
『TOKURYU』6
第6話:黒幕の調律
あらすじ
ついに姿を現した特区の黒幕・新城。彼はトクリュウを操り、老人たちのタンスに眠る4兆円の「死に金」を、若者と国の未来のために強制循環させるという狂気の大義名分を持っていた。
蓮(れん)のハッキングに業を煮やした新城は、自らの手で特区の防犯システムを強制シャットダウン。トクリュウ最高幹部へ「本隊」の投入を命じ、邪魔者を根こそぎ潰しにかかる。
電子検問の壁が消え、特区の平穏は完全に崩壊。遠くから近づく無数の排気音の中、蓮と葵(あおい)は圧倒的な物量で押し寄せる犯罪集団との決戦を覚悟する。国家の異端児が放った刺客を前に、持たざる二人の命を賭けた「檻の中の戦争」が幕を開ける、激動の第6話!
午後8時。都心の超高層ビルの最上階にある、会員制のプライベートラウンジ。
眼下には、まるで基盤の上の光の粒のように、東京の夜景がどこまでも広がっている。
そのガラス窓の前に、完璧に仕立てられたスリーピースのスーツを纏った男が、一人で立っていた。
男の名は、新城。内閣府からこの「高齢者保護特区」の全権を委任されている、若きエリート官僚であり、この物語のすべての糸を引く男。
新城は、手元のタブレットに表示された特区の財政グラフを見つめていた。
そこには、トクリュウを使って吸い上げるはずだった高齢者たちの「裏資産」が、蓮のハッキングによって直前で遮断され、元の口座へと逆流していることを示す、異常なエラーログが刻まれている。
「……計算が狂っているな」
新城の声には、怒りすらなく、ただ機械的な冷徹さだけがあった。
背後の自動ドアが開き、1人の男が部屋に入ってきた。
高級なストリートウェアに身を包み、全身から隠しきれない血生臭さを放つその男は、警察の捜査網をすり抜け続けているトクリュウの最高幹部、通称「本尊」だった。
街の半グレたちを顎で使う凶悪な男が、新城の前では、まるで出来の悪い部下のように硬直している。
「新城さん……。現場の指示役(プロメテウス)の端末が何者かに乗っ取られました。世田谷のヤマの金も、特区内の下見データも、全部そのハッカーに毟り取られて――」
「言い訳は求めていない」
新城は振り返ることもなく、冷たく言葉を遮った。
「私が国権を動かして、目障りな警察(鬼塚)の令状を握り潰してやったのは何のためだ? 街のコソ泥に、国家のプロジェクトを邪魔させるためではない」
新城はゆっくりと振り返り、本尊をその冷徹な瞳で射抜いた。
「君は私のことを、権力に群がる官僚だと思っているだろう。……違う」
新城はグラスを置き、窓の外の夜景へと視線を戻した。
「私には、弟がいた。10年前に死んだ。消費者金融の多重債務で首が回らなくなって、最後は自分で終わらせた。享年26歳だ」
本尊が、息を呑む気配がした。
「弟は頭が良かった。だが、金がなかった。奨学金という名の借金を背負って社会に出て、報われない仕事を続けて、気づいた時には出口がなかった。……この国には、頭の良い若者を育てる金がない。なぜなら、その金は全部、老人たちのタンスの中で死んでいるからだ」
新城の声に、初めてわずかな熱が宿った。それは怒りとも悲しみとも取れない、長い年月をかけて煮詰められた何かだった。
「この【高齢者保護特区】に住む老人たちが、タンスの奥に隠し持っている『死に金』の総額は、推定4兆円。銀行にも預けられず、ただ社会の底で眠り続けているその巨額の現金を、トクリュウという『暴力の流動性』を使って一箇所に吐き出させ、この国の成長産業へ、そして次の世代の若者たちへと強制循環させる。それが、この特区の真の目的だ」
新城は再び本尊へと向き直り、その目から熱を完全に消した。
「誤解するな。老人が憎いわけではない。ただ、金には『流れる義務』がある。血液と同じだ。心臓の一箇所に溜め込まれた血は、やがて全身を腐らせる。私はただ、その詰まりを取り除こうとしているに過ぎない」
本尊の額から、タラリと冷たい汗が流れ落ちる。
「……でも、それは犯罪では」
「犯罪だ」
新城はあっさりと言った。
「分かった上でやっている。100年後にこの国が生き残っていれば、私のしたことは改革と呼ばれる。滅んでいれば、ただの悪党だ。……歴史とはそういうものだろう」
新城はタブレットを操作し、特区の防犯システムのマスターキーを表示させた。
「弟の話をしたのは、同情を買うためではない。……あのハッカーも、コンシェルジュも、この国に捨てられた側の人間だと聞いている。だから言っておきたかった。私の敵は、彼らではない。この国の、『流れない金』だ」
新城の指が、決定ボタンを静かに叩いた。
それが、特区の平穏を完全に終わらせる、開戦の合図だった。
同じ時刻。『グランドエイジ湾岸』のフロントロビー。
蓮のノートPCの画面に、これまで見たこともない巨大な「国家級の暗号プロトコル」が割り込んできた。
画面を埋め尽くす赤ランプ。
特区を囲む電子検問所のシステムが、内側から次々と「強制シャットダウン」されていく。
蓮の目が、かつてないほど鋭く見開かれた。
「……来るぞ。システムを上流から弄られた。検問の壁が、全部消えた」
カウンターの横で、葵が静かに立ち上がる。
彼女はコンシェルジュの制服の奥から特殊警棒を抜き出し、その冷たい金属の感触を確かめるように強く握り締めた。
「下見(スカウト)は終わりってことね」
「ああ。上が、トクリュウの『本隊』のストッパーを外した。……群れで、このタワマンを潰しにくる」
遠くの臨海道路から、無数の車の不気味な排気音が、雷鳴に混じって近づいてくるのが聞こえた。
ついに姿を現した、国家の黒幕・新城。
そして、その命令によって解き放たれたトクリュウの圧倒的な物量。
持たざる二人の、命を賭けた「檻の中の戦争」が、今、幕を開けようとしていた。
(第6話・完)
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