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「最期」を書いた背景(成年後見人・ユマニチュード・医療介護現場)

    7月6日月曜日の夜、「創作大賞というものがあるんだ…..」と知った。「締め切りまで2日か…..。ずっと感じているモヤモヤとしたものを書いてみるか」と書いたのが↓の「最期」だ。時間制限を利用して想いを整理し言語化した。文章にし記事にすることで、私自身の気づきもあり、書いて良かった。

    応募すると決めないと書かないので応募した。時間が許す限り推敲し、応募に失礼がない程度には体裁を整えたつもりだ。たまたま私の文章を目にした人が、何かを感じとって最期を考える時に参考になれば!と想い、いつもの医療・闘病関連投稿とは違う構成にした。

    それで、ここでは、私のちょっとした背景と、「モヤモヤを言語化してみるか!」と私を駆り立たせた、少し前に目にしたSNSの2つの投稿について触れてみたい。あえてSNS投稿の引用はしない。

    介護や闘病の20年

    40代前半で直面した認知症義母の介護。成年後見人の申請・認定関連で忙しくしていた頃に乳がんの闘病が始まり、闘病で信仰・宗教に関するイメージが変わり始めた頃、信仰が日常生活に根付いているインド・チェンナイに住み始め、日本に戻ると多くの人の命を奪ったコロナパンデミックが起こった。80代後半になっていた両親。私のサポートが必要な頻度が増し介護に移行した。並行して、私は乳がんの定期検診やら、再建乳房で使用しているシリコンバッグの入れ替え検討やら、左肩の手術やら、膠原病やらで、医療との関わりが断続的に続いた。

    私にとって、「医療=大学病院などの大きな病院でお世話になる」で、初めてが30代後半。場所はシンガポールだった。その後は全て日本で、忘れた頃にやってくる感じだ。これらの体験からか、SNSでACP(人生会議)に関する意見や議論を見る度に思うことがずっとあった。

    余談:成年後見人制度の移り変わり

    成年後見人の申請・認定関連に関しては、17年ほど前は、一般人が家庭裁判所に相談しながら自分で申請し、審査で問題なければ、子供が成年後見人に選任されるのが一般的だった。面倒な申請書類の作成を専門家に依頼しても、子供が成年後見人に選任されることは一般的だった。

    被成年後見人(認知症高齢者など)は、権利の大きな制限や剥奪があるので、成年後見人の審査は厳しかった。当然だ。義母が被成年後見人に認定された直後あたりに、国政選挙があり、ひと騒動あった。被成年後見人には選挙権がない。

    義母はまずは被保佐人の認定を受け、その後に被成年後見人の認定となったが、その間だけでも、成年後見人制度を取り巻く環境や制度の運用が変わったと感じた。手続きの簡素化という名の緩さを感じた。認知症の親が入所する施設に係る費用を捻出するために、親の自宅の売却が必要なケースが急増し、それが変わった1つの要因だと聞いた。判断能力がない親の名義の不動産を子供などが売却するには、成年後見人をたてて家庭裁判所の許可を貰う必要がある。現在は、この成年後見人の手続きが面倒なうえ時間がかかるので、家族信託を利用する人が増えているらしい。

    数年前、認知症高齢者の急増やそれに伴うトラブルから、以前なら認定されないような初期認知症の高齢者が、役所の誘導で被成年後見人に認定されるケースや、市町村の役所と提携している弁護士が成年後見人に選任されるケースが増え、トラブルが増えていると知った。成年後見人に選任された弁護士が、本人や家族の希望と反して、報酬目的に成年後見人の権利を行使する悪徳なケースが一定数あるようだった(成年後見人には業務の報酬が認められている)。

    私は、保佐人と成年後見人の申請、及び後見人認定後の被成年後見人(認知症高齢者など、私のケースでは義母)の財産管理を行ったが、書類作成はかなり面倒だった。煩雑だと感じることもあった。成年後見人に選任されると、家庭裁判所が、1年に一度、被成年後見人(本人/義母)の資産を本人/義母のためにきちんと管理し、本人/義母のために使っているかを審査する(現在も同じだと思うが、調べていない)ので、その関連雑務が煩わしかった。当時は、家庭裁判所へは紙での提出で、大量にプリントアウトしたりコピーしたりした記憶がある。

    書類作成・資産管理は面倒で煩雑なので、一般人だと間違えたり不備が生じる可能性が高く、家庭裁判所が提出書類をチェックし、不備で差し戻し、というようになることは容易に想像できる。なので、認知症を理由とした成年後見人の申請と認定が急増し、家庭裁判所の業務が増え過ぎて、家庭裁判所は「成年後見人は弁護士などの専門職にしてくれ~!」と望み、市役所などの行政機関も認知症高齢者に伴う相談・トラブル関連業務が増え過ぎて、「任せられるところは専門職に振りたい~!」というように考えるようになるのは当然だとは思う。こういった背景があり、先に述べたような「認知症高齢者は、役所→提携の弁護士→成年後見人」の安易な仕組みが出来上がってしまったと推測している。そのような見解を読んだ記憶もある。

