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【6-5】逆襲のシャアラストシーン解説⑤ えっ、これで二人の会話終わりなの? と思った次の瞬間にシャアは何を叫んでいたのか。

    開き直った二回目の「わかるんだよ」

     愛着を得てなお、地球から飛び立てるのがニュータイプ。
     愛着に縛られて、地球にしがみつくのがオールドタイプ。

     この前提を踏まえて、シャアの言葉を見てみる。
     シャアは、ラストで、二回同じようなことを言っている。
    「遅かれ早かれこんな悲しみだけが広がって地球を押しつぶすのだ」
     そして
    「しかしこのあたたかさを持った人間が地球さえ破壊するんだ」
     である。

     ただし、二回目で、贖罪についてはもう言わなくなった。ジェガンたちが吹っ飛んでいったので、建前を言わなくてよくなり、その理屈は消えてしまったらしい。

    「そうか。しかし、」
     アムロの言いたいことは伝わっている。人の心の光を、それに集まった人間の行動を、シャアは今まさに見たのだ。
     敵味方区別なく、協力し助け合おうとする暖かさを。
     オールドタイプですら、こうした行動をとるのだ。

     だが、彼らはニュータイプではない。
     ニュータイプは、ジュドーが示したように愛着にしばられない。
     オールドタイプは、結局はぬくもりと愛着に縛られて、地球にしがみつき、押しつぶしてしまう。

    「この暖かさをもった人間が、地球さえ破壊するんだ」
     だから、人類はニュータイプに目覚めなければならない。
     そのためには、地球に残る者を粛正しなければならない。

    「それをわかるんだよアムロ」
     アムロも、前提はわかる。人類はニュータイプに目覚めて、銀河へ向かって飛んでいかねばならない。

    「わかってるよ」
     しかし、方法が違う。先回で書いた通り、説教や強制で、人間の魂は前にすすまないのだ。

    「だから、世界に人の心の光をみせなきゃならないんだろ」
     これが、アクシズ内で言おうとしたアムロの人類へのアプローチだ。彼が単機でアクシズを押し返そうとした光景を見て、ジェガン隊が命を捨てて集まったのだ。目の前で見たシャアには、もはや答え合わせである。

     アムロは、シャアを急ぎすぎだと諭す。
     そして「時が健やかに温める愛」を、彼は人類全体と育てていこうとしているのだ。
     そのぬくもり無しに、人類が本当に「銀河へ向かって飛べよ」とはならないのだから。

    余談 人は悲しみ重ねて大人(相手を理解して思いやれるニュータイプ)に成(熟す)る

     ニュータイプが、戦争の中で生まれる理由として、ミノフスキー粒子意思伝達説を紹介したが、シャアはもっと直接的に「戦場」の有様とニュータイプの関係を述べている。

     シャアは「戦争がなければ、ララァのニュータイプへの目覚めはなかった」と言う。
     ニュータイプは、悲劇を経て、人間性を喪失してこそ生まれるのだ。
     これは、シャアが、ララアの死によって、急速に覚醒した経験を踏まえているのが一つ、そしてアムロの戦歴もまた雄弁に証明している。

     彼については「機動戦士ガンダム」作中で丁寧に描かれている。母と離別してランバ・ラルに勝ち、マチルダを喪って黒い三連星に勝ち、(この頃からニュータイプフラッシュが出はじめている)ウッディ大尉を喪ってシャアを凌駕し、父と離別してコンスコン隊を葬り、スレッガーを喪ってビグザムを倒せた。そしてララアを喪ってシャアを圧倒している。

     シャアが面倒を見ていたカミーユもそうだ。
     父フランクリンが死に、母ヒルダが死に、アポリーとロベルトの頃はそうでもなかったが、フォウが死に、ロザミアが死に、サラが死に、カツが死に、ジェリドが死に、ヘンケンが死に、レコアさんが死に、エマさんが死んだあたりで、彼のニュータイプ能力は限界を突破している。最終的にシロッコが死んだときに精神崩壊した。

