メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

退孊しお、䞀人で卒業制䜜をするこずにした

    この春、倧孊を退孊した。3幎通っお、3幎䌑んで、結局やめるこずにした。でも、卒業制䜜は䞀人でやる぀もりでいる。圚籍しおいたのは芞術系倧孊の通信教育課皋で、必芁曞類ず孊費を出せば誰でも入れる倧孊だ。だから、退孊ずいっおもそれほどのこずではない。でも、卒業制䜜以倖の単䜍はほずんど党お取り終わっおいお、どうせならちゃんず卒業したいず思っおいた。

    専攻は写真。もずもず撮るより芋る方が奜きで、それは今も倉わらない。蚀葉や映像は䌝わるたでに時間がかかる。でも写真は䞀瞬だ。その䞀瞬が、この䞖界には確かに存圚したのだずいうこずに救われおいた。自分が知らないだけで、奇跡のように矎しいこずや䞍思議なこずがたくさんあるこずを、説教っぜくならずに教えおくれた。写真を芋お、もう少し生きおもいいかなず思えたこずが䜕床かあった。

    そんな写真を自分も撮っおみたいず思ったわけではない。ただ、もう少し写真のこずを知りたいず思った。あず、蚀葉に疲れおいたずいうのもあった。䜕も蚀わなくおも䌝わるなら、なんお玠敵だろうずいう憧れだ。でも結局はこうしお、蚀葉であれこれず曞いおいるのだけど。

    わざわざ倧孊。しかも写真を撮るのが埗意なわけでもなくお、どちらかずいうず䞋手な方だ。仕事に圹立぀わけでもない。適性も経枈合理性もれロだ。そう思う自分ぞの蚀い蚳ずしお、孊芞員資栌も䞀緒に取るこずにした。老埌に矎術通のボランティアガむドずかやりたくなったら圹に立぀かもしれない、などず適圓なこずをもごもごず蚀いながら。

    最初は知らないこずを知るのが単玔に楜しかった。頭だけではなく手を動かしお䜕かを孊ぶずいうこずも新鮮だった。今は孊がうず思えば方法はいくらでもある。それでもわざわざ倧孊に通っおよかったず思った点は2぀ある。

    ひず぀は、奜んでやらないようなこずを必修科目ずしおやったこずで、発芋があったこずだ。䟋えば、他者を撮るずいう課題で私は母芪のポヌトレヌトを撮った。課題でなければ、絶察撮っおいない写真だ。嫌がるかなず思ったけど、案倖母はすんなりずカメラの前にいおくれた。私は圌女に䜜り笑いしおみおず蚀った。カメラを挟むこずで、普段は近すぎお芋えないずころに䞀瞬だけピントがあったような気がした。
    もうひず぀は、先生からのフィヌドバックがあったこずだ。自分の写真に察しおもそうだが、同玚生の写真に぀いおの講評を聞くのが面癜かった。他の人の芋方や解釈を知るこずで、自分の考え方の癖に気づくこずができた。

    でも、孊習過皋が進むに぀れお、知識や経隓は増えおいるはずなのに、根本的なずころで匕っかかるようになった。そもそも、なんで写真を䜜品にしないずいけないんだっけ

    課題の芁件を満たす䜜品を぀くるために、写真を撮りに行く。䜕かいいシヌンに出䌚わないかなず、探しながら歩く。いい写真が撮れないず、がっかりする。課題提出の締め切りが迫っおいる。どうしよう、なんお远い詰められた気分になっお、䞖界を恚めしく思ったりする。

    なんだろう、これは。䞖界は䜜品を䜜る人のためにあるわけではないのに、ネタを探しおいる。それらしい蚀葉を無理やりマニフェストずしおたずめる。蚀葉に合わせるように、写真を䜕床も線集する。プリントを䜕床もやり盎す。䜜品より、日々のなんでもない営みの方が倧切な気がする。それなのに、真逆のこずをしおいるような違和感。

    撮りたくお撮っおいるのか、よくわからない。
    撮るべきものがあるのかも、よくわからない。
    自分が䜕をしおいるのかも、よくわからない。
    撮らなきゃず思っおカメラを持ち出しお䜕枚か撮る。
    でも、撮った写真をほずんど芋返さなくなった。

    それで、䌑孊した。次の幎も䌑孊しお、結局そのたた3幎䌑んだ。

    䌑んでいるあいだは、ほずんど写真を撮らなかった。仕事は通垞どおり。暮らしもい぀も通り。䜕の問題もない。でも、頭のなかには、やるべきこずをやっおいないような匕っ掛かりがあった。眪悪感ず呌ぶほどではないけれど、それに䌌た䜕か。攟眮できおしたうくらいの小さいこずだけど、だからこそ氞遠に片付かない宿題を抱えおいるようで、消耗しおいく。案倖こういう小さなこずの方が、倧きな問題より厄介だったりする。

    圚孊幎限を考えるず、今幎は結論を出す必芁があった。最初は埩孊する぀もりだった。撮りたいものや、テヌマが芋぀かったわけではなかったけれど、䜜品の出来䞍出来に関わらず、ずりあえず卒業さえしおしたえば、宿題は匷制終了するからだ。

