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ふらりと神社へ行ってみた。#3 埼玉県川越の神社 その1(仙波東照宮、仙波日枝神社、三芳野神社)

将棋の聖地巡りをした翌日、埼玉県の川越市を散策しました。(観る将の聖地巡礼! https://note.com/ssionblog/n/n2dbecf8f5564 )「小江戸」川越で、いくつかの神社を訪れました。そこで、「ふらりと神社へ行ってみた」シリーズの第3回は、川越の神社です。川越市では「川越三大縁結び神社」と呼ばれる川越氷川神社、川越熊野神社、川越八幡宮が有名ですが、その中の二社(川越氷川神社と川越熊野神社)に加えて仙波東照宮、仙波日枝神社、三芳野神社を訪れました。今回は午前中に参拝した仙波東照宮、仙波日枝神社、三芳野神社を順に紹介します。
撮影日は2025年12月12日です。社格については末尾を見てください。詳細は第1回( https://note.com/ssionblog/n/nca0c104710f6 )の末尾に記しるしました。


仙波東照宮

「仙波東照宮せんばとうしょうぐう」は埼玉県川越市小仙波町にある神社で祭神は「徳川家康公」、社格は無格社です。元和げんな2年(1616年)に家康公が逝去し、遺骸を久能山から日光へ移す際、喜多院で4日間の法要が行われたことが縁となって、寛永かんえい10年(1633年)、徳川家康の側近であった喜多院の住職・天海僧正によって創建されました。創建のわずか5年後(1638年)の「寛永の大火」で焼失しましたが、3代将軍徳川家光の命によりわずか2年後(1640年)に再建されています。

日光、久能山と並び、日本三大東照宮の一つに数えられ、本殿を始めとして、幣殿・拝殿、唐門、瑞垣、随身門、石鳥居が重要文化財に指定されています。日本三大東照宮は全国に約130社ある徳川家康を祀る東照宮のうち、特に歴史的・格式的に重要な3社を指す呼称です。日光東照宮と久能山東照宮は別格で、三つ目に候補には川越にある仙波東照宮の他に愛知県にある鳳来山東照宮(新城市)や滝山東照宮(岡崎市)などがあります。

随身門と石鳥居

随身門

本殿に続く石段の下、境内入口にある朱塗りの門が「随身門ずいしんもん」で、寛永17年(1640年)に再建されたものです。昭和21年(1946年)に国の重要文化財に指定されました。八脚門やつあしもんと呼ばれる形式で、「とち葺形銅板葺」の切妻造きりづまづくりの屋根で、 鮮やかな丹塗り(朱塗り)が施されています。門の左右には、かつて阿形あぎょう(老相)、吽形うんぎょう(壮年相)の随身の像が安置されていました。門の奥に石鳥居が見えます。

石鳥居

随身門をくぐって本殿方向に向かうと「石鳥居」があります。当時の川越城主・堀田正盛ほった まさもりによって奉納された鳥居で、柱には「寛永十五年九月十七日」の刻銘が残されているところから、社殿が再建される2年前にいち早く建立されたようです。奥に聖域につながる階段が見えます。

聖域から見下ろす

仙波東照宮のあるあたりは「仙波古墳群」と呼ばれる古墳時代(6世紀頃)の古墳が集まっていた場所で、仙波東照宮が建っている小高い丘自体も「母塚ははづか」(「山王塚」の一部など諸説あり)と呼ばれる古墳を利用しています。そのため、拝殿や本殿がある聖域までは50段の石段があり、石段を登り切ると静謐な森に囲まれた聖域に続く参道(石鳥居と随身門)を見下ろすことができます。

聖域

聖域の門

仙波東照宮の本殿、幣殿・拝殿、唐門がある聖域は瑞垣で囲われていて、拝殿へと続く門は通常は日曜日しか開放されません。撮影日が金曜日でしたので、この門から中へは入ることができませんでした。

拝殿
拝殿と本殿

正面からは拝殿しか見えません。全体的に鮮やかな丹塗り(朱塗り)が施されていて、軒下の木鼻や蟇股かえるまたには極彩色の彫刻がありますが、建物下部は装飾が控えめで落ち着いた印象です。拝殿の北東方向にもう一つの門があり、そこからは奥にある本殿を望むことができます。多くの東照宮に見られる「権現造ごんげんづくり」とは異なり、拝殿・幣殿へいでんと本殿が分離しています。本殿は拝殿に比べて非常に豪華で、長押なげしより上部は夥おびただしい数の極彩色の彫刻で埋め尽くされているそうですが、見ることはできませんでした。

