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メルヘンチック⑨所沢

    執筆日⑨2026年10月02日

     彼女の千代へ正直にこれまでの状況を説明した。

     今働いているスリーエフカンパニーは広告代理店であるが、同時に女子大生を中心としたキャンペーンガールの在籍があること。

     畑みずきは、その中の一人でしつこく男を紹介してほしいと言われたこと。

     千代が急に会いたいと迎えに行った日が、小林昌彦とみずきを紹介させる日だったこと。

     あの日のゴリとオッサはただのオマケだったこと。

     ヤキモチを焼かせないために、二人が付き合っていることにしてほしいと自分が頼んだこと。

     小林がフラれ、そのあとゴリがみずきへ好意を持ってしまったこと。

    「何で最初に誤魔化すの?」

    「だからそれはおまえに気を使ってさ……」

    「私は龍一が好きなの! だから他の女の人と、そんな接触しないで」

    「でもさ、ゴリが本当にしつこいんだよ」

    「じゃあ、私が千夏に頼まれたからって、誰か他の男の人に内緒で動いてもいいんだ?」

     相手の立ち位置で言われると、確かに俺のしたことは最低だった。そして一瞬とはいえ、畑みずきに心を動かされたことに対し、罪悪感を持った。

     ゴリのためではなく、みずきに近付くのはやめておこう。本来恋愛など、自分でどうにかするものなのだから。

    「ごめんなさい。もっと千代を大事にします」

     また毎日のように千代と会い、ラブホテルへ行って抱く生活が訪れた。彼女の門限が夜七時という謎の家族ルールは面倒だったが、それでも充実した生活を送る。

     ゴリからは毎日のように電話が入った。出るとみずきを紹介しろとうるさいだけなので、居留守を使うようになる。正直どうでもいいことで、自分の幸せを壊されるのはごめんだった。

     家の車を使って送り迎えもキチンとしていたが、ある日を境に千代の母親から「神威さん、お茶ぐらい飲んでって下さい」と家の中へ招かれるようになる。正直嫌だったが、彼女の親なので断れずにいた。そんな気を使うぐらいなら、門限を伸ばしてほしいものだ。

     社長の平子の要望はどんどんエスカレートしていく。

     手渡しの現金支給の給料日。十数万円の金しかない俺を、自分の行きつけのバーへ連れて行かれた。自分がお気に入りのキャンペーンガールも呼び、派手な飲み方をしている。

    「今日は神威君、金持ちだからなあ」

     そう言って本当に会計を押し付けて帰っていく平子。スリーエフカンパニーで働き出して数ヶ月。十歳離れたこの男には、嫌気が差していた。

     常にうちの車を自分の会社の仕事へ使おうとする図々しさ。仕事が忙しくなると、平気で俺を缶詰め状態にしての徹夜。何よりクレジットカードを作らせ、二十三万のワープロをローンで買わせたこと。

     考えれば考えるほど、普通自分のところで使う人間にそんなことをするかと思ってしまう。

     ただ高校生の千代に、こんな愚痴をこぼせない。仕事を終わると彼女を迎えに行き、七時になれば家に帰す。そんな淡々とした日常を過ごした。

     やがて「神威さん、悪いけどこれ銀行振り込みをお願いできないかしら」や「この商品を買ってきて下さらない」など、使いっ走りのような事を頼まれるようになった俺。仕事中に抜け出して銀行へわざわざ行くのは大変だ。

     送り迎えでお茶を一杯出されても、ガソリン代や小間使いを考えると負担にしかならない。

     ジレンマの溜まった俺は、千代へ彼女の親の批判をするようになる。

    「ねえ、千代…。悪いんだけどさ、千代の親に、毎回毎回あれしてくれ、これしてくれって俺に頼むの、やめさせてくれないかな?」

    「でも……、お母さんに文句なんて言えないし……」

     仕事でも千代の家でもストレス。ましてや家に帰ればゴリからの電話。こんな日々が嫌になってきた。

     会う度、千代へ文句を言う回数が増える。自分の親の悪口を言わないでくれと、この頃から関係がギクシャクしだした。俺が言っているのは悪口ではない。何かを頼むのをやめてくれと言っているだけだ。そういくら説明しても、まだ高校生の千代には悪くいわれたようにしか取ってくれない。

