桜が花開く季節になると、まぶしくて胸が苦しくなる。
桜が咲き、
新しい生活が始まる時期ですね。
胸が弾んでいる人もいれば、
緊張して落ち着かない人もいると思います。
ただ、進む道も、
生き方も人それぞれです。
そのはずなのに、
誰かが決めた「普通」を押しつけられることはないでしょうか。
私は昔、
「普通になりたい」とよく思っていました。
不登校になって、
レールから外れてしまったことで、
普通だと思っていたことが、憧れに変わったのでしょう。
それまでは学校に行き、
大学を卒業したら、どこかに就職するというのが、普通のイメージでした。
そして、友人や同僚と交流したり、
恋人と結婚して家庭を築いたりするのが、
一般的な幸せの象徴として、頭にこびりついていたのです。
私は長い間、
その刷り込まれた「普通」に、苛まれていました。
「普通」とは、いったいどういうものなのか、今でもよくわかりません。
それでも、春になるたびに、
一人だけ取り残されていくような焦りに駆られたもので、
それは変わらず感じています。
不登校になってからは、
つらいことを反芻する時間だけはあって、これが地獄のようでした。
そのせいか、
私は「死にたい、消えてしまいたい」と毎日のように思っていました。
もし、あなたがそういう思いをしているのなら、
あなたは悪くないと言いたいです。
そうやって、
周りの「普通」に合わせて真面目に生きている人ほど、
追い詰められていくような構造になっている。そう思えてなりません。
他の記事でも触れましたが、
私は「いじめ」に遭ったことがあります。
ありがちなことに、
復讐を想像しては目が冴えました。
復讐は、誰でもすっきりとした気持ちになりやすいのか、
フィクションでもよく見かけます。
私自身、
そういう作品を書いてみたくなったものです。
しかし、お世話になっている先生からのアドバイスもあって、
私らしさを加えつつ、少し趣向を変えてみました。
「桜」は、SFやファンタジー要素を入れつつ、
「いじめ」をテーマにしています。
いじめられていた当時、
私はいじめられているという自覚が、ほとんどありませんでした。
私がイメージしていた「いじめ」とは、
違っていたからなのかもしれません。
いわゆるガキ大将、
「ドラえもん」のジャイアンのようなタイプに振り回されて、
逆らうと仲間外れにされたり、嫌がらせを受けたりする、そんな日々でした。
裏を返せば、
逆らわなければ、露骨な「いじめ」に遭うことはなかったのです。
むしろ、庇護下にあるような格好になっていたので、
共依存に近い関係性だったのでしょう。
そのせいか、いじめの主犯格だった人のことは、
思い出しても意外と怒りが芽生えにくいのです。
私が思い返して、
腹の底から湧いてくる怒りは、虎の威を借る狐に対してでした。
今でも、鮮明に蘇ってきます。
あくまで私の場合はですが、
いじめの主犯格になるタイプは、やりすぎて悪目立ちしていました。
最終的には、身から出た錆で、
それなりに痛い目に合っていました。
だから、溜飲が下がったのだと思います。
その一方で、
取り巻きである虎の威を借る狐はただ楽しんでいるようで、
積極的に加担している人でも、何もお咎めがありませんでした。
一人では何もできないくせに、
私から見えるところで、ひそひそと陰口を叩いて、せせら笑っているのです。
そういう人が今頃、
「普通」の人生を生きて、幸せになっているのではないかと思うと、
腹の底から湧いてくる「許せない」という気持ちに襲われたものです。
私からすれば、
その腐った性根を思い出させたいですし、
いつまでも後悔し続けてほしいのかもしれません。
「桜」では、
そんな想いが展開に反映されています。
もし興味を持っていただけましたら、
私のサイトですべてご覧いただけるので、
お立ち寄りいただけると幸いです。
生きていると、
はらわたが煮えくり返りそうな出来事に直面することもあります。
あなたには、
ずっと忘れられないような、腹の立つ出来事はありましたか?
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