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やれば出来る子①~末っ子と歩んだ22年~

    ※このお話は、3話完結の第1話です。

    『この子は、ちょっと違うのかもしれない』


    私は3人の子どもを育ててきました。


    同じ親から生まれて、同じ家で育っても、

    3人とも全然違います。


    子どもって、一人ひとり違う。

    それは分かっていたつもりでした。


    でも今振り返ると、末っ子のことを、

    『ちょっと変わった子だな』

    ……とは思っていました (笑)


    だからといって、可愛い💞ことには違いない🤭

    これは、この子の性格なんだろう。

    そんなふうに思っていました。




    息子が生まれて、半年ほど経った頃。

    離乳食を始めた時期に、

    喘息の発作を起こしました。

    卵と小麦粉のアレルギーでした。

    そこから、1歳2か月頃まで入退院の繰り返し。

    小さい体で何度も病院に行き、入院して。

    『この子、大丈夫かな……』

    そんなことばかり考えていたと思います。


    そして、少し喘息が治まったタイミングで、

    私たち家族は横浜から、岡山へ引っ越しました。


    環境が変わったせいなのか、

    岡山では、一度だけ入院したものの

    そこからは通院だけで済むようになりました。

    そして小学校1年生。

    なんと、アレルギーは完治🌼

    その時、お医者さんから、

    『水と空気の変化もあるのかもしれませんね』

    と言われたことを覚えています。

    岡山の水と空気が、

    息子を助けてくれたのかもしれません😊



    ただ、息子には別の『苦手』がありました。

    音です。

    『ドライヤー』
    『掃除機』

    この2つは、まさに天敵🤣

    いつも泣いて逃げ回っていました(笑)


    今でも、息子は耳が良いと思います。

    小さい頃から、音に対して敏感でした。

    入院中には、新しい治療法らしく、

    宇宙兄弟に出てきそうなカプセルみたいなものを

    頭に被せられたことがあります。

    蒸気と一緒に出る薬を、効率よく吸わせる為。


    でも当然、息子は大泣きです😭

    私は、

    『喘息が酷くなるから、もうやめてください』

    と先生にお願いしました。

    もちろん、先生にとっては

    必要な治療だったんでしょうけど、

    ……実験台にされたんじゃない⁉️

    と、今でも思っています😅

    『いやいや、今それする⁉️発作ひどくなるでしょ』

    としか思えませんでした💦



    そして、1歳の誕生日頃。

    それまで右利きだった息子が、抱っこの時に

    突然、左腕しか上げなくなったんです。

    『あれ⁉️』

    と思って先生に相談しました。

    『点滴のせいかもしれません』

    ということで、反対の腕に点滴を刺し直し、

    すぐには診てもらえませんでした。


    すると翌日、右肩が腫れてきたんです。

    そこでやっと、詳しく診てもらいました。

    肩の関節の中で、菌が繁殖していました💦

    菌自体は、人間であればどこにでもいる菌らしく、

    なぜ肩の関節に入ったのかは不明との説明でした。


    急遽、菌を流し出す為の、

    『ドレーン(チューブ)を2本、装着する手術』

    を受けることになりました。


    今でも覚えています。

    その時の承諾書に、全身麻酔を使用するので、

    『喘息発作が起きても、命の保証はできません』

    というような内容が書かれていました。

    必要な書類で、

    サインしなきゃいけないのもわかっています。

    でも。

    『なんで私が、
    こんな承諾書にサインしなきゃいけないの!?』

    という気持ちでした。

    だって、そもそも院内感染だったんですから。

    病院を相手に訴える事もできましたが、

    日頃から看護師さん達には、良くして頂き、

    とても感謝していたので、夫と話してやめました。

    そんなことよりも、

    『今は、手術が無事に終わることだけを祈ろう。』

    ただ、それだけでした。



    無事に4時間の手術が終わり、

    息子は個室に移されました。

    でも、寝ている時に外れちゃったんです💦

    ドレーンが😅

    1週間後、2度目の手術となりました🥲

    また、あの承諾書です😭


    今でも、手術痕はありますが、

    心配していた、肩の上下には支障がないようです。

    良かった。

    それだけが救いでした。

    入院していたのは完全看護の小児科病棟なので、

    中学生以下の子どもは面会できません。

    つまり、兄も姉も会いに行けません。

    看護師さんたちは、

    時間があれば末っ子の相手をしてくれていました。

    でも、看護師さんだって仕事があります。

    ずっと一緒にいてあげられるわけではありません。

    私も仕事に復帰していたので、

    病院へ行けるのは夜になってから。


    小さな息子は、

    かなり孤独な時間を過ごしたと思います。

    今でも、その頃のことを思い出すと涙が出ます。

    そして、そんな息子が身につけたものなのか、


    ……いつも笑っていました😊

    とっても、良い顔で笑っているんです。

    それが逆に、切なくなるくらい。



    その後、岡山で保育園に入りました。

    1歳4か月からです。

    大きな保育園でしたが、家から近かったので、

    車という足がなかった私には本当に助かりました。

    もちろん、良い先生もたくさんいました。

    息子の身体のことを気にかけてくださった先生や、

    優しく接してくださった先生には、

    今でも感謝しています。

    ただ、何人かの先生には、

    どうしても不信感がありました。

    土曜日も仕事だったので、

    保育園に連れて行ったある日。

    ベテランの先生に言われました。

    『可哀想だから、土曜日くらい一緒にいてあげて』

    その瞬間、私のスイッチが入りました🤣

    『うちの子は、可哀想な子ではありません‼️』

    ……言っちゃった😂

    今思えば、

    先生は心配して言ってくれたのかもしれません。

    でも私は、

    『病気をしたから可哀想』

    『土曜日まで保育園だから可哀想』

    そんなふうに子供を見てほしくなかったんです。



    そして、息子が大人になってから、

    初めて聞いた話があります。

    お昼寝の時間。

    背中をトントンしているふりをして、

    つねられたり、

    思いっきり叩かれたこともあったそうです。

    息子は、『怖くて言えなかった』

    と。

    ……知らなかった。

    母親の私には、何も見えていませんでした。

    息子は、ずっと笑っていたから。

    もしかすると、あの笑顔は、

    『笑っていれば大丈夫』

    と、

    『 小さな頃から覚えてしまったもの』

    だったのかもしれません。

    これは、今でも私には分かりません。

    ただ、ひとつだけ思うことがあります。


    息子は、昔から

    『息子なりのやり方』で、

    生きてきたんだな、と。

    そして私は、そのことに気づくまでに、

    ずいぶん時間がかかりました。

    つづく。


    ⬇次のお話はコチラ

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