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『マシな倜空の䞋で』第4章矜化のタむミング

    【第3章はこちらから】


    【第4章矜化のタむミング】

    たた、い぀もず同じ朝が来た。

    鏡の前で完璧に敎えたはずのブラりスが、今朝はどうしおも窮屈に感じおしたう。満員電車に揺られ、定時にデスクに぀き、淡々ずメヌルを捌く。昚日たでず䜕も倉わらない景色のはずなのに、私の心だけが「サナギ」の殻を突き砎ろうず、内偎から激しく脈打っおいた。

    「凪、たたコンビニのサンドむッチ ちゃんず食べないず倒れるよ」

    背埌からかけられた明るい声に、私は固たっおいた肩をようやく䞋ろした。

    振り返るず、同期の結子が苊笑いしながら立っおいた。圌女のデスクは私ずは察照的で、お気に入りのキャラクタヌの付箋や、䜿い蟌たれたマグカップが䞊び、どこか人間味のある䜓枩を感じさせる。

    私たちは䌚瀟の屋䞊ぞ続く階段の螊り堎ぞ向かった。そこは、垞に効率ず正確さを求められるフロアから唯䞀逃げ出せる、私たちの秘密基地のような堎所だった。

    「ごめんね、さっきの資料、ただ気になるずころがあっお」

    「凪の『気になる』は、普通の人にずっおの『完璧』を超えおるんだっおば。たたには適圓に切り䞊げなよ。䌚瀟なんお、回ればいいんだから」

    結子はそう蚀っお、持参したお匁圓の卵焌きを頬匵った。
    圌女は私ず同じフルタむムの正瀟員でありながら、どこか軜やかだった。仕事はきっちりこなすが、定時になれば「掚しのラむブがあるから」ず笑顔で去っおいく。私にずっお、結子は「正解」ずいう名のレヌルから倖れおも、人生は楜しく続いおいくのだず教えおくれる、唯䞀の生きた芋本だった。

    「結子みたいに、自分の『奜き』を優先できたらいいんだけど。私には、䜕が正解か分からないたた動くのが怖くお」

    「正解なんお、埌から自分で決めればいいんだよ。ほら、私のこれだっお、ちょっず焊げおるけど『銙ばしくお最高』っおこずに決めお食べおるし」

    圌女が差し出した少し黒ずんだ卵焌き。それを口にした時、私の匵り詰めおいた神経が、ほんの少しだけ緩むのを感じた。

    この堎所で、結子ず亀わすずり止めのない䌚話。
    「承知いたしたした」でも「お疲れ様です」でもない、茪郭のがやけた蚀葉たち。

    完璧なシステムの䞀郚ずしお機胜するこずを求められる毎日の䞭で、結子ずのランチタむムだけが、私が「鈎朚凪」ずいう個人の茪郭を取り戻せる、かけがえのない時間だったのだ。

    次の日のお昌䌑み、絊湯宀で同期の結子から声をかけられた。

    「凪、ちょっずいい」

    どこか改たった様子の圌女は、少し照れくさそうに笑っお、私にこう告げた。

    「私、来月から産䌑に入るこずになったの」

    「え  おめでずう」

    驚きず共に、䞀気に寂しさがこみ䞊げる。入瀟以来、完璧䞻矩で自分を远い蟌みがちな私を、い぀も隣で笑っお支えおくれたのが結子だった。圌女ずのランチタむムだけは、唯䞀「定型文」を脱ぎ捚おお、心现さや本音を挏らせる時間だった。

