
【6-6】逆襲のシャアラストシーン解説⑥ 最後の最後に示された「いままでのものはすべて許されない」という逆シャアの物言わぬ冷徹さ。
愚民共「全て」に叡智を授けてみせろと言われたが、実際には数パーセントいればいいのだ、とアムロ
アクシズが、地球を離れていく。
それをジェガン隊が見送る。
アムロに賛同して集まった、彼らモビルスーツ群は何を意味していたのだろうか。
アムロとシャアだけでは、アクシズは押し返せなかった。
アクシズを押し返そうとする、ほんの数十本の、実にたよりない光条。
集まったジェガンのスラスター出力は、人類全体が持つMSの総数で考えれば、ほんの数パーセントの力だ。
しかし、そのわずかな人々の可能性こそが、サイコフレームに束ねられ、オーバーロードを起こし、アクシズという理不尽を跳ね返したのだ。
シャアはかつて「愚民共『全て』に叡智を授けて見せろ」と言った。
しかし、アムロはシャアに見せた。
「全て」でなくても良い、たった数パーセントでも集結すれば、こうして奇跡が起こせるのだ、と。彼はそう示し、「そうさせてもらう」を成就したのだ。
人類を代表した彼らが、ゴーストでなく、実体で集結したからこそおきた奇跡だった。それはほんの少しでいい。人類のほんの数パーセントが、しかも、直接ニュータイプに触れなくとも、一つの方向に集まって行動をともにするなら、きっと未来を開くことはできる。
ギラ・ドーガのパイロットたちは、ジェガンやジムⅢを見て参加している。アムロの意思が直接届いただけではない。この行動は、アムロに続いたジェガンたちから「その次」に展開したのだ。
この奇跡に立ち会った彼ら、または、彼らから影響を受けた誰かの中から、宇宙の彼方に飛び出していく人間が生まれるかも知れない。
アクシズは、押すべきだった? 受け止めるべきだった?
アクシズの前部と後部が、宇宙の彼方にむかって飛んでいく。
アクシズ後部が爆発ブレーキによって落下するのなら、むしろ、後ろから加速をつけて、地球から押し出す方がよい。それは、多くの人が気がつくことだろう。
しかし、アムロはこれを正面から受け止めた。
落下する小惑星は、シャアが被ってきた理不尽そのものだったからだ。
このときのシャアは、忌々しい想いと同時に、嬉しくもあったと思う。
後ろから加速をつけて押し出してしまう「お利口さん」な解決方法で、シャアは承知しない。
アムロがドッシリと、正面から力強く受け止めたからこそ、シャアの「理不尽との戦いは、何度やってもダメだった」という恨みが解放されていったのだ。
仮定の話だが、シャアのアクシズ落としが、完全な作戦として成功していたらどうなったろう。
決まっている。白いスーツを着て、サングラスで顔を隠して、アムロ死亡のニュースを見ながら「人身御供になったのさ」とでも言って、ガックリするに決まっている。
やるんじゃなかった。まただ。またこれの繰り返しだ。
そう嘆いて、第二のララアを求めて、シャアはさまよう。
この分かりきったメビウスの輪から、シャアは抜けられない。
逃げても逃げてもつきまとう理不尽。その宿命を、シャアも自覚している。「作戦成功」の未来すら、彼は先が読めていたのかも知れない。
だからこそアムロが、理不尽を正面から堂々と受け止めてみせ、不可能と知りながらも無様にあがいて全力をつくし、最終的に宇宙の彼方にシャアの「忌まわしい記憶」ごと放り投げてくれたのを見て、シャアは救われたのだ。
アムロは、シャアが陥っていたメビウスの宇宙すら越えさせたのだ。
いずれも彼の解放であった、シャアのふたつの死
「大佐が」
ここでナナイは顔を伏せる。まるでシャアが死んだようなリアクションだ。先述のように「命が吸われていく」といいつつ、シャアの身体に異常はないので、これも意味するところは違う。
生命ではない。ナナイが失われることを怖れていたのは、シャアの屈折した力の根源だ。幼少のころから蓄積されてきた、理不尽による恨みであろう。
シャアが解放されていくのが、ナナイにはわかる。
なまじ、人の意思が感知できたばかりに、彼女もまた苦しむ。
