
起きたことを客観視すること、受け入れること
『起きたことを客観視すること。これがまず、危機から身を護る最大のスキルを育んでくれます』
この一文は、少し前にSNSで目にしたこの記事内・下記引用の一部だ。引用記事の筆者が、数々の困難や悲惨な現場に直面して経験的に学んだことなんだろう。専門家のアドバイスを受けたのかもしれないが、そのあたりは分からない。
こういうとき、何度か経験していると口を突いて出る言葉は、決まって「あーあ」なのです。あーあ。「そうですか」とか「困ったね」とか「そうきましたか」とか。起きたことを、まず、受け入れる。
皆さん。思ってもみないことが発生したときは、必ず、ひとりごとを言いましょう。
自分を守るためです。
「残念です」と。または、「しょうがないな」がお薦めです。起きた事実の前で、ビビったり、腰を抜かしたら負けだ、ぐらいの勢いで受け入れましょう。起きたことを客観視すること。これがまず、危機から身を護る最大のスキルを育んでくれます。
私は、この記事を読んだ時、上記引用あたりの箇所が非常に印象に残り、「私は、客観視することで自分を守ってきたんだ、、」と学び気づいて納得した。同時に、乳がん疑い・告知~術後・病理のあたりのことを思い出した。
早い段階で吹っ切れた
7月6日月曜日の夜、「創作大賞というものがあるんだ…」と知り、「締め切りまで2日か…、時間制限を利用して、ずっとモヤモヤしていることを言語化してみるか!」と書き上げ、創作大賞に応募した「最期」。
↑「最期」の「14年前:40代半ばの私」で、乳がん疑いになった直後に、当事者になって初めて見える世界や気持ち、現実味を帯びた死と向き合う辛さについてサラッと触れた。
テーマとは関係がなかったので、その後の心境は書かなかったが、私は、比較的早い段階で、「なってしまったから仕方がない」といった感じで吹っ切れて、割と淡々としていた。もちろん、不安はあったが、冷静で客観的な自分もいて、周りからも「落ち着いているね」といったことを言われた。
吹っ切れた理由は分からない・覚えていないが、乳がん疑い当時から1年ちょっと前に東日本大震災があり、震災中に「あ~死ぬかも」「あ~日本終わりかも」と思った瞬間があり、それを思い出し、「日本は自然災害大国。人はいつ亡くなるか分からない。がんなので…..と悩んでも仕方がない」といったことを思った記憶はある。今から思えば、客観的事実に基づく心の整理だったと思う。
客観的に考えることで落ち着いた
例えば、がん闘病をどのタイミングでどこまで/誰に知らせるか案件。これは個々人によって大きく違う。私は、当時の自身の置かれている状況や今までの経験を鑑み、『乳がん告知からわりとすぐに、関係者に一斉に文章で知らせた』。関係性によりグループに分け、グループごとに伝えるネット媒体は使い分けたが、個人宛で一人に伝えることは避けた。グループに対して一種の「公表」とし、返信不要と書き添えた。
◆言語化して文字にしたのは、客観的事実を正確に淡々と伝えたかったためだった。
その私の少し長めの闘病のお知らせを読んでくれた男性同級生の1人は、「あのような客観的で読み物として成り立っている文章がよく書けるなと感心した」と飲み会の時に感想を伝えてくれた。
◆お知らせを個人宛にしなかったのは、私の乳がん発覚の半年ほど前、友人女性(高校の同級生)から大腸がんとの闘病を告げられた私自身の経験からだった。
彼女とはその数ヶ月前ほどに会って話していたことを鑑みると、大腸がん発覚は彼女自身が青天の霹靂で動揺していたところに、私が連絡事項を伝えるために彼女にLINEしたので、その返信で彼女が動揺しながらも私に伝えてくれたことはよく分かった。嬉しくもあった。
だが、当時は私は乳がん発症前。がんの知識どころか、医療の知識もほぼゼロで、どのように彼女に接したらいいのかが分からなく悩んだ。また、彼女が闘病のことを共通の友人の誰に伝えているかも分からず、彼女を知る誰かと相談することもできなかった。
