メインコンテンツへスキップ
見出し画像

Second Wind|第95話 彼女の残り香[イクス]


    Second Wind

    第2章 霧の中の岐路
    第95話 彼女の残り香[イクス]


     ……かけておいたタイマーが、十時を知らせる。

     久しぶりの半休を楽しみに、数日前からセットしておいたタイマーだった。そんな遊び心が功を奏して、僕はかろうじて遅刻を免れた。それがこんな形で使われることになろうとは、夢にも思っていなかったのに――。

     起きてみると、すでに彼女の姿はなかった。

     ……昨晩の出来事が、まるで夢だったかのように。
     けれど、寝室のソファに軽く畳まれて置かれた僕の服と、リビングに残されたDVDの画面だけが、彼女の滞在が幻ではなかったことを教えてくれた。

     もう一度ベッドルームに戻り、乱れたシーツに目をやる。

     昨夜は、自分でも信じられないくらいに熱くなってしまった。正直、どこまで自分を抑えられていたのか、よくわからない。

     (彼女は……負担に感じなかっただろうか……?)

     彼女の匂いはまだこの部屋に残っている気がするのに、考えれば考えるほど、不安に襲われていく。

     しかし、悩んでいる暇はなかった。仕事の迎えの時間が、刻一刻と迫っていた。

     急いでシャワーを浴びに行くと、そこにも彼女の痕跡は残されていた。

     遠慮がちにそっとくるまれた、ゲスト用のバスタオル。
     僕はそれに触れると、思わず自分の使ったタオルで包み込むように一緒に置いた。

     
     そのメモの存在に気づいたのは、出がけにDVDの電源を落とそうとした時のことだった。

     《 シャワーをお借りしました。
     仕事があるので、先に失礼します 》

     DVDのリモコンの下に、そっと置かれていた。
     美しい文字だった。万が一誰かの目に触れた場合のことを配慮したのか、名前さえ記されてはいなかった。

     ただ一言。たったこれだけのメッセージを残して、彼女は去ってしまった。

     (これから僕は、どうすればいい……?)

     いつも彼女に近づくことばかり考えていて、その先の景色を思い描いていなかった自分に気づく。

     こちらから連絡をすべきだろうか。それとも、待つべきか。
     
     あるいは、もう二度と会うことはないのだろうか――。

     そんな暗い気持ちを吹き飛ばすように頭を振った時、マネージャーの到着のベルが鳴った。


    *続き | 第96話 閉ざされた扉[イクス]
    *目次 | 長編小説『Second Wind』

     
     
    長編小説『Second Wind』を連載中。 華やかな世界の片隅で、静かに止まってしまった時間が 再び動き出すまでの物語。 静かな始まりから、やがて運命を揺るがす奔流へ。