    「ごめん…、もう別れよう」

     限界を感じ静かに言った。すると次の日から千代は登校拒否を起こした。

    「神威さん、うちの子が家にいないんですけど」

     千代の親から電話が初めて掛かってきた時、俺は車を飛ばして川島町へ向かう。彼女の家の周りをみんなで探し、自殺でもしないかと大慌てする。

     結局家の屋根の上にいるのを見つけ、ひと段落したが、この日は仕事を休まざるを得ない形になり、平子から酷く叱責された。

     別れられず、下手なことを何も言えなくなった俺。

     ある日彼女の家へ招かれた時「神威さん、うちへ婿に来るつもりはありますか?」と聞かれる。

    「いや…、あの…、まだ自分は二十歳ですし」

     そう、しどろもどろに困っていると、彼女の親は威勢よく大声を出した。

    「うちの子は鈴木家の長女です。嫁に出すつもりはありませんから」

     えーと…、この人たち何なのだろう? 千代はまだ高校生。俺も今の会社で先行き不安。ましてや一度だって結婚したいと言った覚えはない。

     門限、使い走り、重い話は、まだ二十歳だった俺にはストレスにしかならず、千代へあの親を何とかしてくれと愚痴をこぼす。

    「私の親の悪口を言わないで」と頑なな彼女。

     俺は努の店で、もそもそと食事をするぐらいしか平穏が訪れなくなってしまった。いつも陽気で馬鹿笑いの渦の中にいると、深刻に考えているのが阿呆らしくなってくる。

     それでも時間になれば、スリーエフカンパニーに行き仕事。終われば千代を迎えに行き、七時へ送り届ける。すると鈴木家にまた上がらされ、何かしらを言われるか頼まれるだけ。

     もう本当にいいや。自然とこの子と付き合っていくのは無理だと感情が冷めていき、完全な無視をすることに決めた。千代の親はすごかった。家にまで電話をしてきて、俺が出ないと家族にも「うちの子が泣いてますけど」と文句を言う。

     家族からも文句を言われ、会社に行けば平子は何かしら利用してくる現状。

    「ねえ、神威君のおじいさんって、天皇陛下から勲章をもらってんでしょ? 政治家の後援会長だもんね。今度さ、おじいさんのコネ使って仕事取ろうよ」

    「あの…、本当にそういうのやめてもらえませんか?」

    「馬鹿だなあ、コネなんて使って何ぼだよ」

     さすがにこの一言が原因で、スリーエフカンパニーを辞める事にした。そして何度も来る鈴木家の電話に対し、仕事も辞めたので放っておいてくれと懇願する。


     無職で毎日遊び歩いていれば、あっという間に金など無くなってしまう。まだワープロのローンだって残っている。そんな時、ゴリがファミレスで一度だけ奢ってくれた。

    「悪いな、ゴリ」

    「いいんだって。たださ、畑さんのこと本当に頼むよ」

     確かにこのハンバーグの借りは返さないといけない。俺は畑みずきへ連絡して次の日曜日、ゴリと遊園地へ行かせる約束を取り付けた。

     もうほとんどCPLのメンバー大田史典と会い、愚痴をこぼす機会が増える。働かないと金も無い。仕方なく変な教材売りの仕事をし始めると、同じ職場に小学時代からの同級生の岩崎宗典も偶然いた。

     仕事を終えたら、食事をする相手がチャブーになる俺。そこまで金が無い俺たちの行き場所は、決まって努の小汚い定食屋だった。

     今日は日曜日。目を覚ますと昼だった。

     畑みずきとの遊園地行きが決まったゴリは、言葉では表せないぐらいの大ハシャギをしていた。今頃、二人で西武遊園地に向かっているだろう。

     自分の事さえ疎かになっているのに、俺は一体何をしているのだろうか。あの時、みずきの誘いに乗っていたら今頃……。

     ベッドに寝転んだまま、ゴリと畑みずき、二人の様子を想像してみる。駅周辺で待ち合わせをして、ゴリが車で迎えに行く。車に乗ったはいいが、口下手なゴリ。何故私は今、この人と西武遊園地に一緒に行くのだろうかと考えている畑みずき。

