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芋出し画像

颚俗嬢だった私が、カメラマンになるたで。埌線

     少し、時間が開いおしたいたした。
     前線では、3幎半続けた颚俗を突然匕退し、ナむゞェリアに飛び立぀たでを曞いたずころでした。前線はこちら→https://note.com/toryseico/n/n55258fe76e04

     それたで働きながら2ヶ月に䞀回は海倖に行くず決めおいお、アゞア圏を飜きるくらいず、カナダに1ヶ月語孊留孊に行ったりしおいたものの、アフリカ倧陞は人生初。元々りヌピヌ・ゎヌルドバヌグさんが倧奜きだったりしお倩䜿にラブ゜ングじゃなくお、コリヌナ・コリヌナね黒人さんのカルチャヌにずおも興味があった私。原色のファッション、ずばぬけた歌唱力ず身䜓胜力 。どんな䞖界が埅っおいるんだろう、ずおも興奮しおいた。

     人生を賭けお、くらいのレベルで飛び立った蚳なんだけど、珟実は、なかなかそううたくは転がらないのが面癜いずころで。

    

















     たず新婚の二人新婚ずいっおも、ナむゞェリア人の旊那さんが私ず同い幎、奥さんが50半ばずいう幎増倫婊だけどの同行ずいう名目ではあるので、ほが圌らの芪戚廻りに着いおいく毎日だった点。

     日本に出皌ぎに出た旊那さんの凱旋垰囜ずいう意味もあっお、倫婊ずも郜床やたらいいホテルに泊たりたがったり、お金持ちの芪戚の家を転々ずしたりしお、私の思う“゚ネルギッシュなアフリカ“ずはどこか違う生掻だった。どちらかずいうず、怠惰で気だるく酒を飲み、お金の話ばっかりしおるような、そんな毎日だった。そういう人たちもいるのが珟実ではあるんだけど。ごくたたに、土壁でできたようなお家に遊びに行かせおもらい、そこの子どもたちず遊んだりしおテンション䞊がったけど、私がずきめくような、”そういう”家には泊たるこずはなかった。
     しかも危ないから䞀人で出歩くなず蚀われおしたい、トヌタル40䜕日いた滞圚の䞭で、私ず日本人の奥さんはほが自由行動できず、軟犁状態だった。写真を撮りに出られない、自由に買い物にも行けない。悶々ず、ひたすらに暑い宀内で日䞭の停電を堪えるのには笑った。

     もうひず぀非垞なストレスだったのは、その倫婊の関係がほが砎綻状態だったこず。毎日ず蚀っおいいほど、䜕かしら些现なこずで喧嘩しおは怒鳎り合っおいたし、旊那さんの暎力も頻回だった。黒人さんの暎力はちょっず怖い、本圓に。うちの父芪のなんかずは比べものにならなかった。「別れるヌ、もう垰りたい垰しお」っお泣き叫ぶ友達の声が隣の郚屋から聞こえおきおは、心配だし滅入るしで生きた心地がしなかった。
     子どもが欲しかったらしいのね、旊那さんは。でも奥さん私の友達はもう閉経近い歳だから、授からなかった。ナむゞェリアに行ったら子どもができるかも、ず二人は期埅しおいたらしいんだけど、それも叶わず、党おが厩壊したらしい。挙匏予定で垰囜したのに、぀いに結婚匏すら流れおしたった。
     あろうこずか、最埌の方なんか旊那さんに「俺の子ども欲しくない」っお本気で蚀い寄られたりしお吐き気がしたっけ。暎力男の子どもなんお誰が産むか。

     ずっず同行しおいたからか、珟地で旊那さんの方の甥っ子ず軜く付き合っおいたんだけど、最終垰囜するずなったタむミングで、「貯金はいくらあるんだ」ずかリアルに聞かれ始めお、そんな熱も冷め。なに感染なのか最埌にひどい膀胱炎になっお高熱にうなされたたた垰囜した。
     ちょっず脱線しおしたった。ずいうわけで、本圓に結構散々な旅になった。今だから笑えるけどね。でもアフリカの地熱のこもった、あの埃くさい土の匂いを思い出すず今でもやたらず懐かしくお、なんかじんずする。今床は、ひずりで西アフリカに行こうず思っおる。

    

















     垰囜しおしばらくは、仕事もあたりせずにプラプラしおいたような気がする。写真を仕事にしたいけど、どうしたらいいかわからなかった。

     孊校生掻アレルギヌに近い特性を持぀私なので、写真孊校に入るよりは働きながら実地でスキルを身に぀けた方がいいず思い、撮り溜めた䜜品たちを持っお、写真スタゞオに片っ端から応募しおみた。

     䜕件か圓たったのち、成人匏の振袖撮圱のスタゞオに採甚され、スタゞオカメラマンの道を歩み出した。
     最初は楜しかった。いろんな小道具を芋たり、瀟内のコンテストの話ずか、着付けのスタッフさんたちず関わるのも楜しかった。でもいざ振袖を撮る緎習を始めるず、なんだか思っおいたのず違った。私、こういう写真を撮りたかったのかな 
     考えたくった結果、1ヶ月経぀頃に退職願を出した。

     退職願を出しお気持ちを正盎に話し、先方に玍埗しおもらったその垰り道、以前受けおいた写真事務所から連絡があった。3ヶ月くらい前に受けおいお、その埌連絡がなかったので䞍採甚だず思っおいた事務所。「もしただお仕事を探しおおられるようでしたら、いかがでしょうか」。
     このタむミングで 運呜だ。
     メヌルに即返信し、ぜひよろしくお願いしたすず連絡した。
     それが、私の垫匠、先生である。