シャアが救われていくのは、地球に恨みをもち、反攻し、戦う意思を持ちつづけるべきジオンの総帥としては、死も同然なのだ。
それでも、シャアにとってこの解放は救いだ。
これと同じ意味で、シャアは、一度死んでいる。
ア・バオア・クーでの、ノーマルスーツ戦の果てに、シャアはアムロにヘルメットバイザーを貫かれ、眉間を斬られた。即死級の一撃である。
爆発による水入りの後、シャアはマスクを外し、優しい目でセイラと会話をしている。
彼は、あそこでアムロに殺してもらったのだ。
そして、キャスバルに戻ることができた。
「ガルマ、私の手向けだ」
視聴者は、シャアが突然そんなことを言い出して驚いたと思う。しかし、彼はあそこでジンバ・ラルの呪いごと「シャア・アズナブル」を葬ることができたのだ。
呪いが決定的に定着する前、ガルマ謀殺以前に、シャアの魂は戻る。
しかし、それでも振り返ればやってきたことは消えない。
それを背負った上で、キャスバルは、ジンバ・ラルに植え付けられた呪いではなく、父を謀殺された一人の若者として(あるいは、生き延びて戦争を続けようとする)キシリアを討ち、自分の血筋が発端で起きた戦争に決着を付け、そして死んだのだ。
これもまた、彼の救いである。
人類の進化をうながす、レベルの違う文明からもたらされた金属板といえば
アクシズが進路変更し、地球から離れていく。
名残を惜しみ、別れに手を振るように、T字型のサイコフレームがオーロラをひいて地球を回る。
人類が進化するのに必要な要素として、映画「2001年宇宙の旅」には「モノリス」という地球とは違う文明から送り込まれた金属板が登場する。
これ自体が高度なコンピュータの集積であるとされており、これに触れた原始人類、または、月面に到達した人類は、進化のきっかけを得ている。(月面にモノリスがあり、ここに到達した人類は、新しい進化の扉を開く)
サイコフレームも同じだ。金属板であり、それ自体がコンピュータの集積であり、サイコミュの基礎機能を持つコンピュータチップを、金属粒子レベルで鋳込んだモビルスーツ用の構造部材である。
これに触れて、この力を借りて、人類は革新するのだ。
なお、機動戦士ガンダムZZの初期OPで月面にそびえ立つコンピュータの基板らしきものは、おそらくモノリスであり、同時にサイコフレームの初期案なのだと思う。かの物語で到達できなかった次元を、本作では越えていく。
ただ、これまで述べてきた通り、サイコフレームはシャアやアムロの願望を叶えるために存在するように見える。
アムロとシャアの意思疎通を容易にし、本音トークに邪魔なジェガンを吹き飛ばし、ララアを求めて手を伸ばす助けをしている。ついでにアムロの「人の心の光を世界に見せておいて」も、T字試料を先頭に、オーロラが引かれて実現している。
そして、結果として、アムロとシャアが共通して持つ「ニュータイプの使命」すなわち、宇宙の果てを目指して飛翔する夢を叶えている。
サイコフレームとは、そうした人の意思や願望を実現させる側面を、もっているのかもしれない。
これを、唐突だなと思うむきもあるだろう。
しかし、チェーンが死んだときの現象に伏線がある。
アルパアジールからのビームを敵と認識して、サイコフレームはジェガンにバリヤを張った。しかし、ハサウェイからのビームに対しては、彼を受け止めようというチェーンの意思が働いて、直撃を受けてしまう。彼女が持っていたT字の試材は、宇宙に放りだされた。
このとき、月と地球の間に、突然に土星をはじめ太陽系の星々が現れる。
これは、サイコフレームが見た夢だ。
サイコフレームは、遠い星の彼方を夢見て作られた、人類の希望である。
星の彼方に人類を到達させる使命をもって、この金属板は作られたのだ。
あの幻のような星々は「星間の距離が無くなったかのように遠くに行ける未来が来る」ことを示している。
このとき、地球上の子供(ミライさんが滞在していた香港の、洗濯紐がはりめぐらされた町に住んでいるやかましく騒いでいた三人の子供たち。声がちょっとカツ、レツ、キッカに似ている)が、拡散するサイコフレームの波動に感応している。