     よくよく考えてみると、俺は畑みずきにとても酷い事をしてしまっているんじゃないか……。

     家の電話が鳴るのが聞こえる。家の中は俺一人だった。ベッドから起き上がるのも面倒だったが、俺が出るしかない。気怠い体を起こし、電話に向かう事にした。

    「もしもし、神威です」

    「あ、神威さんですかー」

    「あれ、畑さん?」

     独特な発音、語尾が伸びる特徴ある喋り方から一発で畑みずきだと分かった。

    「どうしたの、こんな時間に? ゴリと西武遊園地行ってるんじゃないの?」

    「聞いて下さいよー」

    「あ、うん。どうしたの?」

    「今日、朝の十時に川越駅の改札口で待ち合わせしたんです」

    「うん。それで……?」

     まずは想像した通りの展開だ。

    「私、てっきり車で来ると思ってたんですけど、岩崎さんは歩いてきたんです」

    「へー、そりゃー珍しいね」

    「別にそんな事はどうでもいいんですけどー……」

    「うん」

    「神威さんだったら、もし、西武遊園地行く事があったらどうやって行きますか?」

    「うーん、普通に考えりゃ本川越から小平で乗り換え、そのまま西武遊園地行きに乗れば、普通に行けるでしょ。でも何で? 今、ゴリは一緒じゃないの?」

    「あの人、ちょっとおかしいですよ」

     みずきの言葉にギョッとした。

    「何かされたの?」

     恐る恐る聞いてみる。

    「ううん、それはないですけど……」

    「じゃあ、何で?」

    「自分から電車で西武遊園地に行こうって言っといて、新秋津って駅に行っちゃったんですよ。私は普段、あまり電車乗らないから、何も考えないでついて行っちゃったんですけど」

    「何でまた新秋津なんかに行ったの?」

    「そんなの知らないですよっ!」

     珍しくみずきにしては興奮して口調が強くなっていた。

    「それからどうなったの?」

    「遊園地に行くじゃないんですかって岩崎さんに尋ねたら、あの人、本当に電車を乗り間違えたらしくて…。普通行き方が分からなくても駅員さんとかに聞けば、すぐ分かる事じゃないですか? 何で新秋津に着くまで何も分からないのかなと思って……」

    「ゴリは何て言ってたの?」

    「いやー、俺は西武遊園地行った事がなくてさーって、行ったきりその場でモジモジしてるだけだったんで、川越に戻って来ちゃったんです」

     あの馬鹿…、本当に大馬鹿だ。頭が悪いとは思っていたけど、ここまで悪いとは思いもしなかった。何で毎回毎回大切なチャンスを自分のドジで潰してしまうのだろうか……。

    「あいつはどうしてるの?」

    「川越までは一緒に戻ってきたんですけど、それからもずっとモジモジしてるので、これから神威さんの家でも行きますかって言ったら、あいつの家に行ったって何も無いよって…。じゃあどうするんですかって聞いたんです。そしたらまたモジモジして黙ったままだから、私だんだん頭痛くなってきて、もう帰りますって帰ってきたんです」

     今までの鬱憤を晴らすかのようにみずきの声には迫力があった。凄い剣幕だ。

    「そうか…。本当にごめんな、畑さん」

    「何、言ってんですか。別に神威さんが悪い訳じゃないんですから」

    「いや、あいつがあそこまで大馬鹿だとは思わなかったからさ…。実際、畑さんに嫌な思いさせちゃったしね」

    「それは神威さんのせいじゃないですよ。でも悪かったと思ってるなら、またご飯ご馳走して下さいね」

    「うん、それはもちろん」

    「じゃあ、私は疲れたので今日はもう休みますね」

    「うん、おやすみ……」

     彼女との電話を切り、俺はコーヒーを作って一息入れた。前の横川文江の件にしてもそうだけど、何であいつはあんなにドジなんだ? そう考えていると、一生懸命身を粉にして協力している自分が馬鹿らしくなってくる。

     その場で煙草を吸いだし三本目を吸い終わる頃、電話が鳴った。俺にはその電話が絶対にゴリだという確信があった。

    「はい、もしもし」

    「あ、神威さんのお宅ですか?」

     確信通り電話はゴリからだった。ゴリの声は恐る恐るといった感じで、震えている。

    「俺だよ。何か用か?」

    「あ、神威か…。い、いやー…、わりー…。あ、あのさー…」

     さっきの畑みずきの言った出来事を思い出すと、こっちまで頭が痛くなってくる。

    「もういいよ。さっき畑みずきから連絡あってすべて聞いたよ…。全部言いたい事、分かってるから」

    「ん…、ああ……」

     少しの間、俺とゴリは沈黙した。いくら待っていてもゴリから口を開く事はなさそうなので、こちらから話す事にした。

    「ドジ」

    「ん…、ああ……」

    「何で西武遊園地に行くのが、新秋津に行くんだよ」

    「わりー……」

    「別に謝れなんて俺は言ってんじゃないよ。何で新秋津に行ったんだって聞いてんだよ。そもそもあの駅にどうやったら行けるんだ? そこを知りたい」

    「い、いやー、何でだか俺だって分かんねーよ」

    「はぁー……」

    「ため息なんてつくなよ」

    「うるせー、人の苦労をすべてそんな事で台無しにしやがって……」

    「何だよ。俺を可哀相だって労わる気持ちは全然ないのかよ?」

    「うるせー、そんなダミ声で何抜かしてやがんだ、ボケ!」

    「人が落ち込んでるのに、ひでー奴だな」

    「おまえがだ、この馬鹿野郎」

    「なあ、これから飯でも喰いに行こうぜ」

    「何でそうなるんだよ?」

    「どうせ、おまえだって暇だろ?」

    「けっ」

    「今から車で迎えに行くよ」

    「分かったよ」

     所詮どんな言い争いをしても、俺とゴリはやっぱ友達なんだろう。しかしこんな関係がいつまで続くのだろうか? 一つだけ言える事は、ゴリに彼女がもしできたとしたら、この関係は一瞬で終わるだろうということ。何故そういう風に思うのか、自分でもよく分からないが本能的にそう感じた。

