
未草 第一章 第一話 【再生】
娘が眠り、
夫が寝室に引くと
家の中から
音が消える。
香菜子は
風呂から上がり
長い髪を拭きながら、
スマホを取った。
指が画面を滑り、
短い動画が
流れてきた。
ギシギシと滲むギターと、
よく通る声。
動画が終わると、
次の投稿が再生された。
翌日も、
翌々日も、
夜になると
同じ音が流れてきた。
香菜子は
いつの間にか
その名前を知っていた。
その人は
よく写真に写っていた。
店の座敷や
居酒屋の奥。
人が多く
距離もばらばらで、
誰が中心なのかわからない。
集合写真の端に、
いつもその人の姿はあった。
男性も女性も
カジュアルな服装で、
中央には
子どもを抱えた人もいる。
香菜子はそれを
「業界」なのだと思った。
その日、
リビングのソファで
夫と娘が肩を並べて
バラエティ番組を見ていた。
香菜子は、
ダイニングの椅子に座り
スマホを開いた。
「最近、
その曲よく聴いてるね」
いつの間にか
夫が
そばにいた。
「なんか気になって」
テレビの中で、
誰かが笑った。
香菜子は
それに背中を押されるように
顔を上げた。
「今度ね、
ライブがあるみたいで。
行ってもいいかな?」
夫は、
考える顔をして
すぐに言った。
「どこでやるの?
送ろうか。
帰りも迎えに行くよ」
香菜子は、
その言葉を
ありがたいと思った。
いつもなら
そうしていた。
「大丈夫」
香菜子は続けた。
「一人で行く」
「夜だし、
知らない場所でしょ。
俺が送った方が
楽だと思うよ」
香菜子は、
自分の中で
何かが揺れたのを
感じた。
それでも、
「大丈夫。
一人で行く」
夫は、
何も言わず
ソファへ戻った。
それから
テレビに
目を向けた。
カレンダーの片隅に
小さな印がついた。