メインコンテンツへスキップ
見出し画像

花鳥風月には、まだ春が来ない♯4

    第4話 葉月

    あらすじ
    八月、風花は真司の言葉に救われたことで心が軽くなり、パフォーマンスにも自信と彩りが戻っていた。仕事帰りに訪れた「花鳥風月」では、太陽のように輝くマリーゴールドと、涼やかな錦玉羹、華やかなジャスミン茶が迎えてくれる。真司は風花の変化を優しく見抜き、彼女の努力を肯定する言葉をくれる。その温もりに胸を熱くしながら、風花は自分が確かに前へ進んでいることを実感する。
    オフの日にはパイナップルセージの香りに包まれ、南国の甘さを感じるココナッツジュースとパイナップルケーキを味わう。さらに特別な夜、偶然出会った真司に誘われ、店の屋根で花火を眺める。夜空に咲く光の花の下、風花は真司の優しい眼差しに胸を震わせ、夏の終わりの一瞬が永遠のように輝いていく。


     八月。
     じりじりと照りつける太陽は容赦ないけれど、私の心は、驚くほど軽やかだった。
     あの雨の日に真司さんのルーツを聞き、涙を流したあの日から、何かが決定的に変わったのだと思う。
    「風花、今の表情すごく良かったよ! その調子でいこう!」
     夏の大型フェスのリハーサル中、ダンス講師から初めてそんな言葉を掛けられた。
     隣で同じように汗を流す彩乃も、「なんか吹っ切れたね、風花」と嬉しそうに笑ってくれる。
     まだ、自分が『moonchild』のセンターになれるかどうかは分からない。数字のプレッシャーがなくなったわけでもない。けれど、今の私は「焦り」ではなく、純粋に「みんなを幸せにするパフォーマンスがしたい」という強い気持ちで、前を向いて走れていた。
     そんな充実した仕事の帰り道。
     夕方になってもまだ熱気の残るアスファルトを歩き、私はすっかり私の「居場所」になったあの扉を叩く。
     カラン、と涼やかな鈴の音。
    「いらっしゃいませ、風花さん。……おや、今日は何だか、とても素敵な表情をされていますね」
     カウンターの奥から、真司さんがすぐに私の変化に気づいてくれた。その声音が、いつもより少しだけ弾んでいるように聴こえて、それだけで胸の奥が甘く疼く。
    「はい! 実は最近、仕事がすごく上手く行き始めてるんです」
     いつもの特等席へ向かいながら、弾んだ声で答える。
     席に着いて真っ先に目に入ったのは、テーブルのガラス瓶に挿された、燃えるようなオレンジ色の花だった。丸くぎっしりと花弁が重なり合い、見ているだけで元気が湧いてくるような、生命力に満ち溢れた花。
    「……すごく元気をもらえる色ですね」
    「マリーゴールドです」
     真司さんはお冷やのグラスを置きながら、眩しそうにその花を見つめた。
