
北に向かった理由【連載⑲】銀河鉄道
珍しい事もあるものだ。
スマホに地元の後輩から着信が入っていた。折り返し掛けると、葬儀の案内だった。この歳になると、友人の両親や、友人たちの葬儀の話が多くなってゆく。
社交辞令で「元気でしたか?」とは声を掛けられるものの、元気ではないと言うわけにもいかない。「あぁ、なんとかね」としか答えるしかなかった。
落ちぶれた老兵の状況などは気にする筈もなく、日取りだけを伝えられる。
昨日出来なかった事が今日は出来て、今日出来た事が明日、時代遅れになる。そんな間ももたない、時代の中を生きているような気がした。
逝ってしまった者への言葉は、もう届かない。祈ることしか出来ない。
なんとも不器用になったものだ。
そのうち、確実に膝が弱くなり始めるだろう。
これは決まり事で、誰しもが必ず通る道。
終わりは誰しもがゆっくりと進む。
ただ、ゆっくりと歩ければいい。
まだ会社がある頃だが近くに、小さな蕎麦屋があった。
小さくても門構えと玄関先は立派な構えをしており、年期の入った木の椅子とテーブル。壁の下側は黒いタイルが貼られた、昭和レトロを感じさせる蕎麦屋だった。
ある夏の晴れた日に、天ざるを食べに立ち寄った。
蕎麦を待っていると、自転車を漕いで初老の男がやってきた。八分の短パン、白い開襟シャツというとてもラフな格好で、にこやかに暖簾をくぐって「大将、いつものやつ」と席へ着く。
まあ、店主と常連のありきたりな挨拶を交わす。奥さんであろうか、二人で営んでいる、蕎麦屋の大将はここぞとばかりに、二つのコップとビールを手に、テーブルの隣にある上がり座敷に腰を下ろす。
大将はビールを手に、お酌をすると「あぁ、大将も一杯どうぞ」と返杯をする。「いやー、いただきます、今日は暑いでしょう。どこかにお出かけですか?」
「あぁ、お出かけと言うよりもす、俺も年だしさぁ、ほーれ、親から貰ったこの足が動いているうちに、いろんなところば、見て歩いているのですよ」と足をさすっている。本当に他愛もない会話だったが、なぜか心にしみた。
何かで読んだか、聞いたか、人がこの世を去る時に一番思う事は、行きたかった場所へ行っていればと思うらしい。
仕事が終わり、八戸駅で電車を降りる。
小さな稲荷社で、地元ではキリスト神社とも呼ばれている貝鞍神社がある。片道一時間の道のりを二時間かけて、馬淵川の土手の道を、ゆっくりと歩いていった。伝承では、イエス・キリストと呼ばれていた人が、最初に宿をとった地とされている。
天気がいいから、ただ、誰かが歩いた道を歩いてみたかった。
歩きながら考えていた。エンタメ系のYouTubeやテレビなどでは、団塊の世代を不器用にしか歩めなかった者を駅前でカメラに収めている。今日通った道の駅では、車中泊か車上暮らしか満杯の荷物を積んだ車が停まっている。
日が昇れば彼らはどこへ行くものなのか、いつの間にか姿を消している。
最近見かけないが、軽トラの爺さんは元気にしているのだろうか。
考えて見れば、家に帰らない人達がいるのは、今に始まった事ではないと知っていた。何を隠そう、酒飲みで車中泊癖のある親父を何度、警察署へ迎えに行ったことか。今では、俺も気持ちがわかるよ…
なりたくてなったのではないもんな。
土手道を歩いていると、大きな犬に引っ張られて散歩をしている人とすれちがう。犬を見ていると、犬の背中ごしに小さな沼が見えた。
沼の向こう岸に鳥居が見える。小さな公園から社殿へつづく近道を通っていった。
どうやら裏手から入ってしまったようだ。小さな境内の石灯篭は、先日の地震で倒れてしまっていた。二体の石狐が、それぞれ倒れた灯篭を見つめている。足元に目を向けると、黒く丸いものが落ちていた。土を掃うと十円玉だった。
ポケットから十円玉を取り出して、二十円にして賽銭箱にもどしておいた。
脇の小さな沼では、鯉がゆっくりと泳いでいる。
そして、太く大きな杉の切り株がそこにあった。
なぜに切られてしまったのだろうか――
沼を見つめながら、何を携えて、どこを目指すのか…
そんなことを考えながら神社を後にした。
まずは、歩くしかなかったのだろう。
歩いていると、田植えをしている人の手が見える。
電車からは見えなかったのにな…
さてと、一汗流しにいこうか。
冬場パチンパチンと音をたて、ゆらゆらと燃えていた薪ストーブは消えていた。代わりに、脱衣所では壁掛けの扇風機が静かに回っている。
湯気の向こうに、常連の声があった。
「あ、お疲れ様です」太鼓の彼だった。
「なんだか、しばらくぶりですね」
「そうですね。仕事で北海道まで行って来ましたよ」
