
多層の私:これが私の生き書 ①|余白 私が私をここに残す理由
「大病すると、死生観が変わるよね」
その言葉を投げかけられるたび、私は首を傾げる。
なぜなら――
出口のないトンネルの中にいた頃から、私はずっと「もうここに戻って来れないかもしれない」と想像しながら家を出ているからだ。
これは俗に言う“丁寧な暮らし”とは、ちょっと違う。
何かあった時、他人がこの家に入っても恥ずかしくないように。
出しっぱなしの靴はないか。
シンクに水滴は残っていないか。
自分の気配を消し、部屋にきれいな「余白」を作り
空気を整えてから、私は鍵を閉める。
そうやって、
何も残さないように生きてきた。
他人にラベルを貼られ、押し付けられ、忖度して生きる辛さは私だけで十分だ。
そう思いながら生きていた。
そしてこの記事を書き上げ、投稿ボタンを押すまでのわずかな時間に
母が、突然逝った。
言葉足りずで始まった糸の絡まりは、意図せず大きくなり、すれ違い、結果、何も伝えられないまま、母は逝った。
この出来事は、私の中で大きな大きな渦を巻き起こした。
私は長年ずっと苦しみから逃れたかった。
それは死を意味していた。
でも、死ねなかった。
だから私は、向き合い続ける事を選んだ。
そんな私に父は
「お前は他人にも自分にも厳しく雑だ」と言った。
“圧が強い“
“面倒くさい奴"
"近寄りがたい"
そう言われても逃げる事などできなかった。
凹んで愚痴れば…
「はいはい、またメンヘラ?」
「大袈裟だな」
何度も呆れられ、笑われた。
人が他人を理解する事は難しい。
そんなことは分かっている。
ただ、知っていて欲しい。
自分の物差しでは測れない、異質な人間が存在することを。
だから、このnoteを始めた。
私に万が一の事があった時、私と言う人間がこう生きたと言う証を残したい。
それは私にとっての遺書。
いや、私の生きた証、――“生き書”だ。
そしてこの生き書が、いつか誰かを温めるブランケットとなり、いらなくなったら、その辺に置いていってくれればそれでいい。
暗闇で足掻き、もがき、そこから這いあがろうとした時に、たまたま、とんでもないブランケットがあっただけ。
ただ、それだけ。
そしていつか「昔、とんでもないブランケットがあったな」
そう思い出してくれるならば、私がこの時代に生きた意味がある。
強がりだ、承認欲求だと笑われても構わない。
私は面倒で、厄介で、ややこしい。
だから、好きになってもらう必要はない。
ただ、こう生きてきただけだから。
この、あまりにも面倒で、厄介で、ややこしい私を作ったすべての「余白」を、ここに置いておく。
これが、私の生き書。