    「太陽の花、とも呼ばれています。今の、前を向いて輝いている風花さんにぴったりだと思って、今日のために用意しておきました」
    「私のために……?」
     ドキリ、と心臓が大きな音を立てる。真司さんは「ええ、いつも頑張っていらっしゃいますから」と、どこまでも自然に微笑んで、厨房へと下がっていった。
     真司さんの何気ない一言一言に、私の心臓はいちいち忙しく跳ねてしまう。
     数分後、運ばれてきたのは、涼しげなガラスの器に乗った、息を呑むほど美しい和菓子だった。
     透明な寒天の中に、まるで本物の金魚が泳いでいるかのような、繊細な細工が施された『錦玉羹(きんぎょくかん)』。見ているだけで、夏の川の涼やかさが伝わってくる。
     そして飲み物は、ガラスのポットに淹れられた、澄んだ黄金色の『ジャスミン茶』だった。
    「本日は、冷たいジャスミン茶と、錦玉羹です」
    「綺麗……。食べるのがもったいないくらいです」
     まずは、よく冷えたジャスミン茶を一口。
     ──すごく、華やかな香り。
     すっきりとしたお茶の味わいのあとに、オリエンタルで甘いジャスミンの花の香りが鼻へと抜け、体にこもった夏の熱を一気に散らしてくれる。
     続いて、錦玉羹にそっと黒文字を入れ、口に運ぶ。
     ツルリとした冷たい寒天の食感のあと、上品な砂糖の甘みが優しく広がっていく。それを、少し独特な渋みのあるジャスミン茶ですっきりと流し込む。この組み合わせ、驚くほど完璧だ。
    「本当に美味しい。……真司さんのおかげで、私、もっと頑張れそうです」
     錦玉羹を見つめたまま、私は小さく呟いた。
    「僕のおかげ、ですか?」
    「はい。ここで美味しいお茶を飲んで、真司さんの話を聞いて……自分が1人じゃないんだって思えたから、私、自分の足でちゃんと立てるようになったんです。あの河川敷の草っ原で、真司さんが自然の音に救われたみたいに」
     私がまっすぐに見つめると、真司さんは少しだけ照れたように目元を緩め、それから本当に愛おしそうな表情で頷いてくれた。
    「それは、何よりです。あなたの努力が、あなた自身の彩りを輝かせた。僕はただ、そのお手伝いをしただけですから」
     カウンターの奥で微笑む真司さん。
     ふと足元を見ると、『風』が、私の足首に大きなふさふさの尻尾を優しく巻きつけ、まるで一緒に私の成功を喜んでくれているように、ゴロゴロと喉を大きく鳴らしていた。
     窓の外では、まだ夏のセミが賑やかに鳴いている。
     だけど、このマリーゴールドが咲く特等席には、優しくて、どこまでも心地よい風だけが流れていた。
    (第4話前編 了)