     喪失の経験と、それによって人間性を手放す(失う)ことで、ニュータイプは目覚めてきた。

     悲しみを重ねて、少年はニュータイプへ覚醒する。「めぐりあい(劇場版機動戦士ガンダムⅢ主題歌)」でも同じ文意(「人は悲しみ重ねて・・・」)があり、その結論は「大人になる」だ。ニュータイプへの覚醒は、すなわち、少年から大人に成熟することを意味するのかも知れない。

    シャアを解放し、救うために、彼は子供にもどされていく

     ここで、ニュータイプの理想についての対話は、全て出尽くした。
     しかし、アムロとシャアは、まだ平行線のままだ。

     アクシズは落下を続けている。
    「何も出来ないで・・・!」
     ───終わることはできない。

     地球を破壊してはならない。
     そして、人の心の光を、見せなきゃいけない。

     そう苦しみながら椅子にしがみつき、無様な姿でアムロはあがく。

     その姿を見て、シャアは思う。
     何歳くらいから、私はこんなふうに我武者羅ができなくなったのだろう。
     私は、早々に子供を辞めて「シャア・アズナブル」を演じてきた。

     もどりたい。
     まだ、子供だった頃に。
     彼がそう内心で願った瞬間から、周囲の景色が変わりはじめた。

    余談 あかときいろ

     このとき、サイコフレームの緑の光は外に拡散している。
     そして、彼らがいるコクピット内を彩り出したのは「あかときいろ」だ。

    「聖戦士ダンバイン」のEDを憶えているだろうか。「みつめてごらんよ あなたの中の宝石箱を そこに隠れている───」と、自分の心の中の、大切な部分が歌われる。
    「ちいさい頃の 思い出 色は───」それが「あかときいろ」だ。

     シャアはこのとき、赤と黄色の光に包まれ、ちいさい頃の眠りを忘れるほどのときめきに誘われている。
     だから、二人の会話は、まるで子供の口げんかのようになっていく。

     思えば「いま計算してみたが」「おまえたちの頑張りすぎだ」のあたりから、シャアの発言がちょっと面白くなってきている。ネオジオン総帥として道化を演じていたときとも、プライベートでナナイやクエスと気さくに話していたときとも違う。

     シャアはここで子供に戻っていく。
     彼は、心の底では、ずっと分かっていて、そして願っていたのだ。

     戻りたい。
     ジンバ・ラルに呪われる前に。

     赤と黄色に包まれた世界。素直に、単純に、そして赤ちゃんになれる空間が、サイコフレームによって用意された。
     シャアは、コクピットカプセルという子宮で、無力な子供になっていく。
     νガンダムがこのカプセルを守るのは「機動戦士ガンダム」というシリーズ作品が、シャアの解放の物語であった象徴だ。

     シャアは、子供に戻っていく。
    「人の光をみせなきゃならないだろ」と、自分より上を行くアムロに、それでもシャアは負けたくない。

     ひとこと言ってやりたい。
     自分より下の者は愛せる。だが、自分よりも恵まれているものを愛するのは難しい。精神が子供に戻っていればなおさらだ。

     完全に負け惜しみな感じで、シャアはアムロに食ってかかる。

    おそらくは尺の都合で、極限まで削れる内容を飛ばしている最後の会話

    「ふん」
     アムロ、お前は理不尽に立ち向かい、人々に希望の光を見せている。まるで超人だ。まったく、いやになるよ。モビルスーツの腕前以外も完璧じゃないか。女にもモテただろうな。そういう正義の味方のヒーロー様は万人を愛するんだろ?

     ───というシャアの意思を前置きして

    「そういう男にしてはクエスに冷たかったな。ええ?」
     イヤミな、ひねくれた中学生のような言い方でシャア。
     サイコフレームで伝わる分だけ発話が省略され、意思伝達は続く。

     アムロ、お前は私のように苦しまず、マシンのように冷徹な判断ができるんだな。どんな理不尽にも立ち向かって超えていくんだろ。私は泣いて逃げたぞ。しんどかったぞ。ガルマのときとかな。
     アムロ、おまえはまるでマシンだ。愛することも、きっと完璧にできるマシンだ。それでクエスも愛せたんじゃないか? 

