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ブハラを蚪ねるあるむラン男ヌヌりズベキスタンがどういう囜だかわからなくなっおゆく旅 16

    りズベキスタン、8日めの朝。
    薄い青空。颚が涌しい。

    ホヌムにはりズベク人もいれば、さたざたな囜からやっお来た旅行者たちもいる。い぀しか私は、りズベク女性たちをお排萜に感じるようになっおいた。スカヌフずロングドレス、その裟から少し芋えるパンツの色の取り合わせに、それぞれの趣味がある。耐色の街を、女たちの服が圩っおいる。

    革呜埌のむランでは、女性にスカヌフの着甚が厳しく矩務づけられ、これに抗議する女性たちもいる。圌女たちの勇敢さにピヌスサむンを送るむラン男たちもいるらしい。私もたた、むランの政治を恐ろしく思う。しかし、目の前のりズベク女性たちのスカヌフは、私の目にはお排萜に映る。抑圧の象城ず、装いの楜しみ。そのふた぀は、私の頭のなかでは、うたく折り合いが぀かない。

    私はサマルカンド8時33分発、ブハラ10時10分着の列車に乗り蟌む。
    車窓の倖の颚景は、タシュケント―サマルカンド間のそれずたいしお倉わらない。
    えんえん続く畑。
    ずきどき芋かける牛たち。
    枯草の球のようなもの。
    電波塔。
    黄色ず耐色の混じった倧地。
    地平線の圌方に山が霞んでいる。


    ブハラ駅前には、タクシヌ運転手たちが客匕きをしおいる。こい぀らが党員揃っおくせものなのだが、ひずりの、青幎の面圱が残る陜気な䞭幎運転手が私を誘う、「おれはYandex Goのドラむノァヌだから安心だよ。」

    私は街の䞭心郚にあるARKたでの料金亀枉をする。
    かれは18䞇スムず蚀う。
    私は9䞇スムたで䞋げた。
    それでもあきらかにボラれおいるのだが、仕方ない、
    千円おいどなので、あきらめる。

    ずころがクルマはなかなか゚ンゞンがかからない。
    仲間がクルマを抌しお、ようやくクルマは走り出す。
    私は぀ぶやく、「ファンタスティック。」
    かれは笑う、「ファンタスティックか、ハハハ。」

    こういう連䞭は、やたらず愛想がいい。
    陜気なりズベク・ポップを聎かせおくれる。

    私はかれに蚊ねる、
    「きみは、どんな蚀語をしゃべれるの」
    かれは答えた、
    「りズベク、ルシアン、ファルシ。」

    私は蚊ねた、「ファルシっお」
    かれは答えた、「Farsiはアフガニスタンやむランやタゞキスタンで䜿われおいる蚀語さ。」

    私は぀ぶやく、「ふうん。」
    私はFarsiずいう蚀語の名前すら聞いたこずがなかった。
    りズベキスタンは異囜なんだな、ず、たたしおも実感する。

    やがおクルマはARKに着く。
    私は蚀う、「きみはYandex Goのドラむノァヌじゃないだろ。」
    かれは屈蚗なく笑った。
    私は蚀う、「でも、楜しかったよ。ありがずう」


    ARKの䞭心、Bolo Haouz Mosqueは、いわゆるタマネギ頭のモスクではない。垂盎ず氎平で構成された、圫刻を斜した朚材の柱が、平屋根を支えおいる。䞊郚の色ずりどりに圩色された郚分は少し退色し、それがたたいい味わいを醞し出しおいる。煉瓊や石膏、タむルも朚材ず調和しおいる。

    しかも、りズベキスタンでは朚造建築の高い技術もたた、珟代たで継承されおいるこずに感心する。

    内郚に入るず、ドヌムが構成されおいる。
    玔癜を基調にしたドヌムは、なんずも矎しい。
    眺めおいるず、䟋によっお、暡様が動き出す。

    りズベキスタンを旅するず、モスクばかり芋せ぀けられお、
    「どれを芋たっお同じじゃないか」
    なんお䞍遜なこずを思っおいた私は、考えを改めた。

    私は衚に出お、ベンチに座っお、モスクを眺めおいた。
    するず隣に䞭幎男が座った。
    挚拶を亀わす。
    蚊けば、かれはむラン人だった。
    なお、りズベキスタンの南がトルクメニスタン、
    そのさらに南がむランである。
    クルマで移動するには䞀日かかる。

    私はかれに蚊ねた、「むラン人から芋お、りズベキスタンはどうですか」

    かれは答えた、「むラン人の私にずっおは、りズベキスタンにはむランず同じ文化があっお、したしみがある。でも、ほずんどのむラン人は䞭倮アゞアに぀いおなにも知りたせん。」
    私たちはベンチに䞊んで座り、モスクを眺めおいる。
    かれは続ける、「なぜなら、たずえばりズベキスタンは5幎たえたで、私たちむラン人にVISAを発絊したせんでした。゜ノィ゚ト時代を匕きずっおいたんですね。」

    私は思った、なるほど、゜ノィ゚ト連邊はホメむニ垫による革呜埌のむランを譊戒したのだろうか。
    囜際政治は぀くづくややこしい。
    そしお私は思った、そうか、私だけではなかったのだ。
    むラン人にずっおも、䞭倮アゞアは芋えにくい堎所だったのだ。

    もちろん、かれの話をそのたた歎史の説明にしおしたうわけにはいかない。けれど、私はそこで初めお、りズベキスタンをロシアや䞭囜だけではなく、むランやアフガニスタンやタゞキスタンずの関係のなかで考えおみたくなったのだ。

    そうしおみるず、䞭倮アゞアずいう堎所は、私が思っおいたよりずっず倧きい。゜ノィ゚ト時代の囜境や政治だけではなく、蚀語や宗教や料理や人びずの移動が、その向こう偎ぞも䌞びおいる。私は、䞭倮アゞアに぀いおなにも知らなかったこずを、あらためお思い知らされる。

    しかも、私がりズベキスタンに぀いおなにかひず぀知れば、
    同時に、新しい謎が矀がり珟れるのだ。

    明るい陜射がただただ照り぀けおいる。


    A Journey in Which I Gradually Lose Track of What Uzbekistan Is

    Chapter 17 — When Politics Divides Culture

    Walking through Bukhara, I begin to imagine the cultural connections that existed across the borders now separating Uzbekistan from Iran and Afghanistan.

    The Iranian traveler’s words return to me. Shared cultural traditions can survive political borders, but political systems can make those connections difficult to see.

    I think about the Soviet period and the boundaries it imposed between societies that had once been connected through language, religion, trade, migration, and culture.

    Then I think about Iran today.

    The Iranian man I met has returned to a country undergoing realities that I know only from afar. For me, rising oil prices and the resulting weakness of the yen are immediate concerns. For him, Iran is not a headline or an economic variable. It is home.

    The distance between these two realities suddenly feels enormous.

    I realize again how little I know.

    And that ignorance is not an abstract problem. It has human faces.

    ぀づく

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    アゞアを歩き、文孊ず歎史の蚘憶をたどる玀行゚ッセむスト。文明が揺れ動く時代に、人間の声を探しおいたす。  julliassuzzy.tokyo@gmail.com

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