    八月の終わり。容赦ない日差しはまだ続いているけれど、夕暮れの時間だけは、ほんの少しずつ早くなってきた。
     夏の大型フェスを大成功で終えた。『moonchild』の勢いは止まらず、テレビの音楽番組や雑誌の取材で、私たちの毎日は目まぐるしく過ぎていく。
     そんな中、奇跡的に掴み取ったオフの日の夕方。私はやっぱり、吸い寄せられるように『花鳥風月』の扉を押していた。
     カラン、と静かな鈴の音。
    「いらっしゃいませ、風花さん。……今日は、お仕事帰りではないのですね?」
     カウンターの奥から、真司さんが私の服装を見て柔らかく微笑んだ。いつもなら仕事用の大きめのバッグを持っているけれど、今日は小さなサコッシュだけ。レッスン着でもなく、お気に入りの私服のワンピースを着ている。
    「はい。実は、めったにない完全なオフなんです。だから、どうしてもここに来たくて」
     いつもの一番奥の席に腰を下ろすと、テーブルの中央にあるガラス瓶から、とても甘くて爽やかな、南国を思わせる香りがふわりと漂ってきた。
     そこに挿されていたのは、鮮やかな赤い筒状の花と、みずみずしい緑の葉。
    「……すごく甘い、良い香りがします。どこかパイナップルみたいな……」
    「正解です」
     お冷やを持ってきた真司さんが、嬉しそうに目を細めた。
    「『パイナップルセージ』というハーブの花です。葉を少しこするだけで、本物のパイナップルのような香りがするんですよ。夏の終わりにぴったりの、陽気なハーブです」
     真司さんはそう言うと、「オフの日の特製です」と悪戯っぽく微笑んで、厨房へと下がっていった。
     数分後、運ばれてきたのは、見るだけで喉が鳴るような、南国の色彩を放つドリンクだった。ガラスのグラスに注がれた、乳白色の『ココナッツジュース』。
     そしてお皿の上には、四角くこんがりと焼かれた、香ばしい『パイナップルケーキ』が乗っていた。
    「本日は、ココナッツジュースと、自家製のパイナップルケーキです。香りのペアリングを楽しんでみてください」
    「いただきます」
     まずは、ココナッツジュースを一口。
     ──すっきりしていて、優しい甘さ。
     独特のコクがありながらも、ゴクゴクと飲める清涼感が、火照った体にじんわりと染み渡っていく。
     続いて、パイナップルケーキをフォークで割り、口に運ぶ。
     サクサクとしたバター風味のクッキー生地の中から、じっくり煮詰められたパイナップルの濃厚な果肉と、凝縮された甘酸っぱさがジュワッと溢れ出してきた。
     それをココナッツジュースで追いかけると、口の中で完璧な南国のデザートが完成する。テーブルの上のパイナップルセージの香りが、その味わいをさらに引き立てていた。
    「美味しい……。本当に、真司さんは魔法使いみたいですね」
    「ただの食いしん坊なだけですよ」
     真司さんはカウンターに腕を置き、ふと、思いついたように私を見つめた。
    「そういえば、風花さんは、休日はいつも何をされているんですか?」
    「え……」
     心臓が、ドクンと跳ねた。
    『アイドルの風花』の休日は、大半が自主レッスンや、他のアイドルの動画を観て研究すること、あるいは、今日みたいに変装してひっそり出かけること。本当のことは、まだ言えない。
    「うーん……そうですね。普段は、友達と街をあてもなく歩いたり、家で音楽を聴いたり、ダンスの動画を観たり……することが多い、かな。真司さんは、やっぱり山へ録音に行ったり、お菓子の試作をしたりですか?」
     慌てて話を振ると、真司さんは「そうですね」と少し遠い目をして笑った。
    「大体は、『風』を連れて河川敷へ散歩に行ったり、新しいお茶の仕入れを考えたりしています。あとは……ただひたすら、静かに流れる時間を眺めているだけの、何もしない休日も多いですよ」
     何もしない、休日。
     常にスケジュールと数字に追われている私にとって、それは何よりの贅沢に思えた。この人は、休日でさえも、私に足りない「穏やかな季節」を生きている。
    「いいなぁ。今度、真司さんの何もしない休日、私に少しだけ分けてください」
     冗談めかしてそう言うと、真司さんは一瞬だけ驚いたように目を見張った。それから、ひどく優しい眼差しになって、静かに頷いた。
    「ええ、いつでも。ここに来てくだされば、いくらでも分けてあげられますよ」
     その言葉に、胸の奥がぎゅっと締め付けられるように熱くなる。
     足元では、『風』が、私のワンピースの裾を大きな前足でちょこちょこと触りながら、甘えるように喉をゴロゴロと鳴らしていた。
     夏の終わり。パイナップルセージの甘い香りに包まれながら、私はこの時間が、ずっと、ずっと続けばいいのにと、祈るようにココナッツジュースの氷を揺らしていた。
    (第4話後編 了)