一方で、地球を脱出しようとして、自動車事故を起こしているミライさんたちは、それが分からない。
そして、ラサのクリスチーナが座禅を組んで瞑想しながら、その意思を受信している。
後に、アムロとシャアを象徴するアクシズは、この太陽に向かって飛翔している。「久しぶりに太陽が出た」とグループの少年が言っていたのは、このとき人類の進むべき方向がわかるようになった暗喩であろう。
この後、サイコフレーム試料は、戦場をめぐって、サザビーと、νガンダムの前に現れる。自分と同じ素材で作られ、人の意思を吸い込み続けたモビルスーツを、サイコフレームは観察する。
そして、人の意思が集中しすぎてオーバーロードを起こしたあたりで、ついにその能力を解放させた。落下軌道にあるアクシズを、何の反作用も観測されないまま地球の引力圏から引っ張り出すという、ありえない物理現象を起こしたのだ。
その光が、全世界にむけて、その輝きを示す。
ナナイ・ミゲルが守りたかったもの
ナナイが泣く。驚きではなく、何もかもわかっていた嘆き。
二人、バスローブで会話していたときから、本当はわかっていた。
私では、シャアをつなぎ止められなかったし、その孤独を救うこともできなかった。
男は本能で死ぬまで戦う。登山家が、ギリギリで登頂できるかどうか迷う状況で、無茶なアタックをかけて死亡することがある。ある登山家は、このとき意識して女性の肌の匂いを思い出し、それで「家に帰ろう」と思えるのだそうだ。
これが無いと、男は本能で死ぬまで戦い続ける。
ナナイがシャアを身体でつなぎとめようとしていたのは、執着からだけではない。彼の生命を守りたかったからだ。
自分でやったのは、もちろん他の女にはさせられない執着によるのだろうけれど。
そしてシャアは、ナナイと肌を重ねた直後であっても、ララアを思い出す。「私を導いてほしかった」という述懐するシャアは、ナナイでは届かない場所(方向)を求めていたのだ。
二つに割れたアクシズの、後部にシャアとアムロはいる。そして、先を行く前部アクシズは、ララアが二人を導いている姿だ。
新生ネオジオンのマークが白鳥であると書いたが、それはやはりララアを象徴し、彼女とともに羽ばたこうというシャアの願いが形となったものだったのかもしれない。
訳が分からないと言われる逆襲のシャアでも屈指の訳が分からないラストに並んだ「姉弟・老人・象さん・赤ちゃん・ハサウェイとミライさんとチェーミン・そしてクリスチーナ」の意味
世界に人の心の光をみせたい。
そのアムロの願いを拾って、サイコフレームが地球上空を駆ける。
それを世界が見上げる。
穏やかな夜。
夢を見ている時間に、人々はこの奇跡を見る。
幼い姉弟が空を見上げ、壁面の構造から見て同じ建物にいる老人はカーテンを閉めた。
老人は、未来を意味する左側に身体を向けている。この老人ですら、未来を見ているのだ。
それでもこの光は、老人には眩しく、カーテンは閉められる。
あの光は、子供達には、眠りを忘れるようなときめきとあこがれであり、老人にはまばゆい。そうした希望そのものだ。
カーテンを閉めた後の夜空が、とりわけ広く輝いて描かれているのは、この老人には眩しすぎて見えるから。
以後は、それほど広範囲の輝きは見えない。若者の視点からは、じっと見つめることができる光量だ。アムロが世界に見せたかった光は、可能性を秘めた若者に優しい。
ただ、この屋敷の右側には緑が生い茂っているものの、未来を象徴する左側の木は、枯れ果てている。未来が、決して明るく希望に満ちているわけではないことを、ひっそりと画面が語る。
高台の古い城の下に、暖かな色の町の灯りが見える。
高高度のさらに高所で起きたアクシズをめぐる戦争は、すぐに古びた遺跡のように記憶から忘れ去られていく。多くの人々は、かわらず地球にへばりついて、あたたかい生活を送っていくだろう。
しかし、象の親子が身を寄せ合っている。おおよそ地球で最も強靱な生物が、身を寄せ合ってなんとか生き残るような、過酷な時代がはじまる。