     ───というのが言外に伝わって、アムロが

    「俺はマシンじゃない。クエスの父親がわりなどできない」
     と、返す。そして同じ理屈で思い至る。

     このとき、アムロはシートに戻った。自分の本来の立場に戻っている。彼の本来の立場とは、銀河へ向かって飛ぶ男である。
     シャアの子供のような愚痴につきあいながら、同時に、真のニュータイプとしての位置に戻ったのは、この後の準備だ。

    「だからか、だから貴様はクエスをマシンとしてあつかって」
     素直すぎるクエスの行為を、シャア、お前は利用したんだな。
     ───とアムロの言いたいことが、サイコフレームで伝わる。

     クエスは、言えば言われたとおりに出撃する。「大佐の為なら死ぬことだってできる」とでも言いそうな少女だ(言ってる)。あの子はお前に父親を求めていたんだよ。子供が親を求める素直な愛を、シャア、お前は利用したんだ。

     言われて気がつくシャア。
     自分が、キツい女と地に足のついていない女にだけはやたらにモテて「お手伝いします」とか「私と来てくれれば」とか「あたしは大佐を愛してるんですよ」とか、言われ慣れすぎて気がつかなかった。考えてみれば、自分ももう34歳だったわ。来年は、あの頃のランバ・ラルと同い年か。言われてみれば、なるほどな。

    「そうか、クエスは父親を求めていたのか」
     ロリコンロリコン言われていたから、あれ男女の愛かと、恋愛の好意を寄せられてたと思ってた。だから、私も手の甲とかにキスしてたっけ。クエスは、親の愛を求めていたのに「似た刺激」としての恋愛に勘違いして「愛している」って言い始めたんだ。
     ああー、そっちかー。でも、実はうっすら気がついてはいた。

    「それで、それを私は迷惑に感じて、クエスをマシンにしたんだな」
     言うことをきくだけのマシンとして。親の愛など注がずに。

    「貴様ほどの男が、なんて器量の小さい」
     ダカール演説のときの立派さはどうした。クエスをニュータイプとして導けたんじゃないのか。カミーユのときは、頑張ってやっていたじゃないか。

     アムロ、あれはカミーユがなんとなくガルマに似てて、個人的に愛せただけだ。あと、最終的に酷いことになっちゃったし───とも思う一方、器量のことを言われた瞬間、シャアは目を剥いて怒った。

     言ってくれたな、アムロ。器量とか関係あるかい。私は理不尽と戦ってきたんだ。お前だって理不尽と戦ってきただろうに。
     私の、いや俺の器量がちいさくなった原因は、お前だかんな。お前の言う器量っていうのは、心の余裕だよな? それが狭くなっちまったのは、お前のせいだぞ。
     いっとくけど、その最大のやつ、お前がやらかしたララア寝取り殺しだからな。俺はお前に負けた側だから死ぬまで言うぞ。

    「ララア・スンは、私の母になってくれたかもしれない女性だ」
     母の愛に飢えたまま、呪いによってフタをされた俺が、人間的にやりなおすには、絶対必要な女性だった。

    「そのララアを殺したお前に言えたことか」
     ララアがいなければ、俺は子供のままなんだ。
     新生ネオジオンの総帥に包容力などない。抱擁してくれるはずの母親は、6歳のときにはもう死んでいた。俺は、器量とやらを、新生ネオジオン総帥の形に、無理矢理にして広げてきただけだ。

     もう一度言ってやるぞ。俺の器量がちいさいのは、お前がララアを殺したからだ!

     シャアの、子供のような心の本流が、アムロに流れ込む。
     最後に恨み言を吐くことで、シャアは他者に甘えることができた。
     おそらく、誰にもこんなことは話せなかった。
     子供っぽい喧嘩を、シャアはしてこなかった。
     することが許されなかったからだ。