     千葉に引っ越してしまった坊主さんを懐かしく思う。あの人がいたら、俺もこんな奴とつるまないでいいのにな。

     また一緒にジャッキーチェンの映画観たり、対戦格闘ゲームをしたりしたいよ。


     何かしないと食べていけないから、仕方なく始めた教材売りの仕事。自分でも長く続けるものではないなと分かっていた。

    「なあ兄貴、これ見てみ。凄いぜ!」

     ある日弟から一本のビデオを見せられる。

     ヘラクレス大地VS氷川光秀のプロレスの試合だった。

     幼少の頃から強さに拘って生きてきた。これまで一対一の喧嘩だけは負けた事がなかったが、そんなもの社会に出れば何の役にも立たない。

     この試合を見ていて、身体の芯が妙に熱くなっている事に気付く。ひょっとしてここへ行けば、俺は求めている強さを得る事ができるのではないか?
    そんな思いが根底に芽生えていた。

     仕事が終わると本川越駅前の中央通りとサンロードの間にある道沿いにある二階のバー『エスト』で同級生たちと集まって良く飲んだ。よくつるんでいたのはゴリと、大田に同じ会社のチャブーがメイン。

     休みの日、エストへ行こうとサンロードを歩いていると、中学時代の後輩と道ですれ違い挨拶される。セブンスターに火をつけ世間話をしていると、後輩は申し訳なさそうに口を開いた。

    「あのですね…、神威さん」

    「ん、どうした?」

    「そろそろお金を返してもらいたいんですけど……」

    「はあ、金を返す? 何だそりゃあ? 俺、おまえから金なんて借りてねえだろ!」

     まるで身に覚えのない濡れ衣を着せられた俺。詳しく事情を聞く。

     原因は中学時代の同級生である橋学。こいつが「神威が急遽金が必要だからさ」と人の名を使い、後輩全体から総額四十万円ほど借りている状態だと知る。この驚愕の事実は怒髪天を衝いた。

    「エストで待っているから、学を見つけたら店に電話を入れろ」

     片っ端から連絡を入れ、総動員で学を探させた。思い返せば本当に馬鹿で怪しい同級生だった。

     俺が自衛隊から帰って来た頃、真夜中買い物へ出ようとすると物音がしたので工場の明かりをつける。何故か人の家に橋学がいた事あった。

    「おまえ、夜中に人の家に入って何をしてんだ?」

    「へへ…、いやー…、ガムがいるかなと思って」

     その場で殴りつける。まずは中学時代の嫌いだった仇名を二十歳になった今でも呼んだ事に対して。もう一つは無職の学の手癖が悪いのを聞いていたので、黙って家の中にいたのは泥棒に入ってきたんだと確信があったからである。

     エストで酒を飲んでいると後輩から連絡が入った。すぐ近くのパチンコ屋の藤沢プラザにいるらしい。世間話をしながらそこで学を足止めしとけと言うと、ダッシュでその場へ駆け付けた。

     俺の姿を見た学は必死に逃げようとするので、服を掴みその場へ倒す。その勢いで学のシャツはビリビリに破れ、上半身剥き出しになった。財布を奪い、その場にいた後輩たちへまず金を返す。

    「許してくれよ、ガムー…、ギャッ」

     俺は何発も学を殴りつけ、フラフラ状態のままサンロードを端から端まで一往復した。一歩歩く度に顔面を軽く殴りながら歩く行為はとても目立つ。

     この頃不良やチーマーといったクソガキ集団がよくサンロードにはたむろしていたが、俺が学をどつきながら歩く姿を見ると、視線が合わないように顔を背ける連中ばかりだった。

     俺が行った行為に対してやり過ぎだという声も当然あった。だがこれはケジメであり、人を小馬鹿にした制裁でもあるのだ。

     後日嫌な噂を聞いた。あの学が精神病院へ入ったらしいと……。

     それでも自業自得に過ぎない。俺はあの事について反省も何もなかった。


     橋学事件以降もCPLのメンバーを集め、男同士で飲み機会は多かった。ただスリーエフカンパニーを辞め、キャンペーンガールの伝手がなくなった俺。もはや誰も飲み会を組める人間がいない。

