
憧憬
少し肌寒い朝だったような気がする。僕は靖国通り沿いの比較的小さな
映画館に並んでいた。その日はバイク事故で大きな怪我を負ったたけしが
怪我後にはじめて撮った映画の封切り日だった。映画の名前は「キッズ・
リターン」。あのたけしが舞台挨拶をするという事で何日も前から楽しみで
しかたなく始発で家を発ち新宿の片隅で列を作っていた。さぞかし並んでいるのだろうなと思っていたのだがそれほどでもなかった。今思えば1996年当時は世間一般的に「映画監督のたけし」というイメージが今よりも全然薄かったような記憶がある。
その頃の自分といえば大学へ入ったは良いが講義はつまらない、周りにいる
人間とは全く合わない、よって友達もろくに出来ないという負のスパイラルに陥っていてほとんどアパートから出ず深夜までテレビを見、ラジオを聞いて朝陽が昇った頃に寝ると言う生活を1年も続けていた頃だった。田舎から一緒に上京した高校時代の友人は上手い事やっているようだった。うらやましかった。2日3日全く誰とも口をきかないなんていう事はざらだった。「引きこもり」や「ニート」なんていう言葉はまだなかった。
そんな自分を行動に駆り立ててくれたのがビートたけしだった。一目でいいから見てみたい。生の声を聞いてみたい。自分を動かしていたのは長年の憧れへの想いだけだった。
切符を買い、中へ。外観からわかってはいたが小さな小さな映画館だ。前へ行きたかったが並んだ順番が少し遅かったためか叶わず右手の後方の席になった。それから何分たったかわからない。だけどその場の雰囲気は異様だった。満員御礼、立ち見も出ている。それに加え背後に陣取っているマスコミの数も大変なものだった。
右手真ん中ほどの扉が開いた。たけしだ。一斉にフラッシュの嵐がたけしに
ふりかかる。右目の眼帯を取っていたたけしはとてもまぶしそうな表情をした。紺のスーツの上下にノーネクタイ。今ではおなじみのたけしのスタイルだ。司会の女性からひとしきり説明があった後「それでは監督からひとこと・・」とたけしが促された。
舞台の真ん中にはスタンドマイク。ゆったりと歩を進めるたけし。
「ゴッ」
やった。お約束だ。生で見られるとは僕は何と幸せものか。次いでちょうど
開催中だったアトランタオリンピックにたけしは触れた。つい何日か前に
パーキンソン病と戦うモハメド・アリが震える手で聖火台に火をつけ世界中に大きな感動を与えた後だった。
「いやあしかしモハメド・アリは危なかったですね。あんなの放送していいんでしょうか。あれを出すんだったら事故った後なんだから俺を出せっての」
劇場がどっと揺れた。拍手喝采だった。もちろん僕も手を叩いて笑った。
最後に一言二言映画について照れくさそうに触れたけしは挨拶を締めた。
出てきた扉から再びたけしが出て行った。祭りの後のような寂しさを
覚えた。映画が始まるのはこれからなのにそんな気になった。
映画はとにかくたけし独特の乾いた映像が頭に残った。全編に漂う物悲しさが印象的だった。ビートたけしとはこういう映画を撮る人なのか、とまだ二十歳前のクソガキだった僕は思った。最後のセリフに様々な意味のメッセージ、たけし自身の決意的なものが込められていると知ったのはかなり後だった。
次の日、朝の情報番組を見た。案の定モハメド・アリのくだりは放送していなかった。あのギャグはあの時、あの場にいた人にしかわからないとても贅沢なものだったのだ。僕はなんだか誇らしげな気分になった。朝陽がジリジリと熱すぎて思わずカーテンを開けてみた。たけしと共に太陽も何かをくれたような感じがした。