    特別回

     それは、本当に偶然が重なった夜のことだった。
     急に決まったテレビ収録のバラし(キャンセル)。ぽっかりと空いた夏の日の夜八時、私は気づけば、いつもの路地裏へと足を向けていた。
     連絡もなしに突撃するなんて迷惑かな、と思いつつも、真司さんの顔が見たくてたまらなかった。
     けれど、路地の奥に見えた『花鳥風月』は、すりガラスの向こうが真っ暗だった。木製の扉には『本日休業』の小さな札が下がっている。
    「あ、そっか……今日はお休みだったんだ」
     トボトボと引き返そうとした、その時だった。
    「──風花さん?」
     背後から、聞き慣れたあの穏やかな低音の声がした。
     振り向くと、そこにはいつものエプロン姿ではなく、地味なTシャツにサンダルという、完全にオフ姿の真司さんが立っていた。その手には、お祭り帰りの子どもみたいに、小さな紙袋が握られている。
    「あ、真司さん! すみません、お休みだって知らなくて……」
    「いえ、謝らないでください。今日は近くの河川敷で大きなお祭りがあって、店の方も早めに閉めてのんびりしていたんです。これ、その帰りに見つけて、つい買ってしまって」
     真司さんは少し照れくさそうに、手元の商品名の書かれた紙袋を少し持ち上げてみせた。甘い、香ばしい匂いが漂ってくる。『ベビーカステラ』だ。
    「あの……もしよければ、少し寄っていかれませんか? ちょうど、もうすぐ面白いものが、特等席から見える時間なんです」
    「特等席……?」
     真司さんは悪戯っぽく微笑むと、店の裏手へと私を案内した。そこには、二階の住居兼倉庫へと続く、小さな鉄製の非常階段があった。
    「気をつけて登ってくださいね」と言われ、スカートの裾を気にしながら一段ずつ登る。階段の先は、なんとお店の平らな屋根の上のスペースへと繋がっていた。
     夜風が、生温かくも心地よく髪を揺らす。
     真司さんは一度部屋に戻ると、冷たい麦茶がなみなみと注がれた大きめのグラス二つと、レジャーシートを持って戻ってきた。
    「どうぞ。椅子がなくてすみません」
    「ううん、なんだか秘密基地みたいで、すごくワクワクします!」
     シートの上に並んで腰を下ろす。肩が触れそうなほど近い距離に、心臓が小さく跳ねた。
     真司さんは紙袋を開けて、「温かいうちにどうぞ」とベビーカステラを差し出してくれる。
    「いただきます」
     丸いカステラを指でつまんで、口に放り込む。
     素朴で、どこか懐かしいハチミツの甘さと、ふんわりとした生地。それを、キンキンに冷えた香ばしい麦茶で流し込む。高級なお菓子じゃない。でも、真司さんと並んで食べるこの味は、どんなスイーツよりも贅沢に感じられた。
    「真司さん、面白いものって──」
     私が訊ねようとした、その瞬間だった。
     ──シュルシュルシュル……、ドンッ!!!
     地響きのような重低音とともに、夜空の向こうが、パッと鮮やかな大輪の光に染まった。
    「わあ……っ!」
     思わず声を上げて立ち上がりそうになる。
     夜空に広がったのは、巨大な、まばゆいばかりの金色の花。少し遅れて、パラパラと火花が散る音が降ってくる。河川敷で行われている花火大会の打ち上げ花火が、この遮るもののない屋根の上から、完璧な特等席として見えていた。
    「綺麗……」
     次々に打ち上がる赤、青、緑、紫の光。
     まばゆい光に照らされる街並みを見つめながら、私はぽつりと呟いた。
    「本当に、空に咲く大きな花みたいですね」
    「ええ、本当に」
     真司さんの声が近くで聞こえて、私はハッとして隣を見た。
     真司さんは、夜空の花火を見ていなかった。
     打ち上がる光に照らされて、色鮮やかに変化する私の横顔を、ただじっと、ひどく優しい眼差しで見つめていたのだ。
    「風花さんは、花火に負けないくらい、本当に彩り豊かな人です」
     真司さんは静かにそう言うと、また夜空へと目を戻した。
     その横顔を見つめながら、私の胸の奥は、花火の熱気がそのまま移ったみたいに、熱くて、苦しくて、どうにかなりそうだった。
     足元では、『風』が私の膝の上に大きな顎を乗せ、夜空の光を不思議そうに見つめている。
     大きな花火が夜空に咲いては、一瞬で消えていく。
     このまぶしい夏が、いつか終わってしまうとしても。
     私は麦茶のグラスをぎゅっと握りしめながら、ただ隣にある温もりを感じていた。
    (特別回 了)

    第5話へ

    マガジンへ

     
     
    小説書きの投思考です。あなたの日常に、少しだけの非日常を。 【更新コンテンツ】 ・Web小説の連載 ・プロットやキャラクター設定などの創作裏話 ・詩創りもハマり中 気軽に作品を覗いてみてください。フォローいただけると励みになります!

    あなたへのおすすめ