結局、「自分が一生懸命彼女のことを考えて、これが一番という行動をし、それで彼女が離れていくならそれは仕方がない」という結論に至り、そのように行動をした。この経験から、個人宛で伝えられた人がリアクションが必要になる伝え方は避けたいという想いがあった。
◆私の中では、乳がん闘病は「全ての人にオープンにする」「家族のみのクローズにする」の2択しかなかった。
私の周囲で誰が知っているか・知らないか、誰に言ったか・言ってないか、という状況になるのが私には煩わしかった。友人などへの気遣いではなく、私自身が煩わしいような感覚があった。
今、思い返してみても、私はこのような対処をすることで、頭が整理し客観的な自分を置くことができ、精神的に楽になったように思う。
客観的過ぎるかもしれん
高校同級生との飲み会で、医師の男性同級生とがんや深刻な病の伝え方について、医師の立場として、患者の立場としてどうか、みたいな雑談をしたことがある。「私は客観的事実は厳しいことでもはじめからストレートに淡々と伝えて欲しいが、そうではない人も多いので難しいよね」と答えた記憶が残っている。「まぁ、辛い経験はしない方がいいが、どんな経験も無駄にはならないと思っているので」と私がポロっと付け加えると、その同級生が少し驚いたような反応をしていた。
「どんな経験でも無駄にはならない」は、日常生活が理不尽なことで溢れている海外生活で、「しゃーない」と諦めて淡々と対処し、その経験が後に役立っていると実感できることがあるから、そう思ったのかもしれない。が、「どんな経験でも無駄にはならない」と言ったことは覚えているが、そう思った理由までは覚えていない。
乳がん疑いは、認知症義母の介護中にやってきたが、認知症義母の介護関連で、社会福祉協議会や家庭裁判所と話し合いをしていて、その時、「これも個人的な介護として捉えるのではなく、仕事的なスタンスで行うと楽」みたいなことをよく周囲に言っていたので、私は性格的に「客観的に淡々と捉える・行う」ことが合っているのかもしれない。
辛いこととの向き合い方は….
『乳がん闘病時、病との向き合い方は人それぞれだが、病と向き合う覚悟がなければ、どんな治療選択をしても道は開けない』と様々な場面で認識した。例えば、「怖いこと・難しいことは分からない、知りたくない。なので、信頼できると感じている主治医に任せる、主治医の治療提案通りにする」は、「主治医に任せる」という患者の覚悟選択があるが、「怖い!怖い!誰か決めて~!」は覚悟選択がない、と私は捉えている。
では、冒頭の引用記事にあるような辛い出来事はどうなのか。筆者は、「しょうがない」などの独り言を言い、起きたことを、まず受け入れることが重要だとし、『起きたことを客観視すること。これがまず、危機から身を護る最大のスキルを育んでくれます』と述べている。私は経験的に納得できるが、これが最適解なのかは分からない。私は客観視して言語化することで楽になれるから、ブログを続けているのかもしれない。
解放されて分かるストレス
本題から少し離れるが、乳がん闘病にしろ、介護にしろ、仕事にしろ、辛い状況から解放されて初めて自身にかかっていたストレスを感じ取ることができる、と何度か実感している。
例えば、乳がん闘病では、私には最善な病理結果が出た1ヶ月後に、同級生の集まりがあり、そこで以前通りのはしゃぎ方を楽しんだ時に、身体が凄く軽くなるのを感じた。言葉で説明するのは難しいが、解放されたような感じで、その時に「私はここまでストレスがかかっていたのか…..」と実感した。解放されるまでは、そこまでのストレスがかかっているとは自覚できなかった。
最後に
3月と7月にそこそこ交流があった同級生があっという間に旅立った。ダメージが大きい。この記事を書きながら、介護と闘病が始まった40代半ばに、「人は最期はどう生きたかが問われる」「これからは私は10年単位で人生を考えよう」と強く思ったことを思い出しつつ、「起きたことを客観視しつつ受け入れ、生きていくしかないな……」なんて考えている。