
ファンガスマン|第五章 #7
ファンガスマンの夜明け(7)
ファンガスマンへの第一歩を踏み出した俺に、まだ道はない。振り返ったときにだけ残像があらわれる。だから要注意。弱い気持ちを抱えて振り返るべからず。
「カシャ、時が失われた世界に逆戻りじゃ、崇の太陽だって消えちゃうからな、ななな」
所詮、俺の〝思い姫〟は、歪曲した現実を倦むことなく過ごすための暇つぶし。
俺の太陽は咲耶じゃなかった。壁にはツクヨミ遊園での一日が映し出され――
俺の隣には知流。
あのとき君とやりたかったこと。ガラガラと恐竜ジェットコースターが駆け抜ける空に、打ち上げ花火。派手なヤツを連続で打ち上げて衆目を引き付けている間に川ぞいの道を歩くのさ。重なると透明になるリズムで想いを伝えあう……そんな淡い期待を抱いていたが、意に反して、何もかも加速度的に劣化する流れに乗ってしまった。
いじけ虫を発動させて意固地になった俺は、悲しいかな、ジメジメと鬱屈した立ち位置を固守するにハメになる。
道端には可憐な花が咲き、風に揺れる。
そんなありふれた風景にも圧倒され、おのが道に逸れないよう縫うように歩いては、その醜態をもやっつけにかかるのさ。
本当は微笑みをかえすだけでいいのにね。
俺の場合、愛が裏返っちゃった。感情が途切れ飢餓感ばかりが肥大化した。
そして今は、あらゆるものに痕跡を感じる。
切望していた愛を、受けていた痕跡。
悲しみや恨む気持ちに押しつぶされて見逃していた物語が一瞬にして解け、次から次へ、記憶とは異なる別の側面が炙り出しのように浮かび上がった。
かなしばりの、実際かなしばりの毎日だった。
人と人。目と目。思惑を絡めとる駆け引き合戦の連続で、引っかけ問題ってやつは、そうとわかっていても神経に触り意に反して自ら拘泥していた。
だが、今、もはや影はない。
窓の外では、鳥が空を飛んで自由を謳歌している。
軽い気持ちで、さえずりに口笛を返してみると、風が吹き、ひとつ所にうずくまっていたときの淋しさは肩越しに消えた。
壁に投影されたシーンは、ここ数日の俺を俯瞰したドキュメントフィルムだが、今、俺の最終章が始まろうとしている。
要するに、今この時、この地点から歩き出すしか道はないのさ。過去を再解釈したところで、そこに安住しているだけなら本末転倒、ファンガスマンの名が廃る。
そう観念して、安心安全のテリトリーをしげしげと眺めると今まで感じていた万能な小宇宙感は消え去り、ただ味気の無い部屋で……なんの感慨も惹き起こさなかった。八畳敷の消失点も露わになり、視覚的明確さでもって俺の効力の限界値を示しているだけで、そこには悲運も不可思議も存在しなかった。
我ながら一気に興醒め。
狐につままれた思いで、ぐるりと見回し、周回遅れでハッとした。
壁に映し出された光景で目を止める。
家族、友達、縁のあった全ての人たちが一堂に会しているが……これはドキュメントじゃないぞ!
俺の経験に依らない場面、まるでRPGで選択を迫られているような感覚だ。
みんなが俺を見ている。ひとりひとりと握手して行き過ぎた。影は後退して、あるのは光だけ。
神聖なる崩壊ーー
この時を待っていたのかもしれない。
不安になり振り返ると一切が虚心坦懐な笑みを湛えて戻ってくる。一瞬、不気味な笑顔に怯んだけれど目には赦しと祝福が溢れていた。
ほっとしたのも束の間。何の前触れもなくスルスルと幕が引かれ、邂逅を喜んでいた人たちは別れを惜しむように手を振って視界から消えた。
目の前には深い光沢のベルベッド。滑らかな肌理が波打ち、思いがけなく官能性を感じてドギマギしていたら、左から一本の線が引かれた。
ああ、これは俺の地平線だと直観したとき、小さい羽根が下方から流れるように浮遊して旋回をはじめた。回るごとに翅脈を伸ばして氷の結晶になったかと思うと、戒めを解くように全身を震わせ溶けだしてベルベットに吸い込まれていった。
すると、また小さい羽根がどこからともなく現れてクルクルと回り始める。
少しの変化から螺旋状に進化する世界、それは遺伝子の突然変異を思わせるが――
すべてはAIの思考が引き起こした永遠の反復だとしたら?
なーんてね。そんな訳ないや。
おーいスターチス、本当のところはどうなのさ。
「…………………………」
〝夢分析の結果すべてを理解した。知識には限りがあるからね〟
と、音を失いつつあるスターチスの声が聞こえたような気がしたけれど、ディスプレイに映っているのは熱帯雨林の植物。
上へ上へと凄まじい勢いで伸び続け、言葉の囚われから解放されたようにひとり憧れの世界を構築して自動筆記状態……どうやら本格的にフリーズしたようだ。
俺の相棒、スターチス、チームラボの花と化す⭐️