葵庭園の弁財天

葵庭園
弁財天の祠

仙波東照宮の北には、天長7年(830年)に慈覚大師円仁じかくだいしえんにんが創建し、後に天海僧正てんかいそうじょうが第27世住職として再興した天台宗の喜多院があり、その境界付近に「葵庭園」があります。ホタルが自生している池の中央には小さな島があり、赤い橋でつながれています。島には厳島神社(弁財天)を祀る小さな祠があります。神仏習合の影響で、稲荷神社で神の使いとされるきつねが祠の中に飾られています。

仙波日枝神社

「仙波日枝神社せんばひえじんじゃ」は埼玉県川越市小仙波町にある神社で主祭神は「大山咋神おおやまくいのかみ」、旧社格は県社です。天長7年(830年)、慈覚大師円仁が喜多院(無量寿寺)を再興する際、比叡山の守護神である「日吉大社」を勧請かんじょうしたのが始まりです。かつては喜多院の境内にありましたが、明治時代の神仏分離により独立し、大正時代に道路を挟んだ現在の場所へ移築されました。文明10年(1478年)、江戸城を築いた太田道灌おおたどうかんが、この川越の社から分霊を勧請して江戸城内に祀ったのが、現在の東京都赤坂にある日枝神社です。

鳥居と拝殿
拝殿

赤坂の日枝神社などに見られる「山王鳥居さんのうとりい」ではなく、一般的な「明神鳥居みょうじんとりい」で、素朴です。拝殿は大正時代に神社が現在の場所(喜多院の門前)へ移築された際に整備されたもので、古い建物ではありません。

本殿
裏手から本殿を望む

拝殿から本殿を望むことはできませんが、聖域を囲む朱塗りの塀の隙間から本殿を望むことができます。三間社流造さんげんしゃながれづくり、銅板葺の建物です。室町時代後期の建築と推定されていて、派手な極彩色ではないのですが、中世建築特有の力強さと落ち着いた美しさがあります。昭和21年(1946年)に国の重要文化財に指定されました。

三芳野神社

「三芳野神社みよしのじんじゃ」は埼玉県川越市郭町にある神社で、祭神は素盞烏尊すさのおのみこと・奇稲田姫命くしいなだひめのみこと、旧社格は県社です。菅原道真公(天神様)も祀まつられています。大同2年(807年)創建と伝わる古社です。太田道灌おおたどうかん(室町後期の武将)が15世紀半ばに川越城を築城した際、この神社を城内の天神曲輪てんじんくるわに祀り、城の守護神としました。現存する社殿は、3代将軍・徳川家光が川越を訪れた際、社殿の荒廃を嘆き、江戸から工匠を派遣して寛永元年(1624年)に再建させたものです。

鳥居から拝殿を望む
朱塗りの拝殿
拝殿と本殿

明暦2年(1656年)、4代将軍徳川家綱の命を受けた川越城主松平信綱により大改造が行われ、その際、江戸城二の丸の東照宮本殿を移築し当本殿とし、寛永に建てられた拝殿との間に幣殿を新しく設け、権現造り(本殿・幣殿へいでん・拝殿が一つに連結されている)の形態となりました。

「通りゃんせ」発祥の地

長い参道
わらべ唄発祥の地の石碑

三芳野神社は童謡「通りゃんせ」の発祥の地と言われています。かつて神社が川越城内にあったため、一般の参拝客は厳重な警備を通り抜ける必要がありました。「行きはよいよい、帰りは怖い」という歌詞は、参拝後の帰りに間者(スパイ)ではないかと厳しく取り調べられた様子を歌ったものと伝えられています。「通りゃんせ」の発祥の地としては、小田原の菅原神社あるいは山角天神社やまかくてんじんしゃという説もあります。

小江戸「川越」には、狭い範囲にユニークな神社が沢山あります。「三大東照宮」の一つとか「通りゃんせ」の故郷とか、小粒ながら味わい深い神社達です。街並み観光、名所旧跡探訪の合間の神社探訪でしたが、一度では紹介しきれない内容でした。次回は縁結びで賑わう川越氷川神社と川越熊野神社を紹介しようと思います。

社格について

日本の神社の序列は、時代ごとの行政や統治の仕組みに基づいて形作られてきました。平安時代の令制国ごとに定められた参拝順位、平安時代の法典に基づく公式リスト「延喜式神名帳」、明治政府による管理・統制のための格付け「近代社格制度」、神社本庁の人事管理上規定である「別表神社」、歴史的に形成された社格を表す社号など、多様な社格があります。

神社の格付け
代表的な社号


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