    「お母さん? ララアが? うわっ」

     最後に、アムロという唯一残った友達を信じて、思っていることを伝えることができた。それでシャアは気がついた。

     戻りたかったんだ。
     ジンバ・ラルの呪いを受ける前に。

     母の居た頃に戻りたい。
     私は、これを望んでいたんだと、このときやっとシャアは気づく。

     彼のラストカットは、それまでどんなに揺さぶられても座りつづけていたシート(これまでのシャア・アズナブルという立場)から、ついに離れて立ち上がり、両手を広げて叫び出す寸前の姿だ。
     この後、シャアは叫ぶ。
     おそらくは、生涯ではじめて彼が発する、胸の奥からの叫び。母を求める孤独な魂の絶叫。しかし素直で、単純であたたかな、愛らしい愛の形。
     それは「ララア」だったのか「お母さん」だったのかは、分からない。

     ただ、サイコフレームは、その叫びに応じて、全力を噴出した。

    これ以降はすべて「アクシズ」が語っている

     あふれ出て、ジェガンを引き剥がしたサイコフレームの光が、さらに爆発的に広がる。それは、あきらかにサザビーのコクピットから飛び出している。
     直前に、シャアが願い叫んだララアのことだ。
     母になってほしい。子供に戻って、ぬくもりを取り戻したい。

     シャアは、あかときいろの光の中で、手を伸ばす。
     このとき、その進む向こうに、一瞬だけ太陽が見える。
     画面は、左から右に(現在から過去へむけて)光が伸びる構図だ。太陽のあるあたたかな世界を渇望し、すでに死んだ女性への思慕が、純粋で、堪えがたい熱心さとなって手を伸ばす。

     彼女を象徴するのは、分割後に、十字架の形をしたアクシズ前部だ。
     シャアの求めに倣って、サイコフレームの光が束になってすがりつく。

     地球に落ちるはずだったアクシズ後部は、これにつかまって、地球から離れていく。

    余談 ガンダムシリーズにやたら出てくるキリスト教とは(それほど)関係の無い十字架

     ガンダムには十字架が、暗号のように出てくる。
     劇場版機動戦士ガンダムⅠの主題歌は「砂の十字架」だ。
     ア・バオア・クーから脱出したアムロのコアファイターは、両翼端が破損しており、十字架のシルエットに見える。
     Ζガンダムのウェーブライダー形態は、特にシロッコに突っ込む最終話では、血の赤に縁取られた十字架の形に描かれていた。
     クエスのアルパ・アジールも両手を広げた十字架型をしており、そしてアクシズは割れた後で(前部が)明確に十字の形になっている。

     1970年代に十字架モチーフが流行していた。キリスト教から来た概念だが、教義とは独立した文学的な意味をもっており、

     自分で選んで背負った(あるいは運命的に背負わされた)重い使命や責任、苦難

     を象徴している。「それが、お前の背負った十字架だ」という台詞が昔の漫画にあった。徳川家康の詠む「重荷」でなく「十字架」なのは、その先に犠牲的な死があるためだろう。
     十字架には「誰かを救うための犠牲的な死」そして「その後の復活」が象徴されている。

     アムロはホワイトベースの仲間を救い出して、一人残されて死んだかと思われたが、十字のコアファイターによって生還した。

     カミーユは、多くの人の死の受け皿になり、血に縁取られたΖガンダムに乗ってシロッコを倒したが、その精神は犠牲となった。最終回で彼は人の姿に戻ることができず、ウェーブライダー形態でファに回収されている。時間はかかったが、ZZでは復活した姿が見られた。
     これは逆襲のシャア以後の話なので余談の余談だが、新訳Ζのカミーユは、十字架で特攻の後に、その赤く縁取られたパーツを全てパージして、モビルスーツ形態(人間の形)に復活している。

     クエスは、ララアの再現という形で運命の犠牲となる。ガンダムイボルブで、彼女はシナリオ上では復活している。(ただ、これは本当に余談)

     そして分割され十字架の形となって地球から離れていくアクシズ前部は、ララアであろう。シャアを守るため犠牲になって死に、アムロの夢の中で、魂だけ復活している。

    喧嘩番長同士の熱い握手───ができれば苦労はなかった

     シャアは、ララアを求めて絶叫し、手を伸ばす。
     サイコフレームがそれに応えて、光を延ばし、アクシズ前部にすがりつく。あの光の中で、なおシャアの願いを叶えようとするなら、おそらくその十字架の形をしたアクシズ前部に、シャアはララアの姿を見たはずだ。
     アムロの夢の中にしか現れず、シャアは回想のみだったララア。シャアはここで、素直に魂から求めることでララアを感知できるニュータイプに覚醒したのだ。

