阿部幸大氏は、ぼくらの希望である……『勉強の哲学』『地図なき山 日高山脈49日漂泊行』、そして『ナラティブの被害学』
いつもだらだらと本を読んでいる。今はデヴィッド・グレーバー沼にハマっている隙に読んだ『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』に感動し、筆者である阿部幸大氏を追いかけ、その本に引用されていた千葉雅也氏の『勉強の哲学』(文春文庫)を読み、その隙にまた別の本を……読んでいる。
いつものエンドレス読書の中間報告を。
『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』を読みながらポチった二冊『勉強の哲学』『ナラティブの被害学』(阿部幸大 文学通信)を前に少し悩み、先に『勉強の哲学』を読むことにした。美味しいものを最後に食べるタイプである。
初めからウンウンとうなずきながら読んだ。第一章「勉強と言語」の第一節が「勉強とは、自己破壊である」というんだから、しょうがない。
そうなのだ。自己破壊を促すのが、ぼくら教員の仕事。彼らのあたりまえにひびを入れたり、自己矛盾を指摘したり。いろんな手を使って自己破壊を促す。大切なのは、それが彼ら自身による「自己」による破壊である、ということだ。決してぼくが強いることはできない。ぼくが行うべきことは、ぼく自身の自己破壊を繰り返すことだけだ。
うまくできてるかなぁ?
ウンウンうなずいては、我が身とその行いを振り返り、恥じ入ったり新たな誓いを立てたりしながら読了。この一冊は、志望理由書や小論文指導に役立つ部分がたくさんあった。また読むことになりそうだ。
続けて『ナラティブの被害学』を読む。さすがに前半の論文(この本は、留学中に書いた論文を集めたもの)は読みづらく手こずった。
で、手こずっている間に、新聞でちらっと見て購入していた『地図なき山 日高山脈49日漂泊行』(角幡唯介 新潮社)を読了。彼の理屈好きには少々辟易するが、地図なき山を漂泊するドキドキワクワクは充分感じられた。『極夜行』(文藝春秋社)のドキドキとは、また少し違っている。
奥田民生の「さすらい」をリアルな耳で受け取ることが少なくなった気がする。いかんな。
地図なき山に行かなくったって、リアルに生きていくことはできるはず。そんな逃げを打っているような気がする。
さて『ナラティブの被害学』である。
阿部幸大氏は、捨て石になる覚悟だ。
いつまでも西欧の価値観をグローバルだと言い張る彼らの牙城に、非西欧圏の研究者として斬り込み、彼らだけではない新しい世界に貢献する。もちろん人文学・社会学で国際競争力を得、世界の論壇を動かす存在になるのは簡単なことではないだろう。それは実は「世界の論壇」などではなく、「西欧」(白人)の論壇なのだから。目に見えない差別、区別、偏見がうじゃうじゃっと存在するに違いない。
しかし「世界の論壇」を「西欧圏」だけではない、本当の意味での「世界の論壇」にせねばならない。未だかつて一度も成されたことのない「世界」を実現するのだ。
阿部幸大氏が「世界の論壇」に登場することによって、勇気を得られるのは日本の研究者たちだけではない。すべての「非西欧圏」の研究者たちが勇気を得られることだろう。そして多くの人が本当の意味での「世界」の実現を夢見ることができるようになる。
阿部幸大氏の後ろには、大きなもう一つの世界が存在する。多くの研究者が彼に続き、彼を踏みつけ、追い越していくだろう。阿部幸大氏は、そこまで考えている。それを望んでさえいる。
彼が釧路湖陵高校卒業だということが、ぼくは嬉しい。
以前、日本はあたら才能を無駄にしていると書いたことがある。都市部に住むお金持ちだけが参加する受験体制の弊害だと。地方に住む多くの才能、教育費を捻出する余裕のない家庭の多くの才能が、無駄にうち捨てられていると。
阿部幸大氏は知っている。
物言わぬ多くの才能が、世界中にいることを。
だから彼は信じている。世界の未来を。
彼は、本当の意味での「世界」を、我々(世界に住む全ての人)の手に取り戻そうとしているのだ。
その武器が「被害学」であり、加害性を世界全体で再分配するということである。
そんなことを何度も何度も考えている。
読んでいただきありがとうございます。まだ満腹でなかったら、おかわりをどうぞ。次は読書記録25です。
