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Photo byitomaki_makimaki

【エッセイ】方向音痴

     地図が読める、自分の行きたい方向へ進むことができるというのは才能である。
     
     それができるのは、たとえば楽譜を読むことができるのと同じような能力だ。難しいクラシックの楽譜をぽんと渡されて「これを弾いてちょうだい」と言われても、すぐにピアノですらすらと弾ける人と、地道な練習が必要な人がいるのと一緒だ。前者は生まれつきの音楽の才能がある場合が多い。私は幼少期にピアノを習っていたけれど当たり前に後者だ。
     
     地図をぽんと渡されて「今からここへ向かいなさい」と言われて、すぐさま正しい道を選べる人はおめでとう、あなたには「地図読み」の才がある。

     まず自分が今どこにいて、どちらが地図でいう北で、どこを向けば目的地の方へ体を向けられるのかを把握するところから、才のない者は始めなければならない。紙の地図なら紙を、アプリならば自分の体をぐるぐると回して、求める方角をさがす。ときには適当にちょっと歩いてみて正しい方向に地図アプリ上の矢印が動くかどうか、あるいはきょろきょろと見まわして、地図に載っている「なんとかビルディング」という建物が近くにないかどうかを確かめる。そうやってどうにか自分の居場所と進むべき方向を炙り出し、ようやっと最初の一歩が踏み出せるのだ。
     
     さらに、「地図読み」が苦手な者は、同時に「電車乗り」の才もないことが多い。上りと下りの概念も、目的地が路線図のどのあたりに位置するのかを読み取る技術もないのだから当然である。いつも使っている路線からはずれたが最後、「電車乗り」の才がない者は駅構内を永遠に迷うことになる。乗り換えアプリがなければ目的地には一生たどりつかないし、勘でえいやっと乗った電車は大抵逆方向なのだから。
     
     私のまわりには、「地図読み」「電車乗り」能力に長けた者とそうでない者の両方が存在する。夫は前者だ。友人Aも前者。夫やAと出かけるとき、私は地図を見ない。路線図も見ない。夫もAも私の才能のなさをいやというほど知っていて(つまりは諦めていて)、頼まずとも率先してルート確認をし、「こっち」と道を示してくれる。私は彼らの三歩後ろくらいをアヒルの子のようによちよちついて歩いていくだけでそのうち目的地に着くのでとても素晴らしい。

     逆に、私と同類の友人もいて、彼女らと一緒に出歩く場合はアプリの経路案内機能が必須だ。二人して一生懸命ぐるぐる回りながら、「スマホのある時代でよかったねー」と言い合う。私はグーグルの地図アプリのことは「グーグル先生」と呼び崇めている。

     二十五歳のとき、友人Mと台湾旅行へ行った。三泊四日、「地図読み」能力欠如者二人旅。あろうことか、手続きを面倒くさがってモバイルwifiを借りなかった。結果はさもありなん。

     二日目の昼、ガイド本にちょこんと写真が載っていた三軒の雑貨屋をさがしに街へ繰り出すも、当然のように迷った。ネットが使用不可なので地図アプリも使えず、ガイドの付録の雑な地図を握りしめて延々歩いた。

     一軒目にはなんとかたどり着けたものの、散々歩き回って見つけた二軒目は潰れていた。ガイド本の情報は古く、地図も間違っていると気付くのに、一時間近くかかった。二人とも順繰りに不機嫌になって、どちらが道を訊くかを無言のまま揉めた。

     たどたどしい英語を使って何人にも道を教えてもらって、そのうち一人には全然違う方向を教わったようだったけれど、それでも台湾の人の優しさは身に沁みた。「あの人たちに報いるためにたどり着こうと思った」とのちにMが語ったほどだった。

     二時間かけて見つけた三軒目は、蓋を開けてみれば下車駅からなんと徒歩二分だったので、自分たちのたどり着けなさにもはや震えた。雑貨屋の二階のカフェで座るとしばらく動けなくなり、窓辺の席から異国の街並みをぼーっと眺めた。

     頼んだジュースが運ばれてきて、「お疲れ……」とグラスをぶつけ合うころにはMとは仲直りが済んでいたが、次の海外旅行には絶対にモバイルwifiを借りようと強く思った。どんなに地図を回しても間違っていればたどり着けないし、地図が読めない人間には、そもそも地図が間違っていると気付ける能力もないのだ。

     
     
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