     それでも結局今までのやり方でゴリに彼女を作るのは難しいんじゃないのかと考えていた馬鹿な俺たち。新たなアイデアを練っていたが、肝心の飲み会も開けない上、他にどうやって異性とゴリを絡ませたらいいのか分からないままだった。

     紹介という手もあるが、誰も彼女がいない現実。大田が先陣を切って口を開く。

    「ゴリ自身が変わらないと難しいんじゃないかな」

    「いや、ありのままのゴリを好きになってくれる子じゃないと意味がないでしょ」

     そうチャブーは持論を唱える。確かに無理して自分を変えさせても、あとで反動がくるだろう。ゴリが自分で駄目な部分に気付き、変えようとする分には構わない。俺たちがあれこれ言うのもおかしな話なのである。

    「今度は俺が飲み会の話持ってくるからさ。もう一度それで様子を見てみようよ」

    「何か当てでもあるの?」

    「ちょっといい感じの付き合いの子がいるからさ、それで何とか飲み会頼めないか聞いてみるよ。多分大丈夫だとは思う」

    「何だよ、チャブーって彼女いたのかよ?」

     ゴリが口を尖らせる。今はヤキモチを焼くよりも、おまえのためにひと肌脱ごうとしているんだからと黙らせた。

    「もし飲み会するなら、場所はどこで?」

    「その子…、ひろみって言うんだけどさ、ニャハハ。所沢に住んでいるから、その辺りがいいんじゃないの」

     そんな訳で、久しぶりに『CPL』主催の飲み会が決定した。今回のメンバーは俺、ゴリ、大田、チャブーの四名。相手もチャブーの彼女を含む四名。いい子がいればいいが……。

     飲み会当日、ゴリの指先は変わらず真っ黒けだった。その事に触れて注意したところでゴリ自体はまるで聞き入れない。もう誰一人、気にする人間はいなくなり、口に出さなくなった。

    「はじめまして~、チャブーの彼女の冨岡ひろみです。今日はよろしくね~」

     俺たちより一つ年上だというチャブーの彼女。

     金の草鞋を履いて、一つ上の女房を見つけろというが、なかなか明るく気さくでいい彼女だ。ひろみさんの揃えた面子は、ごく普通な感じの子ばかりだった。果たしてゴリがこの中で気に入る子がいるのか?

    「誰か気に入った子いる?」

     小声で囁くと、ゴリはぶっきらぼうに「いねえなあ」と呟く。まったく偉そうに……。

     何様のつもりでいるのだろうか。ゴリメインでやろうと思ったが、ここは普通に楽しんだほうが良さそうだ。

     実はこの日、俺は徹夜で飲み会に来ていた。

     元々痩せていた俺は、この頃無理して毎日吐くまで食料を胃袋に詰め込み、頑張って体重を増やしていた時期でもある。

     あの試合を見てから変だった。俺もあのリングへ上がってみたい。当初、「レスラーになりたい」と知り合いに言うと、百人が百人とも大笑いされた。それぐらい俺は細かったのである。