そして、象の頭上の空には暗雲が立ちこめている。
そんな世界にも、ひっそりと、針葉樹の森の奥で、しかし新しい生命は生まれる。
ただ、サイコフレームの夢を受け取れなかった者もいる。子供や老人までもが未来(左側)を向いているのに、ハサウェイは過去(右側に顔を向けている)に捕らわれ、涙を浮かべて茫然とし、ミライさんとチェーミンは、激しさを増す砂嵐の中で車を壊してしまい、進むことを許されない。
ミライさんが示すのは、一年戦争からZZまで全作に出ている人物であること、その身内の象徴だ。
すなわち彼女らの姿こそ「これまでの人類」である。彼らは地球から飛翔するアクシズの光と、同じ画面に並ぶことを許されない。(これまでほぼ同一カット内だったのに比べて、明らかに別々のカットに分けられている)
しかし、クリスチーナだけは違う。
サイコフレームの夢を、意思を受信した彼女は、若者を引っ張って、未来に向かう。
眼下には、山壁に彫られた巨大な仏像(2001年に破壊されたバーミヤン石仏だと思われる。東西貿易の中継地で、多くの人間が、ここから遠い世界へ旅立っていく。この地は、シルクロードの象徴でもある)。地球と分離できないでいる古い価値観の象徴をはるかに越えて、高所に、高い次元に登っていく。
未来へ進みながら、ララアと同じ声を持つ彼女は、ときおりアクシズの周囲に光る、人の心の光を確認する。
彼女だけでは無い。世界中で、この光に出会った人はたくさんいる。
サイコフレームの、緑と、あかと、きいろの光は世界を照らし、温める。
アムロが示した光とぬくもりを受けて、人類は再び飛び立っていくだろう。
その可能性が、この暗い地球の向こうにある。
アクシズは、太陽の方向に向かっていった。映画のラストカットは地球の影の側。つまり、太陽を未来とすれば過去。宇宙世紀を間において、我々がいまいる場所に視点を着地させている。
太陽の向こう、人類の夜明けの光を見せながら、シャアとアムロは去って行った。
またたくサイコフレームの光は、さようなら、さようならと、地球が彼らに名残を惜しんでいるようだ。光は右から左へ。ぼくたちも、未来に飛翔しますと、誓いながら。
二つに割れたアクシズが歌うもの
「逆襲のシャア」は、ニュータイプの持つ使命と、シャアの解放を描き、人類には、宇宙の彼方に飛び出していける可能性があることを、力強く示して終わった作品だった。
何度も映像を見返していて「アクシズが割れる必要はあったのだろうか」と疑問に思ったことがある。分割関連の作戦行動を飛ばして、激しい落下阻止戦という形のままでも、この物語は成立するだろう。ただでさえ尺が短く、あちこちが省略されまくった(せいで難解な)映画なのだ。
アクシズが、一つの石ころとして、遠く宇宙の彼方に飛び去っていく姿。それも想像はできる。
しかし、アクシズは割れて、互いを引っ張る姿を見せながら、宇宙の彼方に飛んでいったのだ。
より小さな石ころになった、二つのアクシズが飛んでいく。
「機動戦士ガンダム」のエンディングでは、アムロ一人だけが宇宙の彼方に旅立つように歌われていた。だが、逆襲のシャアのラストでは、シャアとともに旅立っている。おそらくはララアの魂も。
彼らを喪う微かな寂しさの中で「誰も一人では生きられない」と、そう二つのアクシズが歌っているように、筆者には思える。
終わり
おまけ
機動戦士ガンダムZZのED「一千万年銀河」の意味を、本考察(逆襲のシャア解説)の観点から読み解きます。ZZの途中で逆襲のシャア制作が決まったためか、この後期EDには、ZZのその後と、逆シャアを予言するような歌詞になりました。
このEDこそが、ZZに残った逆シャアの痕跡です。
「逆襲のシャア」は、富野監督が言いたいことを映像だけで見せ、演出しています。難解なこの意図を、別の角度から語ってくれているのが、この「一千万年銀河」です。
本解説を読了後にこの歌詞を味わうことで、物語が急に立体感を得る手応えがあります。ぜひ御一読くださいませ。