
温もりの記憶――愛の素顔は思っているより美しい
朝、鏡の前に立つ。
歯を磨きながら、ふと自分の顔を見る。
特に何も考えていないはずのその一瞬に、私はときどき、遠い夜の記憶を思い出す。
十六歳になったばかりの早朝だった。
前日までこの世にいた父が、翌朝にはもういなかった。
何が起きたのか、頭では理解できないまま、ただ茫然と座っていた記憶がある。
誰かが電話をかけていた。
誰かが小さく泣いていた。
私はその渦の外側にいるような、奇妙な静けさの中にいた。
そのとき、母が何も言わずに、私の肩に手を置いた。
言葉は何もなかった。
「大丈夫だよ」とも、「頑張ろうね」とも言わなかった。
ただ、手を置いた。
それだけだった。
けれど、あの手のひらの温もりが、私の中に確かに届けたものがあった。
――ここにいるよ。ひとりじゃないよ。
言葉にすれば、どうしようもなく陳腐になる。
それでも、あのとき体の中に流れ込んできた感覚だけは、四十年以上たった今も、私の中にはっきりと残っている。
あれが、私が生まれて初めて自覚した「愛」という感覚だったのだと、今なら思う。
***
大学を出て、私は国家公務員になった。
真面目にやってきたつもりだった。
与えられた仕事はきちんとこなし、組織のルールには従い、なるべく波風を立てないように生きてきた。
それが正しいことだと、疑ったことはなかった。
評価されると、嬉しかった。
だがしばらくすると、また評価されたくなる自分がいた。
結果を出すと達成感があった。
だがすぐに、次の結果を求めている自分がいた。
組織の中で認められることが、そのまま自分の価値だと、いつからか思い込んでいた。
内側に何があるかよりも、外側からどう見えるかばかりを、私は気にしていた。
四十代のある日、望んでいない部署への異動を命じられた。
理由は説明されない。
腑に落ちなかった。
それまで積み上げてきたものが、たった一枚の辞令で崩れていく感覚だった。
「なぜ自分が」という怒りがあった。
「もうここで終わりだ」という絶望があった。
毎朝、体が重かった。
職場に向かう足が、玄関で止まりそうになる日が、何日も続いた。
外側にあると信じていたものは、あっけなく崩れた。
評価も、立場も、積み上げてきたはずの何かも。
崩れてみて初めて、自分がずっと外側にばかり寄りかかって生きてきたことに気づいた。
では内側に何があるのか、と問われたら――正直、何も答えられなかった。
その頃、同僚のひとりにこう言われたことがある。
「あなたは真面目すぎる。
もっと要領よくやればいいのに」。
悪意のない、むしろ心配してくれた言葉だったと思う。だがその一言は、しばらく私の中に刺さったままでいた。
要領よく。
適当に。
目立たずに。
組織の中で生きるとは、そういうことなのだと、いつのまにか思い込まされていた自分がいた。
***
そんなある日、仕事の帰り道、ふらりと神社に立ち寄った。
特別な理由はなかった。
たまたま通りかかった。それだけのことだ。
だが、鳥居をくぐった瞬間、何かが変わった。
空気が変わった。
肩に入っていた力が、すっと抜けていくのがわかった。
参道を歩くと、玉砂利を踏む音がした。木々の間から差し込む光が、地面にまだらな模様をつくっていた。
日常の喧騒が、少しずつ遠のいていくのがわかった。
仕事のこと、これからのこと、頭の中を占めていたものが、ゆっくりと静まっていく。
かわりに、ずっと後回しにしてきた「今ここにいる自分」の感覚が、少しずつ戻ってきた。
本殿の前に立った。
御神鏡が、静かにそこにあった。
普段、鏡というのは外側を映すための道具だ。
今日の顔色はどうか、身なりは整っているか。
私たちはそういうことを確認するために鏡を見る。
けれど御神鏡の前に立ったとき、私は外側を見ていなかった。
自分でもわからないまま、胸の奥から込み上げてくるものがあった。
長い間、忘れていた何かを、ふいに思い出したような感覚だった。
悲しみでも、後悔でもない。
もっと静かな、もっと深いところにある何かだった。
そこに立っていた宮司さんが、私にひとこと声をかけてくれた。
「あなたが今感じている苦しさは、無駄にはならない。それはいつか必ず、誰かの光になる」
理屈ではなかった。
論理的に納得したわけでもない。
だが、その言葉を受け取った瞬間、体の奥で何かが動いた。
