
なぜなぜ分析したら子ども時代の自分と再会した話
仕事中、ふいに暇な時間ができた。
後輩たちのプレゼン発表を聞く場に呼ばれ、間に休憩が挟まれた時のことだ。
休憩時間は10分しかないから戻って仕事するには短い。かといって、ただぼんやり待っているのももったいなく思えた。発表会の空気に感化されたのかもしれない。そこで自分を振り返ってみることにした。
何をテーマに振り返るかな~と考えて、真っ先に浮かんだのは自分の人付き合いの悪さ。年々ひどくなるのだけれど、私は本当に人付き合いが苦手で、可能な限り避けて生きていきたい。周囲からはそう見えないらしく、打ち明けると「またまた」と笑われる。ネタだと思われているフシもある。本当なのに。
自分でも大人としてどうかと思う。このままだと年とともに孤立がビュンビュン加速して、夫に先立たれた日には孤独死する未来しか見えない。どうにかしないと。なにより、自ら望んで参加する集まりでも終わってからグッタリ疲れ切ってしまうのはしんどい。なんとかしたい。せめて少しでも苦手意識を減らして極端に疲れないくらいまでにはなりたい。
よし。なんでこんなに苦手なのか原因を探ろう。なぜなぜ分析だ。プレゼンの記憶をメモしているような顔でメモ帳に書きつけていく。
なんで人付き合いが苦手だと思うのか→疲れるから→なんで疲れるのか→人といる間ずっと、何を話せばいいか考え続けなくちゃいけないから→なんで何を話せばいいか悩むのか→何を相手が望んでいるかわからないから→なんで相手が望むことをわかろうとするのか→その場の雰囲気を良くしたいから→なぜ雰囲気を良くしたいのか→嫌な雰囲気の中にいるとつらいから→なぜつらいのか→いたたまれなくなってつらくなる→なぜいたたまれなくなるのか→悲しい気持ちになるから→なぜ悲しい気持ちになるのか→人がギスギスしているのが、自分が悪いみたいに思えてくるから
ここまで自問自答してハッとした。頭の中に、5~6歳くらいの自分がひょっこり顔を出した。そうか。あなただったのか。
私が子供の頃、両親の仲は最悪だった。毎晩のように怒鳴り合い寸前の尖った大声が飛び交った。『家族が争っている』という状態がどうしようもなく悲しくて辛かったが、狭い家の中、子どもの私に逃げ場などあるわけもない。堪えきれずこぼれる涙をなかったことにして身を縮め、テレビ画面に夢中になっているフリをするのが精いっぱいだった。
いつしか私は父親の前で常におちゃらけるようになった。普段の生活で父親が笑った出来事やフレーズがあれば、できるだけ同じシチュエーションを作りだそうとした。父親が怒鳴らないように。母親が大きな声で応戦しないように。そのときどきで最適な"楽しい自分"を出すため、いつもふたりの声色や話の内容から機嫌を探っていた。
子どものする試みがそうそううまくいくわけもなく、あっけないほど簡単に、そして頻繁に険悪な空気は訪れた。そのたびに私は涙をこぼした。結局、悲しくて辛い思いは避けられなかった。
40年後、人付き合いが苦手なことについてなぜなぜ分析して分かったあの時の私の気持ち。私は、両親の罵り合いを『自分がうまくやれなかったせいで起きた出来事』だと思っていた。だからなんとかしたかったのか。
気づいて最初に浮かんだ言葉は「愛おしいな」だった。
子どもの頃の健気な自分。傷つきながらもがんばっていた自分。一生けんめいだった。偉かった。愛おしい。
そう思えるくらいには、過去のことだ。あれから40年間かけて私は、誰のせいでもなく、私自身の責任において人生を築き上げてきた。今の私の幸せも不幸も、ぜんぶ私だけのものだ。他の誰のせいにもしない。誰にも切れ端すら関わらせてあげない。
だから今、あのときの両親に対して思うことは何もない。そういう家庭環境だった。それだけだ。
ただ、この思い込みだけがいつのまにか、自分でも忘れるほど心の奥底へと沈んで残ってしまった。常にその場の空気を感じ取って”最適な自分”を持ち出そうとする、疲れても止められないほどの強い習慣として。
原因はわかった。スッキリした。だけど、どうしようもないということもわかってしまった気がする。今の私は、たとえ場の空気が険悪になったとしても自分のせいだとは思わない。それでも、もうほとんど本能で空気を嗅ぎとろうとしてしまうし、感じよく振る舞おうとするのが習慣になっているのだ。本能も習慣も、簡単には変わらない。変えるのにしんどい思いするくらいなら、現状維持の方がまだ楽なんじゃなかろうか。
解消は諦めてうまいこと付き合っていこう。そう結論づけて、なぜなぜ書きなぐっていたメモ帳を閉じた。
それでも、子どもの頃の自分を思い出してヨシヨシしてあげられたのは良かったのではないだろうか。潜在意識の変化はあるかもしれない。そこから何かが変わるかもしれない。うっすら期待してみる。