     本来なら家でゆっくり寝ていたいところだが、前からこの飲み会の約束をしていたため、無理して所沢まで来た。

     乾杯を済ませると、料理が運ばれてくる。適当に摘みながら、俺は隣の子に話し掛けた。

    「仕事は何をしてるの?」

    「私? アパレル関係」

    「へえ、そうなんだ。よく業界の事分からないけど、色々大変なんでしょ?」

    「そうだね。立ちっ放しだし。神威君は何をしてるの?」

    「俺? う~ん、今度ひょっとしたらテレビに出るかもしれないね」

     まだこの頃、プロレスは世間でも人気のあったジャンルである。放送時間も夕方ぐらいに放映されていた。

     あのリングに上がりたいという密かな野望。酒の力と、目の前の女への見栄が、自分をどんどん神格化させていく。

    「え、ウソ! 何をしてる人なの?」

     テレビという言葉が利いたのか、興味津々で聞いてくる女。

    「何をしてるか、当ててみて」

     気分はすっかりプロレスラーになった感じだった。

    「何だろう?」

     盛り上がっているところに店員が、「すみません、相席よろしいでしょうか?」と声を掛けてくる。

    「構いませんよ」と言うと、三人組の女性グループが頭をペコリと下げてテーブルの隅に腰掛けた。

     なかなか可愛い子が相席になったなあ。

    「ねえ、何をしてるの? 教えてよ~」

     三人組に気を取られていると、隣の女が好奇心旺盛な顔で聞いてくる。

    「プロレスだよ。プロレス……」

     自信満々に答えると、その女は急に呆れ顔で「な~んだ」と吐き捨てるように言った。当然カチンとくる。

    「何だよ、その態度は?」

    「だってプロレスって八百長でしょ?」

    「んだと、おいっ!」

     人が真剣に打ち込んでいるものを簡単に『八百長』のひと言で済ませやがって……。

    「まあまあ、落ち着いて落ち着いて」

     チャブーが仲裁に入る。ここで怒ったらチャブーの顔を潰す事になるし、俺はとりあえず引く。

    「プロレスって八百長のくせに野蛮でさ。私、プロレスって大嫌い」

    「私も~」「私も嫌だな~」

     チャブーの彼女のひろみさん以外、すべての女がムカつく台詞を連発してくる。

    「ちょっとあなたたちさー、いい加減にしなさいよ」

     慌ててひろみさんも間に入ってくる。

    「だってテレビ出るかもなんて言っといて、プロレスでしょ~?」

    「おい、コラッ!」

     人が黙ってりゃあいい気になりやがって……。

    「ほら、すぐに怒鳴れば済むと思ってる人種でしょ?」

    「舐めてんのか、おい」

     自分が一生懸命やってきたもの。確かにまだ何の形にもなっていない。すなわち崇高なものである。それをこうまで言われたら、頭に来る。

    「ほんと野蛮よね~。だから私、プロレス嫌い」

    「見て、あの顔。血管がピクピクして血が噴き出しそう。やーねー」

     楽しいはずの飲み会が、一気に修羅場と化した。

     何で俺がここまで言われなきゃいけないんだ? こいつらがプロレスの何を分かるって言うんだ? あまりの悔しさで目に涙が浮かんできた。

    「あれ、ひょっとして泣いてるの? 馬鹿みたい」

    「おい、おまえらいい加減にしろよ」

     チャブーや大田が、馬鹿女どもに注意しだす。

    「だって馬鹿みたいじゃない」

     もう我慢の限界だった。

    「男の尊厳を簡単に踏みにじるな、このドブスがっ!」

     俺はテーブルを持ち、力一杯持ち上げ叩きつけた。

    「信じらんな~い……」

     テーブルの上にあった料理が載った皿ごと、ドブス目掛けて叩きつけたのだ。頭から焼きそばを垂らし、身体中様々な料理が引っ掛かっている。

    「信じられないなら、とっとと帰れ、このドブスが」

     三人の女は半べそ状態で居酒屋から逃げていく。まだ怒りの収まらない俺は、荒い息を立てながら正面を睨みつけていた。

     すぐ店員が駆けつけて、俺たちは当然の事ながら出入禁止となる。店を追い出された。


     うな垂れて歩く俺の肩をゴリがポンと叩いてくる。

    「ありゃあ、あの女たちが悪いよ。神威は悪くない」

    「そうそう、いくら何でもあれは言い過ぎだもん」

     チャブーまで慰めてくれる。

     問題は彼女のひろみさんだ。彼女に思い切り恥を掻かせてしまったのだから……。

    「すみませんでした、ひろみさん……」

    「しょうがないよ。あの子たちのほうが悪いもん。注意しても全然聞かなかったしね。気にしないで、神威君。そうだ! また飲み直しをしよ、ね?」

     本当は徹夜明けで眠くて仕方なかったが、酒をたくさん飲みたい気分だった。それに自分の友達より、こちら側についてくれたひろみさんの心意気が素直に嬉しかった。

     あと、途中から相席で座った三人組の女性。彼女たちにも大変失礼な事をしてしまったなあ。俺が店の人間に怒られている内に先に行かれ、まともに謝れなかったのも気掛かりである。

     感情的になると、いつだってあとで後悔が押し寄せてくるものだ。冷静沈着でいることの大事さ。俺は、その部分をもっと噛み締めねばならない。

     みんな気まずかった酒を飲み直ししたかったのか、ひろみさんを筆頭にすぐ近くの居酒屋へ入る事にした。週末のせいかどこの店も混んで、待ちができている。俺たちが入った店も、待たないと入れない状況だった。

     他の待っている客をボーっと眺めていると、先ほど相席になった女性三人組がいた。思わず、お互い顔を見合わせて「あっ!」と言い合う。

    「先ほどは本当にすみませんでした。洋服とか汚れませんでしたか?」

     頭を下げながら三人組に謝ると、「そんな気にしないで下さい。私たち横で聞いてただけですけど、あれはどう見ても女の子のほうが悪いし、酷いと思いますよ」と暖かい言葉を掛けてくれた。

