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【短歌】冷たさがあなたに降りていった日の数百年後に私が生まれる

    こんにちは。
    前回の続きです。
    前回の記事はこちらです。

    前回の作品を作った時と同じようなことを考えながら作ったので、こちらから読んでいただけると嬉しいです。

    前回から続く話を書いていきます。

    私には、ずっと関心のある戦国武将がいます。その人の命日と、私の誕生日が近いことをきっかけに思いついた短歌があります。(本当は旧暦新暦の関係で、全然近くないのですが…)

    こちらは東京新聞の東京歌壇の欄にて、東直子さんに評をいただきました。投稿し始めてからこんなにすぐ評をいただけるとは思っていなかったので、本当に嬉しかったです。ありがとうございます。

    短歌 冷たさが

    冷たさがあなたに降りていった日の数百年後に私が生まれる

    2026/01/25東京歌壇 東直子選一席

    私の中では、この短歌の「あなた」は、先ほど挙げた戦国武将を指します。(せっかくこの短歌を読んでくださる方には、それぞれの「あなた」を想像してほしい気持ちもあるので、こうやって説明してしまうのは無粋にも思えます。難しいかもしれませんが、私の解釈は私の解釈としてへぇ~くらいで読んでいただければと思います。)

    小説をきっかけに興味を持って、史実での姿を知っていきたいと思って以来、私はその人との向き合い方を悩み、模索し続けてきました。
    これは歴史に名を残した人の大半に言えることなのかもしれませんが、彼らの生きていた時代と今とではあまりにも環境が違いすぎて、彼らの生き様を軽率に好きだと言ったり、リスペクトしたりするのはどうなんだろう、と感じるようになったからです。
    彼は生まれた時代、身分ゆえに、直接または間接的に多くの人を殺めたに違いありません。それは時代がそうさせた部分が大きいと思います。本人の意思がどうであったかは分かりません。
    ただ、私は現代人として、その行いを肯定してはいけないのではないか、と感じるのです。

    しかし、ゆかりのある場所を訪れたときなどに、ふと本当に生きていた一人の人なのだと感じると、尊敬の念が湧いたり、安らかな眠りを祈ってしまったりします。自分の中で矛盾するのです。
    やはり見る立場が違えば見え方は変わってしまうので、歴史を知ろうとするのは中々難しいなと思います。
    でも、それを分かったうえで、個人的な思いとして彼の死が静かで穏やかなものであったことを祈るくらいはしてもいいのではないかと思うようになりました。歴史上の人物と現代人、として考えるのではなく、一人の人と、その存在に影響を与えられた人、として立場を跳躍して考えることも、まあ許されるのではないでしょうか。
    それがその人への私の向き合い方なのかな、と思って作ったのが、この作品でした。

    彼は戦で負った傷がもとで病になり、闘病の末に亡くなったようです。私の個人的な思いである、なるべく苦しまずに最期を迎えていてほしいという祈りを込めて、寒い日に、静かに亡くなっていくところを想像しました。
    そして、そんな、自分と時代も境遇も違う人に興味を持てたという縁を、大切にしたいという思いも込めました。全ては地続きであり、彼が亡くなった日の約数百年後の日に私は生まれたのだ、ということを、私はこれからもずっと意識して生きようと思います。

    自己紹介の記事で述べましたが、来年度から戦国時代を本格的に学ぶことができそうなので、私はまた難しさを抱えながら真面目にこの人に向き合ってみようと思っています。そしてまた短歌にできたらいいな。

    ここまで読んでくださりありがとうございます。
    次回は趣向を変えた短歌をお届けしようと思います。


     
     
    ときじく きょうこ 短歌初心者¦歴史と観劇が好き

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