     シャアのいる位置から、ララアに向けて放出されるダダ漏れの緑光。これはいわば、横の愛着。

     そして、そこから縦に一本の光が走る。これはおそらくアムロの願い。「世界に人の心の光を見せなきゃならない」それに応えて、サイコフレームのT字試料が世界に光を見せるべく、虹を引いて地球をめぐる。

     本当なら、シャア(後部アクシズ)はララア(前部アクシズ)に飛びついて一つになり、ぬくもりを取り戻す───という感じになるはずだ。
     ところが、ここにはアムロがいる。
     極めて高次元かつ低レベルな三角関係が再び勃発する。
     三者は前後のアクシズのように微妙な距離をとって、しかしそれでもララアに導かれて、地球を離れていくのだ。

     当のララアは、二人をいっしょくたに自分のものにできて大満足かもしれない。
     シャアは求めていた母(に似た)ぬくもりを獲得して、
     アムロは「いつでも会いに行ける」という約束を果たして、
     そして、宇宙の彼方へ旅立っていく。

     微妙な距離をとって引っ張ってくれるララアに手を引かれて、シャアとアムロがついていく。そのときの彼らはどんな関係になっているだろう。

     直前までのアムロとシャアの会話は、ほぼ口喧嘩で、結局二人はあんな状態のままで宇宙の彼方に旅立ってしまったが、それは「人類の革新」というには、ちょっと情けないのでは───、とは誰もが思うことだろう。

     だが、これは描かれていないだけで「途中」だ。
     この二人に似た例は、昔からある。「番長同士が力尽きるまで喧嘩して、草原に大の字になって『おまえ、すげえな』『おまえこそ、やるじゃねえか』と言って友情が生まれて、ガッシリと握手するのを夕日がみている」という奴だ。

     少なくとも、サザビーとνガンダムは、サザビーの脳が出るまで殴り合いの喧嘩をしている。なんならロンデニオンの草原で、二人はとっくみあいの喧嘩もしている。

     殴り合って、身体が動かなくなったら、「そのララアを殺したお前に言えたことか」と口げんかをして、その後ではじめて、二人は友情を認められるのだ。

     シャアは、アムロが無様に椅子の上で転がりながら、無茶苦茶な理不尽を押し返すという、正気を疑うほどに馬鹿げた不可能に挑み、成功させたのをすぐ間近で観ている。「アクシズ、進路変更確実!」のあたりでは、内心ではもう「はやくガッシリと握手したいな」と思ってはいるのだ。
     だが、先述の通り、彼はそんなストレートな友達行為ができない。

     アムロとシャアが、完全に和解して、手に手を取り合って飛び出していけ宇宙の彼方とできれば単純な話なのだが、本作ラストがあそこでぶった切られたのは、シャアの恨みの深さと複雑さの故だ。

     ただ、彼は「友達と口げんか」という一歩を踏み出した。
     言い尽くした後で、どこかで握手ができるような関係になれるだろう。

     縦横に広がった光が、地球から観測されるころにはまとまっているので、アクシズの光の中で二人(三人)は、なんらかの調和がとれたのかもしれない。

    以下目次です。
    ・愚民共「全て」に叡智を授けてみせろと言われたが、実際には数パーセントいればいいのだ、とアムロ
    ・アクシズは、押すべき? 受け止めるべき?
    ・いずれも彼の解放であった、シャアのふたつの死
    ・人類の進化をうながす、レベルの違う文明からもたらされた金属板といえば
    ・ナナイ・ミゲルが守りたかったもの

    ・訳が分からないと言われる逆襲のシャアでも屈指の訳が分からないラストに並んだ「姉弟・老人・象さん・赤ちゃん・ハサウェイとミライさんとチェーミン・そしてクリスチーナ」の意味
    ・二つに割れたアクシズが歌うもの

    いよいよ最終回です! お楽しみに!

     
     
     
    四児を育てる愛妻家。49歳から小説を書き始めて、51歳で漫画を描こうとしています。

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