
思い出を売り歩く(文学フリマ東京と、その後)
自分の死後、自分の人生が即売会で売られるって、どんな気持ちなんだろう。
文学フリマ東京の朝、地下鉄に揺られながらスーツケースを見下ろした。
中には腕がもげそうなほどの本が詰め込まれていて、その重みの半分は祖父の歌集のものだった。
ブースの前を通るお客さんに「私が生まれる前に死んでしまった祖父の歌集です」と囁きかけたら、何割かの人が目をまんまるにして立ち止まってくれた。
そのうちの何人かが見本を開いてくれ、さらにそのうちの何人かが、「これ、ください」と持ち帰ってくれた。
おじいさん孝行ですね。
きっと空で喜んでいることでしょう。
そんな声をかけてもらって、こそばゆさと同時に不安も覚える。
本当にそうだといいのだけど。
私は祖父に会ったことがないから、彼がどんな人なのかはよく知らない。
歌集を読むかぎり、あまりずいずい前に出ていくタイプではなさそう。
短歌で名をあげたいというよりは、「せっかく中学生のころから詠みつづけてきたから、本にまとめてみようかな」と記念的な意味を込めて自費出版を計画していたらしかった。
そんなしめやかなおじいさんが、いきなりビッグサイトで文フリデビュー。
ほんとに怒ってないかな。大丈夫かな。
怒っていないと信じたい。
なんなら、降るはずだった雨が降らなかったことも、スーツケースを壊すことなく会場に入れたことも、祖父が許してくれているからだと解釈してしまいたい。
豪雪によるバスの遅れやショッピングカートの破損に見舞われた文学フリマ広島に比べれば、今回の東京は順調すぎるほど順調だった。
環境だけじゃなく、お客さんにも恵まれた。
毎年来てくれる読者の方、同志のような出店者の方、noterさん、以前文フリ大阪やZINEフェス東京で買ってくれて、そこからハマってくれた方。豆千さんで買ってくれた方。「湘南育ち」に引っ張られた同郷の方。
たまたま出店していた元職場の先輩。
たまたま出店していた前職時代にお世話になった方。
「私もコクゾウムシを食べたことがあるんです!」と打ち明けてくれた方がいて、思わず握手を求めてしまった。
ちょうど通りかかった人が「もしかして有名人?」みたいな好奇心を浮かべてのぞき込んでいったけれど、我々はコクゾウムシを食した一般の人間たちです。
ここ数年、毎回きてくれているお客さんが「あなたがどんなテーマで書いても買います」と言ってくれて、風船に閉じ込めて持ち歩きたいほどの嬉しさで足元がふわふわした。
そうして一冊、また一冊と歌集は旅立っていき、とうとう、完売した。
この歌集を売るために作った新刊『書き食う一族』も、予想をはるかに上回る人たちに持ち帰ってもらえた。
うまく内容が紹介できなくて、「登場人物の4分の3はもう死んでます」とか、「母方の祖父だけが生き残っている状態です」とか、デスゲームのような説明ばかりしてしまったのに、お客さんはみな優しかった。
イベントが終わってから、家族、親族に新刊を渡した。
最初に渡せたのは母方の叔母で、親族のなかで一番こだわりの強い人だった。
さんざん原稿チェックをしてくれたから、もう読むのは飽きているかと思っていたのに、翌日にはLINEでおもしろかったと感想をくれた。
母と一緒に、唯一生き残っている祖父の家へ梅をもぎに行った。
母と祖父に新刊を渡す。
「わぁ、かわいい〜!これはたくさん売らなきゃね!」と奮起する母(つるる書店湘南店店長)。
「ほぅお〜、これ俺か?」とまじまじと表紙を見つめて口をすぼめる祖父。
そうだよ。チェコの画家で、友だちのKaoRuさんが描いてくれたの。
耳の遠い祖父は、「チェコの画家のKaoRuさん」を「デコのサバのKaoRuさん」と聞き間違えた。
なぜ「KaoRuさん」は聞き取れて、「チェコの画家」が聞き取れないのか。
「チェコの」「ペコの?」
「画、家!」「ばか?」
違う、なんでそうなる。
補聴器は機能しているのか。
「チェコの画家のKaoRuさん」。
ようやく通じたと思ったら、今度は「チェコの画家ってぇことは、街角で似顔絵描きをしてたのかい」と新たな勘違いが生まれる。
「友だち!と、も、だ、ち!!!」と耳元で叫んでようやくちゃんと理解してもらえた。
ほかの人からほぼ必ず聞かれる「どうやってチェコ在住の人と友だちになったのか」は、なぜか気にならないらしかった。

「じいじの梅で、梅シロップを作ろう」
そう誘ったら、従姉がうちに遊びにきた。
本を渡すと、普段ほとんど本を読まない彼女は「よくこんなにたくさん文章を書けるよね」と活字の量にまず驚き、パラパラとめくって「ちょっと待って!」と叫んだ。
「ねぇビューティフル・サンデーとか、彩果の宝石とか出てくるんだけど!」
「このお祭り、すごく覚えてる。パキッと折ると光るブレスレットとか、光るアイロンビーズを持って歩き回ったよね!」
「わ!私も出てきた!最高かよ!」
原稿自体は従姉も入っているグループLINEにずっと送っていたのだけれど、長文を読む習慣のない彼女はいつも「いいね!」とスタンプだけ送ってきていた。
読んでないんだろうなとは思っていたけど、こんなに新鮮に喜んでくれるとは思っていなかった。
「知ってる人、知ってる景色がいっぱい出てくる!文字なのに映像みたい!懐かしい!」
賑やかに文字を追っていた従姉は、急に静かになった。
しばらく無言で読み進めたあと、すっと顔を上げる。
こんなふうに思い出を保存しておけるなんて……本って、すごくね?
読書感想文が嫌いで、毎年同じ本の感想を書いていた、あの従姉が。
本を、「すごい」と言った。
胸がいっぱいになって、「そうなの。すごいの、本って」とそのままの語彙で返してしまう。
私が感極まっていると、「でもさあ!」と従姉は無邪気に続けた。
「私は同じ思い出を持ってるから楽しめるけど、ほとんどの人はうちらのことなんて知らないわけじゃん?
なんで読んでるんだろうね」
なんで読んでるんだろうね?
たしかに読者の大半は、私の思い出には直接的には居合わせていない。
それなのにその人たちは、知らない思い出を手に取り、読みめぐってくれている。
楽しんでくれたり、共感を寄せてくれる人までいる。
文章を書き慣れて、本も作り慣れて、イベントにも出慣れてきた最近。
いつの間にか、人が自分の思い出を受け取ってくれることにも慣れ始めていた自分に気づく。
自分のエッセイが、思い出を共有している親族や友だちに読まれるだけじゃなく、生まれ育ちや属性の異なる人たちに読んでもらえている。
私が大事にしていた思い出が、私を知る人からも、そうでない人からも大事にしてもらえている。
それは本当は、本当に、奇跡的なことである。
余った氷砂糖をがりがり噛み砕く従姉の向かいで、自分の作った本をめくった。
本って、すごいね。
今度は私が言う番だった。
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次回の出店は、7月18日(土)・19日(日)の「はこだて文学マルシェ2026」になります。会場は函館 蔦屋書店内 1階中央吹き抜けマルシェ、開催時間は11:00~17:00、入場料無料。
こちらはつるるとき子書店として、とき子さんと一緒に出店します。

私の本は、ネットショップ「つるる書店」でもお求めいただけます。
覗いていただけたら嬉しいです。