彼は気さくな男で、方言を気にしてくれているのか、丁寧に話しかけてくれる。津軽弁は聞き取りづらいが、南部弁なら得意としている。
ずっと胸のどこかに引っかかっていた疑問を、聞いてみたくなった。
「それで、キリストの墓が有名ですが、キリスト教会ってありますか?」
「それが、ないんですよ」
「えっ、無いんですか?」
穏やかな表情をうかべ
「ええ、新郷村にキリスト教会は無いんですよ」とは意外な答えだった。
「でも、伝統芸能で受け継がれていますし、そうそう、私が子供の写真があったのですが、僕の額に十字架が書かれていました。十字架の風習は、私の世代が最後かなぁ。今はもう誰もやらなくなりましたよ」
「そうなんですかぁ…」
風呂を出ると、東京から来た男と鉢合わせた。
夜空を見上げると、北斗七星が並んでいた。
そのすぐ横にどこからともなく、淡く光る星が現れ、北極星の真上を横切ってゆく。
そのすぐ後に続くように、一つ、また一つと連ねて空の奥へ消えていった。
「銀河鉄道が見られるとは…凄い時代だね」
そう言うと、彼は不思議そうにこちらを見た。
「ほら、あれ人工衛星なんですよ…」
「人工衛星なんですね。」彼は少し考えるように空を見ていた。
「おもしろい、今度自分も調べてみます」
そう言って、にこやかに車へ向かっていった。
今日の彼の目は、何かを探しているように見えた。
数日後、サウナで彼が声をかけてきた。
「スターリンク、凄いですね!今度、お茶でもどうですか。」
目が輝いていた。
それから数日後、お茶の約束を果たすことができた。
施設近くの、道の駅で待ち合わせをした。ベンチに腰掛けていると、彼は二人分の缶コーヒーを手にして現れた。遠くの公園で子供たちの遊んでいる声が小さく聞こえている。
「景気はどうですか?」と切り出し、
どうやら仕事の話をしたいようだった。
「フリーランスは大変ですよ。私の仕事は仕事を選べないので…」
しばらくは他愛もない話をしていたが、彼はしばらくして、こう切り出した。
「人に裏切られたことはありますか? 大きな金額での、裏切りです」
「もちろん。大小しこたまあるよ」
「それで、訴えましたか?弁護士とか使って?」
失礼ながら、心の中で少しだけ笑みがこぼれた。
「訴えたこと。ないなぁ、それは無い。無いからこうなってしまったのかもしれないけど」
「僕は顧問弁護士がいて、今裁判を起しているんですよ」
彼の目は、戦う者の目になっていた。
「僕はね小さい頃、癇癪を起してすぐに怒っていたそうだ。若い頃はめっぽう短気だったよ… 毎日街に出ては、なぜだか喧嘩をしていたね…」
「僕も小さい頃から空手をやっていたんです!」
何を言いたいのかは、体と目を見れば大体察しがついた。
「荒れてたねぇ…そんな僕に大の親友が、こう話してくれたんだ。俺は人より十倍短気で、二十倍我慢強いってね。心を貫かれたよ…」
彼の目には一瞬だけ、穏やかな光が戻ってきた。
「それからね、大親友の言った一言を自分でもやってみたんだ。自分に二十倍我慢強いって言い聞かせて。そしたら家庭を持つことが出来て、会社を経営して、全てが驚くほど、うまくいったよ」
彼は少し首をかしげて「ストレスは溜まらないんですか?」
「うん、最初は溜まったよ。でもね、意外と簡単で、生まれつきの短気が、すぐに教えてくれる。静まりなさい。ってね」
彼は笑みを浮かべ「あ、そうか! 逆に考えるってことなんですね」
「いやな出来事や、いやな奴だと感じるのは、自分の“心”の方だからね」
「”心”… ですかぁ」
「裁判をするということは、お金の問題で、お金で解決できることでしょ?」
「はい、お金の問題ですから…そうですね」
「契約の前であれ後であれ、それは元々なかった話だよね。 だったらそれは、見えない何かが与えて、見えない何かが回収しただけなのだと思う。 僕らは裸で生まれ、裸で帰る。 だからその話は、天に帰しただけなんだと思っているよ…」
彼は、缶を包むようにして持った。しばらく、何も言わなかった。
全身全霊で人と接し、裏切られることが定めなのであれば、喜んで委ねよう。
ほかに道はなかったのだ。
別れ際、彼はこう言った。
また、お会いしましょう。
彼の目は、来た時より少し、静かになっていた気がした。

この連載は、今も書き続けています。
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はなぶさ
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