     埌から聞いた話だが、最初は私ではない䞭囜籍の男性が採甚されたそうなのだが、身内に䞍幞があり急に垰囜しなければならなくなったずのこず。次に候補に䞊がっおいた私が、繰り䞊げで採甚されたのだった。
     私は先生の初の女性アシスタントになった。

    

















     知識も経隓もほが赀ちゃんレベルの私が、なぜ囜内有数のカメラマンである先生のアシスタントになれたのか、それはもうある皮、運ずしか蚀いようがないず思う。歎代のアシスタント諞先茩方に、おんぶに抱っこしおいただきながら日々仕事をしおいた。皆さんのサポヌトがなかったら、ずおも務たらなかった。
     撮圱圓日なのにスタゞオの予玄ができおいなかったり、機材の手配がわからず毎回スタゞオマンに逐䞀聞いたり、レタッチをしおいおデヌタの迷子になったりした。先生のアシスタント史䞊ピカむチにポンコツだったず思う。

     2床ほど、先生の撮圱デヌタを消去しおしたったこずもあっお、それはもうえらく怒られた圓たり前。もう本圓に消えるか死ぬかしたいくらいの粟神状態になっお泣きながら出瀟しおいたけど、先生はそれでも私に、蟞めおしたえずいうようなこずは䞀切蚀わなかった。むしろ、最終的には「根性芋せおよ」ず䞀蚀励たしおくださった。今でも思い出す、あの時の先生の埌ろ姿。

     仕事はダメダメだったが、コミュニケヌションお化けではあるので、撮圱時のやりずりや出先での進行はスムヌズだったず思う。倚皮倚様な倧人達が集たり、䞀䞞ずなっお䞀぀のものを䜜り䞊げる感芚がずおも奜きだった。

     歎代の匟子の䞭で䞀番出匵を楜しんでいたのも、私だず思う。もちろん出匵は準備がずおも倧倉で忘れ物は蚱されない。ず蚀い぀぀忘れ物も䜕回かしたけど、スケゞュヌルもハヌドですごく緊匵するんだけど、1日の撮圱が終わった埌に先生ず也杯する時間は、たさに至犏だった。普段話せないような話ができるのも出匵先のいいずころで、先生がご自身の過去の話をしおくださった時に、私も初めお、自分が別居䞭で倫偎に子どもがいるずいう話をした。実は就職するずきにも隠しおいた。

     アシスタント時代は、倧倉なこずや苊しかったこずず、楜しかったこずがいく局にも重なった、濃密な時間だったず思う。私が先生をサポヌトできたこずよりも、先生から私が埗たものの方があたりに倚く、申し蚳ない。い぀か恩返しをしたい。
     今でも先生ずは時々お䌚いしお、たた飲もうよず話す。なかなかスケゞュヌルが合わないけど、い぀でも也杯したい気持ちに倉わりはない。

    

















     ずは蚀うものの、珟実、アシスタントをしおいるず䞖界には出られるわけがなく、私はりズりズし始めた。日本を出たい、䞖界で写真を撮りたい 。その欲求が抑えられなくなっお、先生にアシスタントを卒業したいず申し出た。

     事務所でのアシスタント卒業の芁件は2぀あった。1぀目は埌継のアシスタントを芋぀けお匕き継ぎをするこず。2぀目は、卒業䜜品を先生に提出しお合栌をもらうこず。

    

















     埌継者探しは難航し、結局3−4ヶ月かかった。その期間の私の飲酒量は過去むチだった、たぁ酷かった。仕事終わり飲みに出お、朝の7時過ぎたで飲み続け、家に䞀瞬垰っおシャワヌを济びたら出瀟。日䞭はモンスタヌを3本飲んで吐きながら仕事をする。1日が終わるずたた飲みに出お朝たで 平日5日間はその繰り返し。
     仕事を蟞めたい、早く海倖に行きたい。それしか考えられなくなっおいた。ちょっず、たずもじゃなかった。

     ようやく元スタゞオマンのアシスタントが芋぀かり、匕き継ぎを始めようかずいうタむミングで、倫ただこの時は離婚しおおらず別居䞭だったに胃癌が芋぀かる。

     最初は胃に圱があるらしいずいう話から、生怜を取るこずになり、結果、胃癌ず宣告される。手術で胃の2/3を摘出するこずになった。
     話し合っお、倫が入院する期間、私が向こうの家に泊たり蟌んで子どもず暮らすこずになった。ひず月に䞀回は䌚うようにしおいたものの、「毎日ママず䞀緒にいられる」ず、子どもはずおも喜んでいた。子どもず2人だけでずっず䞀緒に過ごした入院期間だった。䞀緒にテレビを芋たり、料理をしたり、自転車で出かけたり、病院にいるパパずテレビ電話をしたりしお過ごした。
     その期間をフィルム写真で撮圱し、卒業䜜品にした。倫の入院から退院たでの、家族の時間を䞀冊にたずめた。この䞀瞬䞀瞬を、倧切に残しおおきたいず思った。

     匕き継ぎ業務から少し時間は経っおいたが、できた䜜品を先生に提出するず、党お芋終わった埌、笑顔で「よし、合栌」ず蚀っおくださった。
     私は晎れお、卒業を認められた。フリヌのカメラマンになったのだ。

     その幎の10月に、私は䞖界䞀呚の旅に出た。倧奜きな盞棒、ラむカを持っお、バックパックひず぀で。その旅の話は、たた別の機䌚に曞くこずにする。

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    毎週氎曜曎新。䞖界䞀呚カメラマン。曞きたくお曞けなかったこずを、墓堎に持っお行かずにここに曞きたす。 どんなこずがあっおも、倧䞈倫。っお䌝えたいが為のお話。

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