    「人生、䞀床きりだもんね。やりたいこず、党郚やりきっおから戻っおくる぀もり」

    結子はそう蚀っお、私の肩をポンず叩いた。圌女の県差しには、母になる匷さず同時に、自分の人生を自分で遞び取っおいる誇らしさがあった。

    「凪も、あたり自分を瞛りすぎないで。あんたは十分頑匵っおるんだから、たたには自分の『奜き』に正盎になっおもいいんじゃない」

    その蚀葉が、最埌のひず抌しになった。
    か぀お絵本を読んでワクワクしおいた自分。あの頃の玔粋な気持ちを、もう䞀床取り戻したい。

    「  うん。ありがずう」

    私は深く頷いた。動くなら、今だ。今日こそ、あの叀曞店ぞ行っお、䞀ノ瀬さんに自分の決意を䌝えよう。

    定時を告げるチャむムず同時に、私は䌚瀟を飛び出した。

    倕闇が迫る路地裏、䞀ノ瀬叀曞店の看板が芋えおくる。だが、近づくに぀れお私の足取りは重くなった。
      看板の灯りが、぀いおいない。

    「  䌑み」

    扉の取っ手を匕いおも、やはりびくずもしなかった。明日こそは、明埌日こそは。そう自分に蚀い聞かせお通い詰めたが、店䞻の気たぐれな䌑業は続き、結局扉が開いたのは䞀週間埌のこずだった。

    䞀ノ瀬叀曞店の扉が閉ざされおいた月曜日の倜。私は、暗い路地裏で呆然ず立ち尜くしおいた。

    「  たた、明日来ればいい」

    自分に蚀い聞かせるように呟き、駅ぞず向かう。
    けれど、その日から私の「空癜の䞀週間」が始たった。

    火曜日、定時ず同時に䌚瀟を飛び出し、昚日ず同じ堎所ぞ向かう。だが、結果は同じだった。オレンゞ色の光はなく、冷たいシャッタヌが街の闇に溶け蟌んでいる。
    氎曜日になっおも、状況は倉わらなかった。

    「どうしお せっかく私が、決心したのに」

    ふず、自分の䞭に傲慢な期埅があったこずに気づく。私が倉わろうず決めたから、䞖界もそれに応えお扉を開けおくれるはずだ――。そんな根拠のない期埅が裏切られたこずで、心の䞭に泥のような焊りが溜たっおいく。

    デスクに座っおいおも、䞀ノ瀬さんの「僕が開けたいず思った日」ずいう蚀葉が、呪文のように頭の䞭を回っおいた。圌にずっお、私の決意なんお知ったこずではないのだ。

    朚曜日の倜、私は店に行くのをやめた。郚屋に垰り、買っおきたばかりの小説を広げる。
    静かな郚屋でペヌゞをめくりながら、私はある恐怖に襲われた。

    「私は、䞀ノ瀬さんに『正解』を䞊曞きしおもらおうずしおいただけじゃないのか」

    今の自分を吊定しおくれる、新しい「正解」を䞀ノ瀬さんに提瀺しおほしい。結局、䟝存先が「完璧なシステム」から「颚倉わりな店䞻」に倉わるだけで、私はただ誰かの「おすすめ」を埅っおいるのではないか。

    そう思うず、自分の足元が急に頌りなく感じられた。サナギの殻を砎るずいうのは、誰かに手䌝っおもらうこずではなく、自分䞀人の力で倖の䞖界ぞ這い出すこずなのだず、冷たい静寂の䞭で突き぀けられた気がした。

    金曜日。仕事で倧きなミスを芋぀けた。本来なら、自分の評䟡が䞋がるこずを恐れお動悞が止たらなくなるずころだ。けれど、私は䞍思議なほど冷静だった。

    「間違えおも、そこからどうするかを自分で決めればいい」

    定型文の謝眪ではなく、自分の蚀葉で状況を説明し、リカバリヌ案を提瀺した。䞊叞は少し驚いた顔をしたが、「次は気を぀けお」ず短く蚀っただけだった。

    䞖界は、私が思っおいたほど「100点以倖は0点」ずいう過酷な堎所ではなかったのかもしれない。
    その倜、私は店には行かなかった。䞀ノ瀬さんに報告するために決意を固めるのではなく、たずは自分自身のために、この䞀歩を噛み締めたかったからだ。

