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地下鉄の悲鳴

    夜の地下鉄は、だいたい疲れている。

    乗客の顔がそれぞれに「今日も終わった」と語っており、吊り革につかまった手も、優先席に沈んだ肩も、スマートフォンを見つめる目も、みんなどこかぼんやりしている。
    車内に流れる空気は、残業と夕食と少しの諦めが混ざったような、あの独特のにおいがする。私もその一員として、とくに何を考えるでもなく、ただ揺られていた。

    そのときだった。

    「きゃあー!!!」

    車内に、鋭い悲鳴が響いた。

    一瞬、全員の時間が止まった。
    スマホを見ていた人が顔を上げ、目を閉じていた人が目を開け、ぼんやりしていた人がぼんやりするのをやめた。私も含めて、全員が音のした方向を見た。

    そこにいたのは、3~4歳くらいの男の子。

    そしてその子は、私を見ていた。


    誤解のないように言っておくと、私は別に変な格好をしていたわけではない。
    奇抜なメイクも、目を引くアクセサリーも、巨大な荷物も持っていない。ごく普通の、「夜の地下鉄にいる疲れた大人」の一人として、ごく普通に座っていただけ。

    なのに男の子は、まっすぐ私を見て、悲鳴を上げた。

    しかも、怖がっているわけではない。顔は満面の笑みだった。目がきらきらしていた。頬が赤くなっていた。どう見ても、嬉しそうだった。
    「きゃあ!」というその声も興奮の叫び声。好きなキャラクターの着ぐるみを見つけたような、そんな嬉しい喜びの声だ。

    私は、面識がない。

    隣に立っていたのは、母親と思われる女性だった。苦笑した彼女とも面識がない。お互い困惑した笑顔で会釈する。

    私はどうすればいいのかわからなかった。


    こういうとき、人はなかなか難しい立場に置かれる。

    知らない子供に突然好意を向けられたとき、大人はどう反応すべきか。
    無視するのは冷たい。でも過剰に反応するのも、なんか変だ。「かわいいねー」と話しかけるのは、場合によっては不審者への第一歩に見えなくもない。

    困ったな、とか、なんでやねん、とか、どないすんねん、とか思いながら、私はとりあえず、男の子に笑いかけた。
    にっこりと。できる限り自然に、ただ笑顔だけを返した。

    「きゃあー!!!」

    また悲鳴が上がった。さっきより一際大きかった。

    男の子は、お母さんのスカートをぎゅっと握って、体を半分その後ろに隠した。でも顔だけはこちらを向いていた。隠れながら見ている。
    変わらず目はキラキラしていたし、口角も上がり、やはり嬉しそうなのだ。

    私はどうすればいいのかわからなかった(2回目)。


    少し考えてみた。

    私の何が、あの子をそんなに興奮させたのか。

    顔か。子供は丸いものに反応を示しやすいと聞く。ドラえもんしかりアンパンマン然り、大体◯で構成されている。たしかに私は丸顔だし、まあ…ドラえもんに見えなくもない、かもしれない。
    いや、雰囲気か。あるいは単純に、その日の私が「なんかおもしろそうな人」に見えただけなのか。
    子供の感覚というのは、大人には解読できないセンサーで動いている。彼らは「この人、なんか好き」「この人、なんかやだ」を一瞬で決める。その基準は大人の論理とまったく関係ない。有名人だから好き、とか、優しそうだから好き、とか、そういう話ではない。もっと原始的な何かで動いている。

    思えば、飼っている犬も似たようなことをする。

    うちの犬は、大体誰にでもしっぽを振る。
    けれど、友好的に接してきてくれたのに知らん顔したり、逆に飛びついていったりもする。相手によるのだ。
    今、しっぽ振ってたやん!と思うのだが、その違いが何なのかは、飼い主にもわからない。においか。動き方か。なんとなくの波長か。

    子供と犬は、大人が失った何かを持っているのかもしれない。

    もしくは、大人が意識的に封印している何かかもしれない。
    「この人、なんか好き」という直感を、大人は理由なしに行動に移せない。でも子供と犬は移す。悲鳴を上げるか、しっぽを振るか、という形で。

    羨ましいような、恥ずかしいような気がした。


    男の子は、スカートの陰から私を見続けていた。

    こちらが視線を外すと、じっと見ている。こちらが視線を戻すと、さっと隠れる。そしてまた、そっと顔を出しては、じっとこちらを見る。これを何度か繰り返した。

    お母さんは、スマートフォンを見ていた。賢明な判断だと思う。
    周囲の人も、皆一様に疲れた顔に戻って、こちらには興味を失くしていた。

    2駅ほどで、親子は下車した。

    お母さんの会釈からは「すみません」という声が聞こえてくるようだった。男の子も素直についていった。扉が閉まる直前、男の子は振り返って私を見た。笑っていた。さっきと同じ、きらきらした目で。

    悲鳴は上げなかった。

    扉が閉まった。電車は動き出した。


    特にオチはない。

    あの子と再会することも、名前を知ることも、なぜ悲鳴を上げたのかを知ることも、絶対にない。あの子が大人になったとき、あの夜のことを覚えているかどうかも、わからない。おそらく覚えていないだろう。3~4歳の記憶というのは、あまり残らない。

    でも私は、なぜか覚えている気がする。

    夜の地下鉄で、見知らぬ男の子に悲鳴を上げてもらった夜のことを。理由もわからず好意を向けてもらって、対応に困って、それでもなんとなく笑い返したあの時間を。

    日常というのは、だいたいこういうものだと思う。

    意味も、続きも、オチもない。ただ起きて、ただ過ぎていく。でもなぜか、ふとした瞬間に思い出す。思い出して、少し笑う。それだけのことが、案外、長く残る。

    あの子が今夜も元気に悲鳴を上げていることを、願っている。

    できれば、地下鉄の中ではなく。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門


    → 幸福の設計図 ―箱の中の楽園―

     
     
    すみな きこ、です 税理士事務所で記帳代行をしながら、AIで自分の実務を軽くしています。 1日300〜500仕訳の手入力を、自作ツールで時間半分に! 弥生会計、通帳PDF、Claude Codeあたりの話が多めです。 うまくいかなかった話も含めて、試したことを週1本

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