真っ暗だったはずの前方に、細く一筋、光が差した気がした。
母の手の温もり。宮司さんの言葉の光。
この二つが、私の中でひとつにつながった夜だった。
***
それから私は、神社に通うようになった。
特別な信仰があったわけではない。
ただ、あの空間に立つと、外側にばかり向いていた意識が、静かに内側へ戻ってくる感覚があった。
日常の中で見失っていた「今ここにいる自分」の輪郭が、少しずつ戻ってくる感覚があった。
そして、あるとき気づいたことがある。
心の内側にあるものが、外側の景色を決めている、ということだ。
不安を抱えたまま外の世界を見ると、外の出来事はすべて不安を裏付ける証拠のように見えてくる。
上司の何気ない一言が「やはり自分はダメだ」という確認に見えたりする。
だが同じ出来事でも、内側が静かであれば、まったく違う顔をして目に映る。
「気にかけてくれているのかもしれない」と感じられたりする。
外側の現実が変わったのではない。
内側が変わっただけで、映る景色が変わる。
鏡が光を反射するように、心もまた、内側にあるものを外側へと映し出している。
そのことに気づいてから、私は少しずつ、自分にかける言葉を変えていった。
「またダメだった」ではなく、「次はどうしようか」。
「もう遅い」ではなく、「今から始めよう」。
古来、日本には言霊という考え方がある。
言葉には、それ自体に力が宿るという考え方だ。
迷信だと笑う人もいるだろう。
だが私は、これを「まだ証明されていないだけの、確かにある何か」――未科学と呼んでいる領域のことだと思っている。
自分にかける一言が、内側の景色を変え、景色が変われば、選ぶ道が変わっていく。
それを、私は身をもって知った。
***
あの異動から何年もたった今、振り返ってみると、あの出来事がなければ今の私はなかった。
神社に通い始めたのも、書くことに向き合うようになったのも、自分の内側と向き合い始めたのも、すべてあの絶望の先にあった。
「終わり」だと思ったところが、本当は「始まり」だった。
四十年近く、組織という枠組みの中で生きてきた。
真面目に、けれど決して要領よくとは言えないやり方で。
定年を迎えた今、あらためて思うのは、あの日々の中で私が本当に探していたのは、評価でも、地位でも、正しさでもなかったということだ。
探していたのは、たったひとつ。
自分の内側に、確かに何かが流れているという実感だった。
その実感を求めて、私は五十代を過ぎてから、文章を書き始めた。
若い頃には考えもしなかったことだ。
「今さら」という声が、頭のどこかで聞こえた気もする。
だが書き始めてみると、不思議なことに、あの夜の母の手の温もりも、あの日の宮司さんの言葉の光も、書くという行為を通して、もう一度私の中を流れ直していった。
今こうしてこの文章を書いている机の上にも、あの温もりと光は、確かに届いている。
その「何か」の名前を、私は長い時間をかけて探してきた。
答えは、案外シンプルだった。
愛、である。
恋愛の愛でも、家族愛の愛でもない。
もっと根源的な、生きるためのエネルギーそのもののことだ。
呼吸が体を生かすように、愛は人の内側を生かしている。
それは、感情ではない。
関係でもない。
誰かに与えられるのを待つものでもない。
あらかじめ、自分の内側に流れているものだ。
温もりとして、体に届く。
光として、前を照らす。言葉になって、誰かに渡る。
使っても、減らない。むしろ使うほどに、豊かになっていく。
***
今、この文章を読んでくださっているあなたにも、聞いてみたい。
あなたが「温かいな」と感じた瞬間は、いつでしたか。
あなたの前方に、細く光が差した瞬間は、いつでしたか。
その記憶の中に、すでに答えはある。
私にとってそれは、十六歳の夜、母が肩に置いてくれた手の温もりだった。
四十代の絶望の底で、宮司さんがくれたひとことの光だった。
あなたの中にも、きっと同じような記憶がある。
それを思い出すことこそが、「結局、愛って何なの」という問いへの、いちばん確かな答え方なのだと、私は思っている。
愛は温もりであり、光でもある。
そしてその両方は、外側のどこかにあるのではなく、あなたの内側に、今もすでに流れている。
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