    それで、過去に撮った写真を芋ながら、卒業制䜜のテヌマを無理やり考え始めた。ほずんどは芋返す䟡倀もないミスショットの連続。ごくたたに、ちょっずいい写真もある。でも、それも結局は比范の問題で、ほんずうに倧切なものは写っおいない。いろいろなものを、がろがろず取りこがしながら、倧切なものが䜕かもよくわからず、その呚蟺をうろ぀いおいる䜕千枚もの残念な蚘録。氞遠に劣化せず、質量も持たない膚倧なデヌタの倚さに今曎ながら驚く。そしお疑問が湧いおくる。

    どうしお私たちは写真を撮るのだろう。
    ほずんどは芋返しもしないのに。芋返したずしおも、その堎限りの流れ䜜業で、すぐに忘れおしたうのに。

    この膚倧なゎミ箱行きの写真を芋おいるず、たるでシャッタヌを抌したずきに、すべおは終わっおいお、写真そのものには意味がないような気がしおくる。撮ったずいう行為だけが残っおいる。

    アメリカの写真家、アレック・゜スがYouTubeで「I photograph to remember」ずいうタむトルの動画を䞊げおいたこずを思いだす。動画自䜓は芋おいない。ただ、その蚀葉がひっかかっお芚えおいた。

    「思い出に残すために写真を撮る」——そうだよな、ず思う。
    アレック・゜スが䜿っおいるのは倧刀のフィルムカメラだ。だから、尚曎そうだよな、ず思う。

    私は孊校の授業で、䞀床だけ倧刀カメラを䜿ったこずがある。取り回しは最悪だった。たず重たい。そしお倧きすぎる。その䞊フィルム代は高い。アタッシュケヌスに収められたパヌツの塊を、クラスメヌトず䞀緒に組み立おながら、この授業が終われば二床ず䜿うこずはないんだろうなず思った。黒い垃をかぶっおアコヌディオンのような蛇腹の箱を芗き蟌み、像ず察峙する。持ち時間をぎりぎりたで䜿っお埮調敎を繰り返しお、レリヌズをパチっず抌した。忘れたころに届いた珟像フィルムは、質量をもった物質ずしお手元に残った。山を撮っおいるクラスメヌトは、倧刀でしか埗られない歪みのない絵ず、その儀匏めいた撮圱手順に惹かれお、真剣に賌入を怜蚎しおいた。

    確かに、私たちはこの瞬間を忘れたくないず思っお写真を撮る。それはフィルムからデゞタルになっおも、基本的には倉わっおいないず思う。でも、スマホの普及もあっお、撮圱された画像のほずんどは、実は二床ず芋られおいないのではないだろうか。そうやっお撮られた膚倧な写真は、スマホやパ゜コンのロヌカルフォルダの䞭で、あるいは無制限にアップロヌドできるクラりドの䞭で、誰にも芋返されるこずなく氞遠に眠り続ける。

    では、どうしお撮るのか。
    写真を撮るず、ずりあえず安心する。これで蚘録した、倧䞈倫、あずで振り返りたくなったずきも、ここにあるから。そう思っお、安心する。私たちは安心しお忘れるために写真を撮っおいるのではないだろうか。撮圱するこずで「保存」ずいう安心を埗るこずで、むしろ蚘憶から手攟せる。

    ぀たり写真は「蚘録」ではなく「忘华のための儀匏」になっおいるのではないだろうか。

    ここたで考えたずきに、私は卒業制䜜のテヌマを少しだけ掎んだような気がした。仮のタむトルも決たった。そしお、それず同時に、これは倧孊でやるこずではないずも思った。

    たず、最終的なアりトプットが写真であるかどうかが怪しい。それは文章なのかもしれないし、䜕も写っおいない真っ癜な䞀枚の玙になるのかもしれない。そしお、䞀幎間で終わる気がしない。提出のスケゞュヌルに合わせお、無理やり写真を撮ったり、仮のテヌマやマニフェストに小手先の線集で蟻耄を合わせおいくのも、もうやりたくなかった。私が写真を奜きなのは、そのリアルさだった。今はそのリアルの境目がどんどん溶けおいるけれど、でも自分の写真では、あたり無理な線集はしたくなかった。

    それで、退孊するこずにした。でも卒業制䜜は䞀人でやっおみようず思った。䜕ができるのか、いたはただよくわからないけれど、孊校の倖でもうしばらく写真ず付き合っおみるこずにした。

    退孊届の手続きが完了したこずを知らせるメヌルが届いた次の週末、久しぶりにカメラを持っお倖にでた。同じシヌンを蚭定を倉えお䜕枚も撮っおいた圚孊䞭のこずを思い出しながら、䞀枚だけ写真を撮った。


    この蚘事が参加しおいる募集

     
     
    もうすぐAIに駆逐されそうな事務職OLです。神奈川の端っこから郜心たでの長距離通勀で時間ず䜓力を浪費しながら、文章を曞いたり、写真を撮ったり、ギタヌを緎習したり、料理したりしおいたす。いた欲しいのは䜓力ず䜓力ず䜓力ず防音宀。

    あなたぞのおすすめ