
still. Coffee Break|[時事]檻の中の抗議
コーヒーの合間に、少しだけ本質。 [still. Coffee Break]は、
日常の違和感を入り口にした
小さな視点の翻訳です。

ニュース見ていて少しざわざわしたので、そのままの勢いで書きます。
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カルビーのパッケージが、いつの間にかモノクロになっていた。
スーパーの棚に並ぶ商品の包装が、静かに変わっていく。
誰も説明しない。
誰も怒らない。
企業は粛々と変え、
消費者は粛々と受け入れる。
ビニール袋もストローも、
SDGsの頃に散々騒がれた。
でも、いつの間にか元に戻りつつある。
みんな気づいていたはずだ。
見て見ぬ振りをしていただけで。
国会で自衛隊の話になると、声を上げる。
核の話になると、声を上げる。
でもホルムズが閉鎖されて、その原因を辿ったところに強国がいた時、
そこは静かだ。
こういう国会議論の空気を見るたびに思う。
ただ、国会だけが特別なのではない。
国民も同じだからだ。
「遺憾」という言葉は、おもしろい。
怒っているわけでもない。
賛成しているわけでもない。
ただそこに置いておく言葉だ。
「遺憾です」と言えば、言ったことになる。
同時に、言わなかったことにもなる。
でも、それって変じゃないか。
何かもやもやする。

反戦を叫ぶのと、強国を名指しするのは、違うことなのだろうか。
核や自衛隊については憲法違反だと騒ぐのに、ホルムズが閉鎖されてこれだけの被害が出ても、誰も強国に何も言わない。
依存していることを、暗黙に了解しているかのように。
たぶん、違うことなんだと思う。
抗議にはコストがかかる。
プラスチック削減に怒る人は少ない。
削減を求める側の圧力が強く、逆らうコストが高いから、企業は黙って従う。
でも、強国を名指しで批判すると、外交が、安保が、経済が、全部連動して動く。
だから「遺憾」で止める。
声を上げる基準は、正しいかどうかではない。
コストとリターンの計算だ。
企業も、野党も、国民も、国家も、
結局は似たような原理で動いている。
それを「卑怯だ」と言うのは簡単だ。
でも、自分はどうだろうと思う。
理不尽だとわかっていても、声を上げなかったことが、自分にもある。
コストが高いと判断した瞬間に、別の言葉を選んだことがある。
みんな、どこかの檻の中にいる。
問題は、自分がどの檻に入っているかを、ちゃんと見ているかどうかだ。
あなたが声を上げているのは、正しいからか。
それとも、安全だからか。
大海原も、近くの溜池も、
構造の骨格は同じだと思う。
さて、自分がいちばん声を上げやすい相手は誰なのか。
たまには、その理由まで見てみてもいいのかもしれません。
知らんけど♪

この場所の本線や、still. の基本ルールについては固定記事にまとめています。
AIは便利だけど
怖い部分も理解しないと
取り返しつかない