
【6-7】一千万年銀河が歌う「次の一千万年」のはじまり
逆襲のシャアラストシーン解説を通読してみると「機動戦士ガンダムZZ」の後期エンディング「一千万年銀河」の意味が、(妄想ながら)見通せる。
ひろえ純さんの、情熱的で透明感のある力強いバラード。壮大で感動的な歌であり、聴く者に未来への希望を抱かせる歌ではあるが、その歌詞の意味となると、やはり理解が難しい。
しかし、先述の逆シャア解説を踏まえ、ガンダム全体を貫くテーマで読み直すと、星、光、語る力、生命などの単語に込められた意味に見当がつく。
作詞者富野由悠季氏の意図を、6部に渡った逆シャア解説を下敷きに解説してみよう。(逆シャア解説のオマケなので、6-7とした)
※ 歌詞全部は引用できないため、要所を用いた解説に留める。
歌ネットより、ひろえ純「一千万年銀河」の歌詞全文
「いく百、いく万、いく億の星よ」と呼びかけて歌がはじまる。
真のニュータイプとなったジュドーが語りかけるこの「星」とは、ひとりひとりの人間のことだ。
ジュドーは彼らに「なぜ光るだけなのか」と問う。星が光るのは当たり前だ。これは、当たり前の、オールドタイプの人々のありようだろう。
だが、ジュドーは人類の革新を信じている。誰もがニュータイプになれる可能性を信じている。だからこそ彼は「語る力を示せ」と背中を叩く。
星と星の距離は遠い。間にはミノフスキー粒子という通信を妨げる障害もある。それでも自分たちはニュータイプとして覚醒して、意思の疎通が、語り合うことができたのだ。
「今なら、俺でも振り返らずに、飛び立つ心」
このときのジュドーは、遠い星に向かって飛び立っており、自信に満ちあふれている。
自分のような、古くて腐ったコロニーで学校にも行かずにジャンク屋をやっていたような人間でも、ニュータイプに目覚めたのだ。ザビ家の血筋をかかげたアクシズの血統主義も、地球育ちのエリートかどうかも、ニュータイプになり得るかどうかとは関係が無い。そんな自分だから言える。「なぜ光るだけなのか」と。「語る力を示せ」と。
自分個人ですら、リィナと再会して、ぬくもりを得たからここまで飛び立てたのだ。
これを人類に拡大できれば、星の数ほどいる人々の、その生命のぬくもりを集めて、銀河の群れ(すなわち人類)は、そのありようを変えていける。
ここでジュドーは「もしもそれができたなら」という前置きを隠して「この掌(て)が掴む 生命の重さになる」と歌っている。
「この手」ではない。「この手」は、別の意味をもって最後の方で出てくる。ここでいう掌(てのひら)とは、何かをそっと大切に受け止める部位だ。そして、命のぬくもりが重さを持つ実体。それは、おそらく赤ちゃんのことだろう。
自分たち戦争ばかりしてきた世代ではダメでも、人々の意識が変わり、人類の革新、ニュータイプへの目覚めが起きれば、その後で生まれてくる赤ちゃんが、俺たちを銀河の彼方に連れて行ってくれる。
それを夢見ながら、ジュドーは踏ん張って立つ。
俺たちの世代は、まだ準備する段階なんだ。
俺たちの仕事は、変化すること。
今は、その赤ちゃんが指し示す方向は、まだ見えない。
でも俺たちが変われば、宇宙の彼方に飛び出していく、その道しるべは、次の世代が見せてくれる。
そんな希望があるよ、と彼は歌う。
赤ちゃんが人類を導く標となるのは、イデオンでも語られていたし、逆襲のシャアでも、エンドロールと共に聞こえた赤ちゃんの産声が示唆している。
逆シャアのラストで、飛び立つ心を持って描かれたのは、クリスチーナだ。彼女はジュドーの立場にいる。もし彼女が男性だったら、声は矢尾一樹氏だっただろう。
二番は、ジュドー世代が経験する人類変化の切っ掛けを語っている。
それまで、ニュータイプ能力の高まりの果てには、ゴーストしか集まってこなかった。しかしアクシズ落下阻止の最後には、両軍の人間が集まって、繋がって見せたのだ。あれはごく少数の例外的な絆だったのかもしれない。しかし、最初はそれでいいのだ。これからだ。オールドタイプとニュータイプが、敵味方関係無く繋がってみせるときは、確かに来た。
たくさんの人類があの光景を見て、あこがれと希望を抱く。
人々が胸の奥で、この繋がる時を待ち望んでいたのだ。ジェガンたちがアクシズにとりついて何を行ったのか、ほとんどの人類は知らない。それでもアクシズの光を見て、その始まりが告げられたことを人類は見ている。
これからは、連邦もネオジオンも無くなる。(少なくともこの時代にはそう信じられてきたと思う)人がどこに所属し、どんな立場を形成して、何の正義で戦うのかという、星のパズルが組み替わっていく。ジェガンとギラドーガが、瞬間でも手を組んで助け合おうとしたように、その常識の組み替えが起きれば、そこから時代は変わる。
そのとき中心にいる「裏切る星」とは、赤い彗星のことだ。Ζガンダムで金色の百式に乗り換えたのに、また赤い血色のサザビーに乗っているのは、彼がダイクン家の血統に縛られているからだ。