    報酬目的で成年後見人の権利を行使するような弁護士の出現を受け、改善が講じられたと記憶しているので、現状については、興味があれば調べて下さいね。超高齢化社会に伴う認知症高齢者の激増を受け、家族や社会コミュニティーの変化により、公共・行政の負担が増えているので、難しい問題だと私は捉えている。電子化やAIを活用するなどして、トライ&エラーで改善していって欲しい。

    義母の成年後見人や遺産相続関連で、家庭裁判所の相談や行政の弁護士無料相談を利用したが、認知症の親の資産の流用を考える子供など悪意の人が私が想像している以上にいるように感じた。また、分かってはいたが、法律は時には理不尽だった。

    「ユマニチュードを知って!」という投稿

    少し前、Xでユマニチュードに関する投稿が「私のTLでは」バズった。インプレッションやコメント・引用投稿数もかなり多かったので、医療介護関連をフォローしている人は目にした人も多いと思う。

    発端は、映画好きで観た映画の感想を投稿しているアカウントが、今年のカンヌ映画祭で、主演女優二人(一人は日本人)が女優賞に輝いた映画「急に具合が悪くなる」を観て、映画の中で描かれているフランス発祥の「ユマニチュード」に感銘を受け、映画の感想よりも「ユマニチュードを知って!」的トーンで書いたことだった。

    医療介護職を中心に様々な意見が寄せられるも、投稿者は、寄せられた現場の声に目を通したとは思えないトーンで、数年前(もっと前かも)放映のユマニチュードを取り上げたTV報道番組の動画を添付し、自身の主張を続けた。投稿者のユマニチュードに関する複数の投稿は、更に拡散され、更に多くの医療介護従事者の目に留まることになり、更に多くの意見が寄せられた。

    投稿者の主張が一般人、特に施設や病院に高齢家族がいる一般人が見て、現場への要求や批判が強まることを懸念する声も多かった。そりゃそうだ!

    解像度が低い一般人の投稿に集まる現場の声

    その投稿者は、公私ともに認知症介護の経験が殆どなく、現場の実態を知らなかったためか、ユマニチュードのプラス面ばかりに触れ、間接的に医療介護従事者に改善を求めていたり、結果的に責めて/攻めているようにも私には見えた。「私は現場を知らない」という視点がなく、投稿を見る限りでは、認知症の方々への解像度も低かった。一言でいえば「素人は黙っとれ!」案件だった。

    さらに、投稿者が添付した報道動画内の取材病院が、一般的ではない手厚い看護体制で、「保険診療の病院で、一人の認知症患者に3人の看護師がつくなんてあり得ない!ユマニチュードの前に添付動画の看護体制が非現実的!」と疑問を呈するコメントも目についた。

    そもそも、ユマニチュードは10年ほど前に日本で話題になった記憶がある。認知症介護に携わった経験がある私は、その当時にテレビ報道をわざわざ観て、認知症介護の参考にした。なので、一般人の私ですら「ユマニチュードを知って!」は今更感があった。

    医療介護従事者はユマニチュードを知っていることを前提に、「現場でそれをどう感じているのか」「映画ではユマニチュードはXXのように描かれているが、実態はどうなんだろうか」といった投稿であれば、あれほどバズらなかったと思う。バズったお陰で、多くの興味深い意見が見られたが。

    医療介護現場の現状は?

    今回の寄せられた意見は、「ユマニチュードは認知症患者の看護介護で有効だが、それで解決できないこともある。攻撃性が非常に高い認知症患者もいる。医療介護現場は人手不足が深刻。ユマニチュードには人手が必要だが、現実的に不可能な状況がある」に集約でき、現場の方々から様々な具体的エピソードが示された。

    ◆患者の苦痛が伴う治療・医療行為を行う時などは、認知症患者の身体的拘束が一時的に必要なこともある。
    ◆ユマニチュードの教えに従って認知症患者にアプローチしたら、看護介護者の安全が担保できないケースもある。極度に暴力的で、ユマニチュードで対応できるレベルでない人もいる。

    といった内容の具体的体験談が並んでいて、納得できるものが殆どだった。自身の介護体験を思い出しながら、興味深く読んだ。

    理性の働きが悪くなると……

    創作大賞に応募した「最期」に書いたが、高齢になると、認知症でなくても理性の働きが衰える(個人差はある)、認知症が少しでも入ると、「本能>理性」の傾向が明らかになり、本能的な行動が増える。なので、若年層でも苦痛と感じる治療/医療行為には、乳幼児が注射の時に泣き叫ぶように、本能的に暴力で拒否するようになると私は感じている。仕方がない。

    そして、人には体調がある。若い人でも「今日は体調がイマイチ」と感じる。私は、歳を重ねるごとに、「体調がイマイチ」と感じることが増えた。無理が効かない、体調がイマイチにならない範囲でできる事が年々減るのだ。

    看護介護する側の安全性は考えている?