    「良かったら、先ほどの非礼もあるので一緒に飲みませんか?」

     正直な気持ちで言うと、向こうも笑顔で応えてくれた。こちら男性陣は変わらず俺とゴリ、大田にチャブー。

     女性陣はひろみさんに、相席だった女性三名が加わり、今度は楽しいお酒を飲めそうだ。

    「まずお互い自己紹介しておいたほうが良くないですか?」と、俺が言うと、女性陣三人組も快く紹介をしてくれた。

    「私は梅田和子って言います。こちらが宗岡さくらさん。こっちが小沢杏です」

     正直な自分の好みを言えば、一番落ち着いた雰囲気のある美人な宗岡さくらだった。こちらの自己紹介も済ませると、乾杯をして笑顔で飲み始める。

     俺たちが二十歳なのに対し、梅田和子は二つ上の二十二歳。宗岡さくらは三つ上の二十三歳。小沢杏は俺と同じ年だった。さり気なく宗岡さくらのそばへ行き、話し掛けようとすると、小沢杏が笑顔で話し掛けてきた。

    「さっきちょっと聞いただけなんですけど、レスラーの方なんですか?」

    「いやいや、まだレスラーになりたいってだけだよ」

    「でも、すごい身体してますよねー。私…、筋肉のある男の人って好きなんですよ」

    「嬉しいですね」

    「ちょっとだけ触っていいですか?」

    「え、構わないけど……」

     本当に俺の事がタイプなのか、ベタベタと身体を触りだす杏。こんな風にこられると、可愛く感じる。うまくいけば、このままおいしい展開になれるかもしれない。

     しかし、宗岡さくらも気になる。隙を見て彼女のほうをチェックすると、うまく場に溶け込む事のできないゴリに優しそうな表情で話し掛けていた。ゴリもまんざらでない様子で、ニヤニヤと鼻の下が伸びている。

     まあゴリが彼女をこれで気に入るのなら、俺は黙って見守ろう。そんな気持ちでいた。

     リーダー的存在の梅田和子が話し掛けてくる。

    「あなた、硬派っぽいよね。結構モテるでしょ?」

    「そんな事ないっすよ~」

    「またまた~。杏なんて、かなりタイプでしょ?」

    「やだー、先輩ったら~」

     女性二人に挟まれ、至福の時を過ごしていると、一人あぶれた大田がつまらなそうにしている姿が目に入った。

     たまには俺だって自分自身楽しみたい。杏、和子との会話を楽しんでいると、大田が焼酎のボトルを手に取りラッパ飲みしているのが分かった。

     マズいなあ~……。

     過去大田がベロベロに酔うと、いつもロクでもない目に遭わされる。警察が来た事も三回あるし、気付いたら地元の不良に囲まれていた事だってあった。

     そのぐらい酒乱になり、他の関係ない人間にまで絡みだすのだ。

    「おい、大田! いい加減にしとけよ」

     ボトルをひったくるようにして奪う。

    「大丈夫、もっと飲みたい」

    「駄目だよ。おまえ、過去にあれだけ酔って問題起こしてきたんだぞ」

    「今日は大丈夫だから」

     そう言うと大田は俺からボトルを奪い返し、またラッパ飲みでゴクゴクとやりだした。俺も徹夜で疲れ、先ほどの件で苛立っていたのもあり、いちいち大田を監視するのが面倒臭くなってくる。

     杏や和子と楽しく会話を続けていると、目の据わった大田が隣にちょこんと座ってきた。ジッと杏の胸元に視線を集中させている。

    「な、何ですか……」

     恐る恐る杏が尋ねると、大田は人差し指を突きたて「ワンプッシュ」と杏の乳首目掛けて突きだした。

    「やだー、この人、信じられない!」

     杏が両手で胸を隠しながら、怒り出す。当たり前だろう。いくら酔っているといっても、やっていい事と悪い事がある。

     大田はその反応に対し、ニヤニヤ笑いながらまだちょっかいを出そうとしている。

    「おい、大田。おまえ、いい加減にしろよ」

     しょうがないので、少し低い声を出しながら強めに注意した。

    「ワ、ワンプッシュ……」

     まったく懲りない大田。嫌がる杏の胸をまた指で突こうとしている。

    「ちょっと本当にやめてよ!」

     杏が本当に怒り出した。俺は見るに見かねて大田の胸倉を掴む。

    「おまえさ…、本当にいい加減にしろよな」

     大田はいじけた表情になり、どこかへ行ってしまう。あまり友達をこのような扱いするのは好きじゃないが、彼の場合異常な部分があるのでしょうがない。

     杏と和子に挟まれ楽しい時間を過ごしながら、いつの間にか大田の事などすっかり忘れていた。

     たまにゴリのほうを盗み見ると、宗岡さくらと仲良く酒を飲んでいる。

     チャブーとひろみさんのカップルは真剣に何か話し合っていた。

     数杯酒を飲み、いい感じで酔いが回ってきた頃だった。俺たちのほうへ、ヤンキーチックなパンチパーマの男が向かってくるのが見えた。どう見てもこちらを睨んでいる。

    「おい、おまえらよ~」

     パンチ男が、いきなり怒鳴りつけてきた。何をトチ狂っているのだろうか?

