
一羽|連作短編④
あらすじ
夜勤のコンビニへ向かう青年は、夕暮れの駅前を埋め尽くすムクドリに違和感を覚える。群れは昨日より今日、今日より明日と少しずつ数を増やし、やがて彼だけを静かに見つめ始めた。
見られているのか。それとも、数えられているのか。
日常の風景がゆっくりと異質へ変わっていく、生態系ホラー。
一羽
夕方になると、ムクドリが駅前を我が物顔で占拠している。
駅前広場の街路樹も、バスロータリーを囲む電線も、黒い鳥で隙間なく覆われる。鳴き声はうるさいし、糞も落ちてくる。毎年この時期になると苦情が増えるらしく、コンビニでも「今年も始まったね」と話題になる。
俺はそのコンビニで夜勤をしている。
大学を辞めて二年。昼過ぎに起きて夕方に家を出て、翌朝帰る生活を続けていると、季節の変化よりも駅前の鳥の方がよほど身近に感じられた。
最初に違和感を覚えたのは、群れの数だった。
今年は多い、とニュースでも言っていた気がする。でも、俺が気になったのは去年との比較じゃない。昨日より多いのだ。一日単位で、奴らは増えているように見えた。
昨日は空いていた電線に今日は鳥が並び、街路樹の枝先も一段ずつ黒く埋まっていく。毎日見ているから分かる程度の、本当に小さな変化だった。
「気のせいじゃない?」
先輩は片方の口の端を上げて笑った。
「昨日と今日じゃ見え方も違うと思うよ」
そう言われればそんな気もした。客は誰も気にしていない。俺も、それ以上考えないことにした。それでも、一週間もすると出勤前に空を見上げる癖がついた。
今日はどの枝まで埋まっているだろう。昨日より増えているだろうか。そんなことばかり考えている自分に苦笑する。
ある日、雑誌の品出しをしながら外を見ると、違和感を覚えた。外が静かだった。何千羽もいるのに、鳴き声がしない。
ガラス越しに街路樹を見る。ムクドリは動いている。羽繕いをするものもいるし、枝を移るものもいる。それでも、鳴くことがない。
休憩時間に店を出て見上げると、群れが一斉にこちらを向いた。
息を呑んだ。車が通る。自転車が横切っていく。鳥は動かない。
俺が歩き出すと、ムクドリたちの首だけがゆっくりこちらを追ってきた。
背中が冷えた。昼夜逆転の生活で疲れているのかもしれない。睡眠不足で幻覚を見ることもあると聞いたことがある。翌日は目覚ましを切って昼まで眠った。
それでも俺の目に映るもの、耳に届くものに変化はみられない。今度はスマートフォンで動画を撮ってみた。店に戻り、休憩室で再生する。至って普通の光景だった。
ムクドリは好き勝手な方向を向き、首を動かし、鳴いている。俺が見たものは映っていない。
「……何なんだよ」
思わず声が漏れた。
翌日も撮ったが、結果は同じだった。画面の中では普通のムクドリ。現実では、俺を見ている。
翌日も、その翌日も同じだった。連日勤務が重なっている先輩に話すと、不思議そうな顔をされた。
「何が?」
「ムクドリですよ。さっきから鳴いてないじゃないですか」
「ええ? 普通にうるさかったけど」
俺は外を見る。黒い鳥たちは、相変わらず黙って並んでいた。客が自動ドアを抜けるが、鳥は動かない。
試しに、俺が身体を半分だけ外へ出す。首だけが、ゆっくりこちらを向く。
「野山くん、何やってんの」
「……すみません」
先輩は苦笑しながら店内へ戻っていった。誰もこの異変に、気付いていない。
ムクドリの本当の姿を、俺だけが見ている。そう思うと、急に自分がおかしくなったような気がした。
帰宅してから「ムクドリ 見られる」と検索した。疲れ目だとか、自意識過剰だとか、そんな記事ばかりが並ぶ。
検索結果の下の方に、古い書き込みが一つだけあった。
『見られてるんじゃない。数えられてる』
それだけだった。投稿は五年前。ほかの記事も、返信もない。気味が悪くなって画面を閉じた。
