みは本を買わずに本屋を出る罪悪感だ。本末転倒である。
もう一つ好きなものがある。ゲームだ。ゲームは人生の暇つぶしだ。何か刺激が欲しくなったとき、決まって図書館に立ち寄っては自習机でゲームをするくらいにはゲームが好きだ。周りが勉強をしているのにゲームをするのは僅かに後ろめたさがある。だがしかし実家暮らしである以上、親の前ではゲームがやりにくい。それに比べれば図書館はとてもいい。潔くゲームができるところだからだ。
最近知ったことがある。
図書館には、本がある。
これは知らなかった人も多いのではないか。
皆、目の前の勉学に夢中になり、気づいていないことだろう。
その日は自習机に座れなかった。普段より遅く図書館に足を運んだせいか、満席だった。仕方なく家に帰ってゲームをすることを考えたが、せっかく来たのにもったいない気がして散歩を始めた。
普段、図書館の歩かないところを歩いてみることにした。すると徐々に周りの景色は高いものに遮られていき、所狭しと本が敷き詰められた棚の壁が幾重にも広がる空間に迷い込んでいた。ここは本当に図書館なのか。四方は完全に背の高い本棚に囲まれていた。本屋でもここまで背の高い本棚は見たことがない。野生の本棚に遭遇したようだ。
僕は本棚を怒らせないように慎重に1冊抜き取った。『静かな働き方 「ほどよい」仕事でじぶん時間を取り戻す』とタイトルに書かれていた。就活中の僕にぴったりの本だ。特に印象に残ったのは週4労働で生産性は下がらないということだ。労働者目線としては週4労働の素晴らしさに最近気づき始めていたが、雇用主目線としては実現したくないものだろうと考えていた。働く時間が減れば生産性は落ちるだろうという単純な思考だ。しかし、アイスランドの実験結果からそうではないことを知った。むしろ週4労働の方が生産性が上がったところもあるらしい。そういった点でも週4労働は素晴らしいと感じる。ただそれ以上に素晴らしいのは家族や友達、自分と向き合う時間が増えることに週4労働という働き方の価値を感じた。週4労働がより定着していくことを願い、僕はそっと本を棚へ戻した。
本棚の群れをかき分け進むと背の低い本棚が集まる地帯に抜け出した。どうやら文庫本で構成させた本棚たちが生息していた。アガサクリスティーなどの海外文学や東野圭吾や綾辻行人などの日本文学、主にミステリー小説がこれでもかと並べられていた。いったい何人の被害者と加害者を生んだのだろうか。背が低い本棚だからと侮っていた。辺りは殺伐としていた。ただ同時に何か違和感も感じた。背表紙を注視していくと、その違和感の正体が判明した。シンプルでカッコいいタイトルの狭間に時折見せる長文タイトル。厳格な雰囲気漂うミステリー小説の群衆に紛れて、男子中高生の妄想を煮詰めたようなラノベが無作為に収めらていた。僕は安堵した。どの本棚にもそういう部分はあるのだ。僕は『十角館の殺人』を抜き取るふりをして、『ギャルの自転車を直したら懐かれた』を抜き取った。表紙には制服を着たギャルがスマホを向け、正面をニヤニヤと見つめていた。しゃがんだ姿勢で。まるで主人公が這いつくばっているところをSNSで晒上げようとしてる絵面だ。僕は戦々恐々としながら、震える手で本を棚へと帰した。
いつの間にか本棚を抜け、図書館の入り口に着いていた。
図書館には本がある。この事実を知っているものは世界にどれほどいるのだろうか。僕は優越感に浸りながら、図書館を去った。
僕は後に知ることとなる。
図書館は、本が借りられるということを——。