
ゲス・イット 第十一話 卒業
それから5分後に警官が二人尋ねて来た。夏子が夏菜子の部屋の鍵を開けさせたホテルのボーイが通報してくれたらしい。とりあえず警察沙汰にするような話ではないと説明し、概ねの事情を含んでくれた警官は、ベッドの脇で倒れていた伯父をロビーまで連れて行ってくれた。
夏子がお茶を淹れて一息ついた。狭い部屋の中で母子二人。ママとこんな時間を過ごしたことなんて、あったかな。夏菜子には記憶さえなかった。
「もうちょっと後で来れば良かったかい?随分気持ち良さそうな声出してたみたいだから」
暴言。ついさっきまで犯されかけていた娘に向かっていう言葉じゃない。
「ママ。冗談はよしてよ。もうホントにやばかったんだから」
「そうなんだ。じゃあ、私がここに来て良かったってことかい」
今なら言えるかも知れない。夏菜子は思った。
「あのね、ママ。私ね最初から分かってたんだ」
「何をだい」
「あの証文、間違いなくヨシオさんの字だった。本物だと思う」
「それで?」
「どっちだって良かったのよ。あの人がどんな約束をしてたとしても、私にそれを果たす義務なんかないんだから」
「なのにあいつの言いなりになって縛られてたの?変態だね、そりゃ」
「ち、違うって。あれば力ずくでやられたんだから。ねえ、ママちゃんと聞いてよ」
「じゃあ、何よ?」
「変な言い方だけど、ママとお父さんの血なんだと思ったんだ。あいつにトランプ勝負を持ち出された時に、これで勝負しないなんてないと思ったし、負けるなんてこと1ミリも思わなかったもの。私自身を賭けての勝負。そういうのって何だか、すごく燃えた」
「ふーん。やっぱりあんたかなりの変態だね。で、勝ったの?その勝負」
「勿論よ。最初のイカサマを見逃しちゃったのはちょっと焦ったけど、最後はあいつのイカサマを切り返してしっかりお灸をすえてやったから」
最終戦は伯父が勝負を焦ってすり替えのイカサマに走ってくれたのが幸いだった。やってみれば分かるが、すり替えた札にはついつい目がいってしまいがちになる。だから意識して見ないようにしたりするので、それが死角を発生させる結果をもたらす。入れ替えられた場で、それを更に入れ替えるのは極めて簡単なのだ。夏菜子の入れ替えはかなり大胆だったが、それでも伯父は気づけなかった。最後の最後で勝負を焦ったのが、伯父の最大の敗因だった。
もしもそれがなかったら。本音を言えば結構やばかった。その辺、夏菜子はちょっと盛って話したが、どうせママには見破られているんだろうとも思っていた。
「そうか。わからんでもないかな。私もバカな勝負は沢山してきたからね」
そう。その話を聞きたかったんだと夏菜子は思う。
「うん。ママのその話、ずっと聞きたかったんだ」
やっと言えた。夏菜子がずっと聞きたかったこと。どうしてパパラッチになったのか。
「ま、そのうちね。あんたにとっては、あとはヨシオさんだよね」
「うん」
「まあ、いい人だったかな。でもこれで卒業するんだよ。これを弔い合戦ってことにしてさ」
「うん。わかってる。でも、それはママもね」
「私?私は生きてる時から卒業してたよ」
「ウソばっか。だっていまだに一人じゃん」
「一人の方が生きるのは楽なんだよ。あんたのお父さんほど一緒にいて楽な人はいなかったからさ」
「うん。大して強くもないギャンブラーだったけどね」
二人で笑って、その後少し黙った。
「ねえ、ママ。これから、時々ママのところに遊びにいってもいい」
「何、気持ち悪い。未亡人の寂しい身体を慰めてなんてあげられないよ」
「何言ってんのよ。自分だって未亡人でしょう。そうじゃなくてさ」
夏子は笑って、夏菜子の頭を撫でる。
「わかったよ。だけど男を呼んでる日は遠慮してね」
「もう」と夏菜子が夏子の胸を叩く。
喉元過ぎればというが、夏菜子には既に下衆な伯父と『ゲス・イット』に対しての悪い印象は消えていた。いや、むしろ夫のことに一区切りを付け、そして疎遠だった母をここに連れてきてくれたものとして心に刻む。
下衆な伯父さん。まああんたとはもう二度と会うこともないだろうけど、もしまた勝負したいっていうなら、してあげたっていいよ。その代りヒリヒリするような、熱く焼けるような条件を持ってきてね。私に流れるママとお父さんの血が滾るような、生きてるってことを身体中が実感出来るような勝負をさ。
ホテルの小さな窓から木枯らしが見えた。でも今は少しも寒そうに見えない。寒さっていうのは心が感じるものなんだな、と夏菜子は思った。
(了)