
Second Wind|第19話 彼女の畏れ[唯]
Second Wind
第1章『Superstar』
第19話 彼女の畏れ[唯]
空港のロビーを、ざわめきと歓声が埋め尽くす――。
アジアを代表するミュージカル・スター、アレン・キウの来日に合わせて詰めかけたファンの群れが、携帯やカメラを片手にフロアを足早に駆け抜けていった。
私はそちらを一瞥すると、片腕にかけたコートを持ち直し、リモアのスーツケースを引いて再び歩き出す。
その背景で、歓声がひときわ大きくなってゆく。
風を切る右頬のずっと先で、サングラスをかけた〈彼〉が、颯爽と空港ロビーを横切るのが見えた。けれど私は何か関心を示す風もなく、そのまま背中を向けて歩き去った。
「……よし、カット! OK!」
ファン役のエキストラたちが、その声を合図にさっと定位置に戻る。
慣れた仕草で、すっとサングラスを外す彼。
……さすがに絵になった。
ふと目が合い、静かにニコッと笑いかけられる。
初回のシーンとしては、なかなか良い出来だった。いつのまにか、先ほどまでの心身の緊張がやわらかにほぐれているのがわかる。
(やっぱり、チョコバーのおかげ……かな)
ひと言、お礼を言わなくてはと思った。
なのに、どうしても素直になれない。言葉が出ない。
……彼に今それを告げてしまったら、自分の弱みさえ握られてしまう、と――。
それは、幼い頃からこの歪んだ業界に身を置いてきた私の、ひどく子供じみた臆病さにちがいなかった。
*続き | 第20話 彼の畏れ[イクス]
*目次 | 長編小説『Second Wind』