    䞀週間ずいう時間は、私を少しだけ匷くした。
    店が開いおいようがいたいが、私はもう、以前の私には戻らない。

    そう確信しながら路地を曲がったずき、芖界に飛び蟌んできたのは、あの日芋た懐かしい、はちみ぀色の光だった。

    この䞀週間、私の心は激しく揺れ動いた。䞀ノ瀬さんに「答え」を教えおほしいず瞋りたくなる倜もあった。けれど、閉たったたたの扉を眺めおいるうちに、ふず気づいたのだ。店が開いおいおもいなくおも、私の人生を動かせるのは私しかいないのだず。䟝存から少しず぀脱华し、自分ず向き合うための、もどかしくも必芁な䞀週間だった。

    そしお土曜日の倕暮れ。やっず石畳を照らすオレンゞ色の光を芋぀けたずき、私は安堵で膝の力が抜けそうになった。

    「いらっしゃいたせ」

    カラン、ずいう鈎の音に迎えられ、カりンタヌの奥を芋るず、䞀ノ瀬さんがい぀もず倉わらない無愛想な様子で叀い本を眺めおいた。やっず開いた扉の先に圌がいるこずに、私は蚀葉にできない安堵を芚えた。

    「あの、報告に来たした。なんだかんだ、ちゃんずはたずたっおいないんですけど」

    私の蚀葉に、䞀ノ瀬さんは本から目を離し、少しだけ意倖そうな顔をした。

    「報告  。ああ、それなら倧䞈倫です」

    「え  」

    せっかく決意を固めおきたのに、聞く必芁はないずいうこずだろうか。私は䞀瞬、拒絶されたような気持ちになっお蚀葉を詰たらせた。そんな私の様子を芋お、䞀ノ瀬さんは慌おお付け加えた。

    「あ、そういう意味じゃなくお。蚀葉足らずですみたせん。報告、聞きたすよっおいう意味の倧䞈倫です」

    「そっちだったんですね、良かった  」

    私は胞をなでおろし、この䞀週間ずっず抱えおいた想いを蚀葉にし始めた。

    「それで」ず促す䞀ノ瀬さんに、私はゆっくりず語りかける。

    「先日賌入した絵本を読んで、思い出したんです。小さい頃の私は、これから起こる党おが楜しみで仕方がなかったっお。あの頃の未来に向けおのワクワク感ずいうか、そういう気持ちをい぀の間にか倱くしおいたんだなっお」

    䞀ノ瀬さんは䜕も蚀わず、ただ私の蚀葉を真っ盎ぐに受け止めおいる。

    「だからずいっお、いきなりこれがやりたいっおこずもただ芋぀けられおいなくお。でも動くならタむミングは今なんじゃないかず思ったので、ご報告を」

    䞀気に話し終えるず、䞀ノ瀬さんはふっず目を䌏せ、䞍噚甚な衚情を浮かべた。

    「  それでも今の報告を聞く限り、ここに初めお来た日よりはマシになっおいおいいんじゃないですか」

    「マシ」。圌が以前蚀っおいた蚀葉だ。

    「そっか。前の私より今の私のほうが『マシ』ですよね」

    嬉しくなっお声を匟たせるず、圌は少し照れくさそうに芖線を逞らし、「それで報告は以䞊ですか」ず尋ねた。
    「はい」ず私が答えるず、圌はやや䞍思議そうに私を芋぀めお蚀った。

    「いや、もっず他にありたすよね」

    「他ですか 特に䜕も  ないですけど」

    「え、だから、その。あれは 感想は」

    䞀ノ瀬さんの食い䞋がるような問いに、私は銖を傟げた。

    「感想 ああ あの絵本は倧人になっお読んでもすごいず思える仕掛けが——」

    「そっちじゃなくお 玅茶の」

    䞀ノ瀬さんの倧きな声が店内に響いた。

    第5章ぞ続く──────

     
     
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