その日から、俺はムクドリを数えるようになった。
もちろん一羽ずつではない。電線一本、街路樹一本。昨日まで空いていた場所が今日も埋まっているか、それだけを確認する。
増えている。やはり増えている。増えているのは群れだけではなかった。
最初は駅前広場だけだった奴らが、駅前の商店街へと広がり始めた。コンビニの駐車場、向かいのドラッグストア、交番前の街路樹。夕方になると、帰宅する人たちの頭上は黒い鳥で覆われる。
それなのに、誰も騒がない。ネットニュースですらも取り上げられない。俺だけが毎日その変化に気付いている。
休みの日、昼間に駅前へ行ってみた。この時間帯には、ムクドリは一羽もいないようだ。
代わりに、駅前広場には黒い羽だけが落ちていた。風が吹くたびに転がり、排水溝へ吸い込まれていく。それを清掃員が竹ぼうきで集めていた。
「毎日大変ですね」
何気なく声を掛けると、清掃員の老人は首を傾げた。
「何が?」
「羽根ですよ」
「羽根? 滅多に落ちてないけどね。殆ど、レシートだとか落ち葉とか吸い殻とか、そんなもんだよ」
笑いながら去っていく老人の背中を見送り、俺は足元を見た。黒い羽根は、確かにそこにある。
しゃがんで拾い上げようとすると、指先に触れる寸前、風もないのに、それはふわりと舞い上がり、俺の手から逃げるように転がっていった。
その夜、仕事へ向かう途中、駅前の時計台の前で足を止めた。ムクドリたちは相変わらず俺を見ている。
試しに、歩道の右側へ寄る。首が揃って右を向く。左へ寄ってみる。今度は奴らも左を向く。
横断歩道を渡る。群れ全体が、波のように首を巡らせる。まるで、意思を持った一つの生き物のようだった。
俺は急に怖くなり、その日は遠回りをして店へ向かった。
翌日も、その次の日も遠回りをした。それでも、ムクドリは必ず俺を待っていた。違う道を歩いても、違う時間に家を出ても、駅前へ近づく頃には、もう電線が黒で埋まっている。
俺が姿を現すと、一斉にこちらを見る。その光景だけは、一日たりとも変わらなかった。
それから二か月ほどが過ぎた。
その頃には、コンビニ裏でパンくずをつついていたハトを見なくなった。駅前の植え込みで鳴いていたスズメもいない。ゴミ捨て場のカラスまで姿を消した。
駅前に残っている鳥は、ムクドリだけだった。朝は奴らを見かけない。歩道には黒い羽だけが、何かを言い残すかのように散っている。
夕方になると、奴らはまた集まる。毎日その数を少しずつ増やしながら。
その日も仕事へ向かうため駅前を歩いていた。駅前広場へ差しかかったところで、足が止まる。
電線が見えない。街路樹も見えない。
真っ黒だった。全部の景色がムクドリだ。
頭上を見上げる。何万羽という目が、一斉にこちらを向いていた。奴らは鳴かない。羽ばたかない。風もないのに羽だけが細かく揺れている。
やがて、一羽が飛んだ。
そのあとを追うように群れ全体が浮き上がる。空が黒く染まる。俺は反射的に目を閉じた。羽音だけが近付いてきた。
◇
俺はその日から行方不明になったらしい。
警察も捜したが、見つからなかったらしい。数日後、夜勤に入った新人が店の外で立ち止まった。
「店長」
「ん?」
「ムクドリって、何羽いるんですか」
「さあね」
「……一羽、増えてません?」
店長は笑って空を見上げた。
「そんなの分かるわけないだろ」
「ですよね!」
新人も笑って店へ戻る。
数日後、駅前で大学生とみられる男性が行方不明になったという記事が、地方ニュースの片隅に掲載された。
事件性は低いとして、警察は情報提供を呼び掛けている。その記事の下には、駅前の写真が添えられていた。
駅前の電線には、黒い鳥が隙間なく並んでいた。そのうちの一羽だけが、群れではなく、コンビニの自動ドアを見つめ続けていた。
次の一羽を待っているように。