
せっかちな私に降りた鉄槌②その後
#創作大賞2026 #エッセイ部門
前回の話はこちらです。
「せっかちな私に降りた鉄槌①」
不注意で足首を捻挫した。
医師からも「二週間ほどで治るでしょう」と言われていたので、私もそのつもりでいた。
ところが、三週間を超えた今も、まだ軽く片足を引きずっている。
前にも書いたが、私はせっかちだ。
なんでも、さっさと動いて、さっさと終わらせることに、必要以上の情熱を注いでいる。そして、その能力もあるはずだと思っている。
ところが、どういうことだろう。
今回の捻挫だけは、想像以上に完治が遅い。
年齢のせいか。ひねりどころが相当悪かったのか。
それとも、あの時、
「治ったらスピード全開で、早歩き日本代表を目指す」
などと、余計な宣言をしてしまったからだろうか。
それなら本当に、せっかちな私への鉄槌である。
「神様、ごめんなさい。これからは決して、ゆっくり歩く人に心の中で悪態をつきません。支払い時にもたもたしている人がいても、イラつかず、寛容な気持ちで待ちます」
そう、心の中で何度も唱えた。
けれど、どうも下心が見え見えなのか、足首はなかなか完治しない。
この捻挫のために、楽しみにしていた熊野古道をめぐる「歩く・登るツアー」も二つキャンセルした。
おそらく、せっかちタイプの特徴として、予定していたことが見事に完遂されることは、一つのやりがいなのだと思う。
たとえそれが遊びの予定であっても、何が何でも遂行してやる。その完遂に、なぜか異常に闘志を燃やしてしまう。
それを自己都合でやむなく中止。
これは非常に、無念極まりない。
少し腫れた左足首に、私は何度「叱咤激励」したか知れやしない。
無駄だと思いながら、美容用のコラーゲンドリンクを、肌のためではなく足首のために飲んだくらいだ。
「頼む。足首に直送で届いてくれ」
そんな念までかけた。
しかし、思いも虚しく、相変わらず私は左足を引きずっている。
どうしたものかと思い悩んでいたころ、片道一時間強の場所で仕事があった。仕事はこなせる。
しかし、この足の状態は隠せない。歩く姿の違和感は消せない。
致し方なく、当日、正直に捻挫の事実をお伝えした。
すると、なんと。
昭和の男性の皆さまの優しいこと、優しいこと。
荷物を持ってくださる。
すぐに椅子に座らせてくださる。
心配してくださる。
おまけに、
「大変な時に来てくれた」と感謝までしてくださる。
なんなら、
「車で家までお送りしましょうか」
くらいの勢いで心配してくださる。
こちらが恐縮するほどの優しさだ。
おいおい。
昭和の男性たちの良さは、案外こういうところににじみ出るのかもしれない。
困っている人に対しての優しさが半端ない。
私は、まるで「スーパーマンに助けられるヒロイン」になった気分だ。
平成、令和の男性たちよ。
君たちにも、こんな優しさはあるか。
私は、こういう優しさがあってもいいと思うのだが。
まあもっとも、それを喜んでいる私自身も、「昭和の女」だからかもしれないが。
それから、久しぶりに男性にちやほやされた私は、すっかり気を良くした。足は引きずっている。
けれど、気分は悪くない。いや、むしろ良い。
そんなことがあって、私は気をとりなおし、足の完治をイライラ待つのはやめた。
そうだ。今はのんびり完治を待とう。
そして、趣味の洋裁を楽しむことにした。
私は洋服作りが趣味だ。
十年前、退職金でミシンを買った。性能の良い、私の大切なマシンだ。
そこで私は、普段は忙しくてできなかった、“ちょっと高い布地”を買って、
“丁寧に時間をかけてワンピースを縫い上げる”という楽しみを味わおうと思った。
これなら、足が悪くても楽しめる。
時間をかけることにも、罪悪感がわかない。
スピード仕上げの達成感を、丁寧なものづくりへとシフトすることにしたのだ。
まずは布地だ。
そう思い、大阪まで足を引きずりながら出かけた。
阪急梅田の布地屋さんで、とびきり気に入った布地を見つけた。
ワンピース用に買うつもりだったのに、プルオーバー用の布地まで目に入ってしまう。あれもいい。これもいい。
迷いに迷って、気がついたら一万歩も歩いていた。
左足を引きずりながら。
翌日、いつもより足がむくんでいるような気がした。
たかが一万歩でか。
……いや、捻挫中の一万歩は、たかがではない。
多分そのせいだ。
何をさせても、限度を知らない女である。
今、痛みはずいぶんと引いてきた。
だが、痛めた左足裏全体に体重が乗り、地面を蹴ろうとする瞬間、ひきつるような違和感が残る。
捻挫の後に残るむくみのせいか。
それとも、脳が歩き方を忘れているのか。
なんてこった。
ほんのあと少し。ほんのあと一歩ではないか。
しっかりしろ。
お前だよ、お前。
歩くということを思い出せ。忘れんな。
そんなふうに、毎日、左足首とのにぎやかな会話が弾んでいる。
そうだ。
これを機会に、夫にミシンで何か作ってやろう。
そうすれば喜ばれて、徳が積めるかもしれない。
……やはり、下心が見え見えだ。
結局、せっかちは、どこへ行ってもせっかちなのだ。