ZZでもジュドーは血筋の呪縛を否定している。赤い彗星が、自分の血統にとらわれないように、その意識を変革させられれば、歪みの果てにアクシズを地球に落とすこともなくなる。二番では、それが歌われている。
逆シャアではメビウスの輪と言っているが、シャアの陥っているねじれとは、(逆シャア解説でも書いたように)このアクシズ落としを成功させても、ガルマを失ったときの悲しみを繰り返すだけという呪いだ。
そこに落ちることを、ここでは「まだ止められる」と歌っている。
この使命を、逆シャアではアムロが果たしている。そう考えると、彼はやはりシャアの凶行を止めてやりたかったのだ。
シャアが欲してきた、生命の手応えというあたたかいぬくもりと安心を得たなら、彼の悲しみは止められる。そうこの歌は予言している。
機動戦士ガンダムZZのエンディング曲ながら、逆シャアの予言めいた歌だ。後期エンディングが始まった時期には、もう逆襲のシャア制作が決まっていたのだろうか。オープニングに登場しながらついに本編に出なかったシャア同様、「一千万年銀河」は、逆シャアに繋がっている。
この歌が、ストレートに歌っている。逆襲のシャアは、アクシズの落下を阻止する物語ではない。シャアが解放される物語なのだ。
歪み(シャアの受けてきた理不尽による恨み)、ねじれて(メビウスの輪にとらわれてガルマ殺しと同じ過ち(アクシズ落とし成功という地球環境の大破壊と、アムロ撃墜)を繰り返し)、闇に落ちる(あの時と同じ途方も無い虚無と悲しみに落ちる)ことなど───。
「まだ止められる───」とは、アクシズ落下を阻止できる、という意味では無い。シャアが「歪みねじれて闇に落ち」てしまうのを、まだ止められると、(逆シャア内では)アムロが戦っている姿を歌っているのだ。
最後にもう一度、人々のぬくもりがあつまって、そのありようが変化して、新世代が生まれることを高らかに歌い、しかしいまの世代が変化してこそ、宇宙を進む標を示す子供たちが生まれるのだと前置きしている。
それを夢見て、ジュドーは「この手に触れ」と乞い願う。
映画「2001年宇宙の旅」で、原始人だった人類は、モノリス(地球外生命体の道具で接触した種属に劇的な進化をもたらす)に手を触れて、大きく飛躍的な進化を遂げた。
その切っ掛けに触れようとするジュドーの切なる願い。宇宙世紀では、人類の進化を助けるモノリスは、サイコフレームであり、その「光」だ。これに彼は人類を代表して手を伸ばす。(2001年宇宙の旅では、月面モノリスと接触の後に、ジュドーと同じく木星の向かって人類は旅立ち、そこで更なる進化のきっかけと出会う)
ZZ初期オープニングでは、コンピュータの集積回路のようなものが月面に見える。おそらくサイコフレームの初期案だろう。2001年宇宙の旅でも、二枚目のモノリスは月面にあった。最初の原始人類(人類が猿から分岐して二足歩行をはじめた頃の)時期から、進化の果てに月面でモノリス(サイコフレーム)と出会い、二度目の飛躍をするまでが一千万年。
ZZのオープニングで、原始人からいきなりアムロに変化している描写がある。あの一瞬が、実際には一千万年だ。
ジュドーは手を伸ばして、進化のきかっけに、モノリスに、サイコフレームの「光」に触ろうとする。
そこから、人類の「次の一千万年」が始まるのだ。
「一千万年銀河」とは、そういう意味の歌であろう。
このEDに、しかしジュドーの姿は描かれない。初代のRX-78からガンダムが順番にオーバーラップするだけだ。歌われている内容が「ガンダムという作品を通じての一貫したテーマだから」と捉えることもできる。
だが、それ以上にこの歌は、我々が感情移入していた主人公の歌ではなく「最初からずっとガンダムを見ていた君たち(我々)」こそが、これまでのありようを変え、これから未来を開いていくのだよ、と、さあ行こう、次の一千万年が始まる、それを作るのは君たちだよと、そう歌っているのだ。
歴代ガンダムが一様に右手を前に突き出しているのは「決意と前進」を象徴するポーズである。ガンダムが見ているのは未来を暗示する左側だ。モビルスーツが、それを人類にうながしている。
その手が開いていれば「行け」という指示だろうが、力強く拳は握られている。自分たちも共に行く、という意味だ。(富野ガンダムは、最後にだいたいモビルスーツなど要らないのだ、という結論になってしまうから、モビルスーツ好きな僕としては、共にあってくれるとやはり嬉しい)
人類の進むべき未来への指標。その壮大さが、ひろえ純さんの声で見事に歌われている。「逆襲のシャア」を観ていなかったリアタイ当時の我々ですら、意味もわからずこの歌に感動し、未来への希望を抱いた。作詞した富野監督の意思は、たしかにこの歌声によって、我々に届けられたのだ。
逆襲のシャアが読み解けて、はじめてこのメッセージを受け取れた。
40年近く前から、富野監督は、ガンダムを通して、ずっとこう歌っていたのだ。
変化と、その向こうにある希望を。