    認知症患者の言動にも体調が影響していると経験的に思う。普段、暴言や暴力がない人でも、体調や機嫌が悪い時は、暴力や暴言に繋がることがある。医療介護現場の方々は、ある程度の経験があれば、こういったことは百も承知で、看護介護に当たっていると思う。

    私は、認知症介護の経験がない友人に、認知症の親族の説明をする時に、「今は3歳児かな?そろそろ2歳児。だけどプライドと力はある」といった表現を使うことがある。理性や理解判断思考力が衰え、自分の意思を言葉で表現することが難しくなり、イヤイヤと暴れる等といったことでしか表現できなくなった「力がある人」「力加減が出来なくなった人」を看護介護する方々の安全性の担保も考えるべきだと思う。

    看板料を支払う必要があるユマニチュード

    「XX医療機関ではユマニチュードを行っています」と公言するには、審査認定、そのための費用が必要だと初めて知った。バズり投稿のお陰だ。更新料もあるらしい。

    ユマニチュードは、人員が十分に確保され余裕がある環境であれば、必要最低限の看護介護に関するスキル・知識・経験がある医療従事者は、認知症患者の性格などを勘案し患者に寄り添えば、ユマニチュードの基本は出来ている、という見解をそこそこ見た。

    「ユマニチュードは有資格者から教わる必要があり、ユマニチュードの動画を見て表面的に真似してできるものではない」とユマニチュードの有資格者が強調していたが、有資格者から学ぶには費用がかかるのが難点だと感じた。これからは、社会全体で認知症の方々を支える必要があるのに、なんだか、、と思ってしまった。

    ユマニチュードは、看護介護現場で認知症患者とのコミュニケーションを観察分析し、認知症患者とのコミュニケーションが上手くいっているケースを抽出し、成功事例を体系化したものらしい。なので、先に書いたように、環境や条件が揃っていれば、ユマニチュードとして学ばなくても、ユマニチュードの基本が出来ているという見解は、私は納得できる。ただ、今はどこの医療介護現場でも深刻な人手不足なので、その当たり前ができない状態になっている。そこが大きな問題だ。

    こういう状況が見えてくると、「看板料を払ってユマニチュードを掲げる必要があるのか」という疑問や、「ユマニチュードを実施しているが、看板料をはじめ様々な負担に疑問がある」という体験を基に語られる意見は、私には説得力があった。ユマニチュードにも利権が絡んでいそうだ。

    ACPの普及を求める声

    ユマニチュードの議論を通して、「認知症高齢者本人が望んでいない医療行為/治療が続くと、認知症高齢者の暴力・暴言が多くなってしまうのでは?ユマニチュードよりもACPの普及を!」という意見がある看護師から出てきた。また、今回の議論を通じて、「高齢者本人が望んでいない延命治療を家族が望むケースが多い」と捉えている医療従事者が多く?それなりに?いると改めて認識した。が、実態は分からない。

    ◆SNSなので、高齢家族の状態を正確に把握できず(したくなく)、医療介護現場に無理難題を要求する厄介な家族に関する声が目立つ
    ◆厄介ケースは医療現場でも印象に残り続ける
    ◆厄介ケースは1つでももの凄く大きく感じることもある
    などといった要因により、厄介ケースは実際より多く感じてしまっている可能性もあると私は思う。問題がないケースは印象に残らない。

    とは言うものの、医療介護需要が増え続け、人手不足が深刻化する一方な現場としては、一度ぐらいは人生会議を開いたり、自分や家族の最期の過ごし方を考えて欲しい!と願うのは当然だ。私もACPの普及には賛成だ。その反面、「自分や家族の最期を考えて決めていても、実際に最期を迎えた時にしか見えないことがあり、気持ちが変わる可能性は高い、最期を決めるのは難しい、という面もあると知ってほしい」という想いがあり、創作大賞に応募した「最期」を書いた。

    倫理的に問題があると感じた投稿

    看護師を名乗るアカウント(本当に看護師か否かは分からない)が、寝たきりで痩せ細った高齢者がベッドに横たわるAI生成画像を添付し、「看護師になって初めて見たもの、生きているミイラ」といったコメントで投稿していた。そこそこバズっていた。その投稿に対し、高齢者医療に対する多くの批判が寄せられた一方、倫理的な問題の指摘などもあった。嫌悪感を伴う投稿だったので、私を含め、あえて触れずにスルーした人も多かったと推測する。自動翻訳で言語の壁が取り除かれたXでの投稿だったので、英語圏の方から、ごもっともな倫理的な問題指摘が寄せられていたのが印象に残った。

    その投稿や投稿に対する反応から、「まさか、看護師が添付画像のように痩せ細り寝たきりになるのは高齢者のみと思っていないよね?」「一般の方々で、医療が身近にない人はそう思ってしまうか……」と不安を覚えた。なので、「中年でもがん闘病の終末期になると、旅立ちが近づいている寝たきり高齢者のように痩せ細るよ!最期の医療の問題は、高齢者に限ったことではないよ」という想いが膨らみ、「最期」を書いた。


     
     
    ・乳がんサバイバー(12年12月に手術、ステージ0非浸潤性乳管癌、保険適用前の13年10月にシリコンインプラントによる再建) ・24年3月より膠原病(PMR+セロネガRAかな?の状態) ・シドニー、香港、マレーシア(KL&JB)、中国広州、インド・チェンナイの在住経験あり。

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