
昭和、渋谷で、恋をしたり 2-18|諦めが肝心?
前回のあらすじ(2-17)
夏奈恵に過去を打ち明けられ、そしてまたも振られた泰輔。その想いの大きさゆえか、初めて抱く虚しさに打ちのめされるのであった。
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強引さは、すべてを台無しに
1983年(昭和58年)初秋のこと。
後期の授業が始まっても、卒業を待つばかりの4年生は、すでにキャンパスでは表舞台から降ろされた存在でしかない。
キャンパスですれ違う後輩たちの顔は、希望に満ちて眩しく見えた。そんな輝かしい主役たちが躍る秋だった。
夏が過ぎ、どんなに空が高く澄んだ日であっても、私が持て余す時間は下水のように濁っていた。
私は寮の狭い部屋で沈み、切らしたタバコを買いにキャンパスを歩いては、夏奈恵と歩いた日を思い出していたからだ。

バイトくらいしか予定はなかった。他の予定といえば、年内に論文を仕上げることだけ。4月になったら、父の伝手のある医療機器メーカーへの就職が内定していたからだ。
親のレールから外れたくて入った東京の大学。なのに、結局出るときには、また親の敷いたレールに乗ることになっていた。
バイトに行けば、夏奈恵がいる日もいない日もあった。
いない日は寂しかったが、どこか安心できた。いると嬉しい反面、切なかった。たまに鉢合わせる夏奈恵は、何事もなかったようなポーカーフェイスで、業務以外の会話をすることはなかった。
引きずるのは、会ってしまうからなのは明らかだった。だからバイトを辞めようかと考えた。だが、その考えもころころと入れ替わった。
朝起きて「今月で辞めよう」と思えば、夕方には「やっぱり急いで辞める必要もない」と思う、そんな具合だった。
そして、未練が胸に充満しきったある晩、思いきって電話をかけてみた。しかし、幸か不幸か、夏奈恵は電話に出なかった。私を避けていたのか、本当に留守だったのかはわからない。
夏奈恵は、自らの不幸や不運を「運命」という言葉に置き換えて処理していた。
父がいなくなったこと、母がガンで早くに亡くなったこと、そして施設で暮らさなくてはならなかったこと。
このとき、私にとっての不幸と不運は、夏奈恵に受け入れてもらえないことだった。だからといって、夏奈恵のように「運命」という言葉にすり替え、処理して下水道に流すことはできなかった。
運命は自分で切り開くもの。
そんな、どこかで聞いた言葉に、まだなんとかなるような気にさせられるときもあった。
そうかと思えば、「諦めも肝心」なんて言葉も知っている。
正しいのは、どっちなのだろう。
そう考えると途端に全身から力が抜け、寝転がってタバコに火をつけるくらいしかできなかった。
吸い殻が山になった灰皿に、無理やり吸い殻を差し込むと、その山が床に崩れる。そして舌打ちしながら思うのだ。
強引さは、すべてを台無しにするのかもしれない。