     するとあとから大田が、パンチ男の仲間らしき人間に腕を掴まれた状態でこちらに歩いてくる。

    「こいつの連れかよ、おい?」

     アゴをしゃくりながら偉そうな態度のパンチ男。大田がまた何かやらかしたのか?

    「何だよ、一体?」

     仕方なく俺は立ち上がり、パンチ男に近づく。

    「この野郎がよ、俺たちの連れの女の乳首を『ワンプッシュ』とか言いながら、いきなり触りやがったんだよ。どう落とし前つけんだよ、あっ?」

    「……」

     確かに言い返す言葉がなかった。

     大田の馬鹿め……。

     とりあえず囲まれる前に、女の子だけは逃がさないとマズい。俺はひろみさんに小声で「女の子、連れて逃げてくれ」と囁く。

     奥からパンチ男の連れがゾロゾロとこちらに向かってきた。

     こんな事態を巻き起こした大田本人は、酔っているので涼しい顔をしている。

     ひろみさんが杏たちと一緒に逃げるのを確認してから、俺はパンチ男に話し掛けた。

    「すまない。こいつ、ベロベロに酔っていて迷惑を掛けたみたいで……」

    「おいおい、何だその謝り方はよ?」

     気付けば俺たちは二十名以上の集団に囲まれていた。どう見ても暴走族の集まりのようだ。

     こちらの面子はゴリとチャブー、それに酔っ払った大田。かなりヤバい状況である。

    「ゴリ…、俺が連中をどかすから、一気に走って逃げろ。いいな?」

     すぐ後ろにいたゴリにしか聞こえない声で言う。

    「ん…、ああ……」

     チャンスは一度しかない。

    「おら、何をゴチャゴチャ抜かしてんだ、おい」

     パンチ男が俺の胸倉を掴んだ瞬間だった。左腕でパンチの頭を押さえ下に押し、右腕で思い切り背中をぶっ叩く。相手の胴体に両腕を回し、両手でガッチリとクラッチを組むと、一気に持ち上げた。プロレス技でいうパワーボムの体勢である。

     遠慮せず、畳の上目掛けて叩きつけた。もちろん背中からちゃんと受身が取れるように。

     自分のした行為がどれだけ理不尽か理解している。連れている女の乳首をいきなり見ず知らずの男に触られたのだ。怒りは相当なものである。逆の立場でも同様に怒るだろう。

     大田のした行為はそれほど洒落にならないものなのだ。しかしまずはこの窮地を脱しなければいけない。

     周りの人間が怯んだのを確認すると、俺は一歩前に出てデカい声で言った。

    「次にやられてえ奴はどいつだ!」

     普通じゃ、あんな事をやらないというような大技をワザと目の前で見せたのだ。

     当然相手は後ずさりする。その隙にゴリとチャブー、大田を外へ逃がした。あとは俺がいつ逃げるタイミングを掴むかである。

     目を剥き出しながら、相手を威嚇した。あとちょっとで階段。

     俺は方向転換し、一気に駆け下りた。

    「コラッ! ちょっと待てや、おいっ!」「ふざけやがって!」「殺してやるよ。おらっ!」

     一度だけ振り返り、目の前の一人を思い切り殴る。

    「悪いけど、手加減しねえからな。次にやられたい奴はどいつだ?」

     向こうも何をされるか分からないから、すぐに飛び掛っては来られないのだろう。俺は隙をついて逃げ出す。様々な罵声が背後から聞こえるが、一目散に外へ向かった。

     外へ出ると、先ほど逃がした杏たちがいて、「タクシー捕まえといたから早く乗って!」と大声で近づいてきた。すぐそばでタクシーが停まっていて、後部座席にゴリとチャブーの姿が見える。

     大田は?

     慌てて窓から中を覗き込むと、二人の膝枕の上で横になって寝ていた。あれだけの騒ぎを起こしておいて呑気なものだ。

    「君たちは……?」

    「私たちは大丈夫。早く乗って! もうみんな、先に乗ってるから」

     俺は手帳のページを破り、乱暴に電話番号を書くと「ありがとう。あとで連絡する」と言い残してタクシーの助手席へ乗り込んだ。


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