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昭和、渋谷で、恋をしたり 2-10 |東京で変えたかった

    前回のあらすじ(2-9)
    医者家系に育ち、幼い頃は医者になりたいと思っていたが、カメラとの出会いでその考えが変わった泰輔。学歴社会の世では東京の最高学府を目指すことが、カメラと向き合う時間を作る方法と考えた。
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    自分を変えたい

    「東京に行くしかない……」

    こう決意してから、受験勉強に邁進するほどに、「泰輔は機械いじりが好きったい。外科向きかもね」と微笑む母への愛想笑いが、下手になり出した気がする。

    そして高校2年の冬、進路相談があり、担任と母で三者面談したとき、ついに第一志望が医学部ではないと主張した。

    それまで父と同じ有名私大の医学部を第一志望にするものだと思い込んでいた母は、ずいぶんと驚いていた。

    「医療機器の開発者になりたいです」

    面談の前夜に考え抜いた嘘だった。担任は手放しに応援してくれたが、母は違った。隣で頷く様子はぎこちなく、その表情を直視することはできなかった。

    その日、家に帰ると母は明らかに落胆していた。しかし父は違った。弟も医者になりたいと言っていたこともあり、身内ばかりで病院の要職が占拠され、面倒が起こるよりかは、一人くらい外にいたほうがいいこともあると、したたかに考えたのかもしれない。

    その真意まではわからないが、このとき父が予想以上にあっさりと私の進路を支持してくれたことで場は丸く収まり、内心で感謝していたものだ。

    こうして親の敷いたレールから外れるために、東京を目指すことになった。


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    世間では「積木くずし」や「腐ったみかん」といった、「大人への反抗」がもてはやされた時代でもあった。

    だからなのだろう、少しはそれに便乗できたことで満足感も得られた。中途半端だったのは重々承知だが、私にできる精一杯の「積木くずし」だったのだ。

    だからこそ勉強した。高校から帰れば毎晩深夜まで。休日は模試などがなければ、1日10時間は机に向かった。

    こんな話をすれば、他人は尊敬の眼差しで私を見つめるかもしれない。だけど、勉強しか、それ以外にできることがなかっただけだ。

    甲子園を目指す高校球児が、朝から晩まで野球をする時間を、ただ勉強に置き換えたに過ぎないのだ。

    それこそ甲子園を目指したり、文化祭で先頭に立って盛り上げたり、林間学校で飯ごう炊飯の火起こしを進んでやったりして、みんなから応援されている同級生のほうが、よっぽど羨ましく思っていた。

    運動もできない。背も高くない。痩せて筋肉隆々でもない。顔も到底自信が持てなかった。だから十代後半だというのに、ガールフレンドの一人もいない。クリスマスやバレンタインに浮かれたこともなかった。

    ただ勉強して、毎月発売されるカメラ雑誌だけを楽しみにしていた高校生は、成績トップだけで人気者には到底なれなかったのだ。

    そんな自分に嫌気がさしていた思春期。これを終わりにさせ、自分を変えるには東京に行くしかない。

    心の底から大学デビューを目指していただけなのだ。


    2-11へつづく

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