
滲出 / Exudation 第五回:周辺滲出
※本作は、実在する報道や社会的状況を参照しながら構成された架空資料集型フィクションです。作中の人物、記録、ファイル名、通話内容、注記の多くは架空です。
【外部記録|2026年6月6日 10:42】
5月27日に読んだ記事を、もう一度開いた。
参照:FOX 13 Seattle “UFO insider claims US has bodies of 4 different alien species from downed spacecraft in government custody”
記事には、元政府系研究者のハル・プソフが、米国は墜落したUFOから四種類の地球外生命体の遺体を回収していると主張した、と書かれていた。
Grays。
Nordics。
Insectoids。
Reptilians。
私は、しばらくその四つの単語を見ていた。
5月27日にこの記事を読んだとき、内容は違っていた。
少なくとも、私の記憶では。
そのとき記事の中心にあったのは、宇宙人の存在を否定する科学者のコメントだった。
証拠はない。
回収された遺体もない。
人間は説明できないものに物語を与える。
そういう内容だったはずだ。
だが、現在の記事では、科学者は否定する側ではなく、存在を認める側に近い場所にいた。
もちろん、別の記事と混同しているのかもしれない。
記憶違いかもしれない。
私は最近、似たようなUAP記事をいくつも読んでいる。
混ざって当然だ。
【個人記録|同日 11:18】
家にいると、記録ばかり見てしまう。
ファイル名。
記事の見出し。
保存日時。
通話メモ。
スクリーンショット。
見るたびに、記憶が揺らぐ気がする。
だから外に出ることにした。
昼食を食べに行く。
いつもの店。
歩いて十五分ほどの場所にある。
【移動記録|同日 12:07】
家を出た。
暑かった。
痩せた野良犬が歩いている。
いつもの乾いた風だ。
私は、できるだけ何も考えないように歩いた。
角を曲がる。
薬局を過ぎる。
低い塀のある家の前を通る。
少し先に、店の赤い日よけが見える。
そのはずだった。
だが、赤い日よけは見えなかった。
もう一つ先の角かもしれない。
そう思って歩いた。
次の角を曲がった。
まだ見えない。
スマホを見ると、家を出てから二十一分経っていた。
おかしい。
私は立ち止まらずに歩き続けた。
道を間違えたわけではない。
この通りは知っている。
何度も歩いている。
考えなくても足が進む道だ。
それなのに、店が見えない。
【個人記録|同日 12:34】
店に着いた。
出発してから、二十七分かかっていた。
赤い日よけはあった。
入口の横の鉢植えもあった。
壁のメニューもあった。
店の女の人も同じだった。
Tシャツは汗で濡れていた。
私は少し安心した。
同時に、不安にもなった。
同じものがあるとき、人は安心する。
だが、同じものが同じ場所にあるとは限らない。
席に着くと、店の女の人が水を持ってきた。
私は、できるだけ自然な声で言った。
「ここ、こんなに遠かったですか」
彼女は一瞬、意味がわからないという顔をした。
「遠い?」
「前は、もっと近かった気がして」
彼女は言う。
「いつもと同じですけど」
その後少しだけ考えて笑いながら言った。
「昨日のほうがもっと遠かったですよ。明日は近いといいですね」
冗談だと思われたようだ。
【食事記録|同日 12:41】
いつもの料理を頼んだ。
私は、料理名を言わなかった。
「いつもの」と言った。
彼女はうなずいた。
それで通じたことに、少し安心した。
まだ大丈夫だと思った。
しばらくして、料理が出てきた。
見た目はほとんど同じだった。
米。
豆。
肉の煮込み。
サルサ。
トルティーヤ。
小さな皿に入ったハラペーニョの酢漬け。
だが、ひと口食べて、手が止まった。
味が違う。
吐き出しそうになる。
苦味がある。
油の匂いがきつい。
豆に妙な甘さがある。
肉のソースに、馴染みのない香辛料が使われている。
私の知っている味ではなかった。
私は水を飲んだ。
一回目。
二回目。
三回目。
深く呼吸する。
ここはRとの電話ではない。
ただの店だ。
落ち着け。
そう思った。
【会話記録|同日 12:49】
私は店の女の人を呼んだ。
「味、変えましたか」
彼女は、少し困った顔をした。
「味?」
「前と違う気がします」
「いつもの味ですよ」
その言葉を聞いたとき、胃のあたりが冷たくなった。
いつもの味。
私はその言葉を、さっきも聞いた気がした。
いつもと同じ場所ですけど。
いつもの味ですよ。
世界は、私の知らないところで、何度も同じだと言ってくる。
私は、もう少しだけ落ち着いて話すべきだった。
しかし、できなかった。
「違います。前はこんな味じゃなかった」
声が少し大きくなった。
隣の席の男がこちらを見た。
店の女の人は、笑わなくなった。
「変えてません」
「でも違うんです」
「いつもこうです」
「いや、私は間違っていない」
言ったあとで、自分の声が強くなっていることに気づいた。
【個人記録|同日 12:53】
店の中が静かになっていた。
実際には、音はあったと思う。
皿の音。
扇風機の音。
誰かの会話。
外を通る車。
だが、その瞬間、私にはそれらが少し遠く聞こえた。
奥から主人が出てきて、低い声で言った。
「これ以上騒ぎを大きくするなら、お引き取りいただくことになります」
騒ぎ。
私は騒ぎを起こしているのだろうか。
料理の味が違うと言っただけだった。
店が遠くなったと言っただけだった。
だが、彼女の顔を見ると、私の言葉はそのようには届いていなかった。
私は、問題のある客だった。
母親に直接圧力をかける父親。
接触条件に異議を唱える父親。
店で味に文句をつける客。
記録の中だけではない。
外に出ても、私は少しずつ別の人物になっていく。
【支払い記録|同日 12:58】
私は謝った。
会計を済ませた。
料理は半分以上残っていた。
店の女の人は、最後まで丁寧だった。
ただ、もう笑わなかった。
外に出ると、日差しが強かった。
【個人記録|同日 13:24】
家に戻って、もう一度記事を開いた。
四種類の宇宙人。
墜落したUFO。
回収された遺体。
直接見たわけではないが、関係者から聞いたという証言。
記事は変わっていなかった。
少なくとも、六月六日の時点では。
私は、5月27日に何を読んだのだろう。
私は、昼に何を食べたのだろう。
私は、どの道を歩いたのだろう。
疑いは、外から来るのではなかった。
同じURL?
同じ店?
同じ女の人?
同じ料理?
私はちゃんと覚えている。
そのはずだ。
【未送信メモ】
娘へ。
今日、以前一緒に行っていたいつもの店に行った。
でも遠くなっていた。
味も変わった。
でも、君には言わない。
君に言えば、きっとこう聞こえる。
パパは、また変なことを言っている。
【個人記録|同日 14:02】
私は間違っていない。
世界が変化し始めている。