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第4章|知らないトウマ

    四人の時間が当たり前になり始めたころ、ルナはトウマの知らない顔を見る。
    同じ年頃のダンサー仲間と笑う彼は、ルナの知っているトウマとは少し違っていた。
    それは恋の嫉妬なのか、仲間意識の揺らぎなのか。
    十三歳のルナには、まだその感情に名前をつけられない。


    その頃には、
    コンビニ前の段差に座ることが、
    すっかり日課みたいになっていた。

    学校が終わる。
    駅まで走る。
    電車に乗る。
    渋谷に着く。
    人混みを抜ける。

    そこまでの流れが、
    身体に少しずつ馴染んでいく。

    最初は毎回少し緊張していた。
    誰もいなかったらどうしよう。
    昨日までのことが、全部なかったみたいになっていたらどうしよう。

    でも、何度か同じ夕方を重ねるうちに、
    私はその不安を少しだけ忘れるようになっていた。

    誰かはいる。
    たぶん。

    トウマか、ユイナか、ユウか。
    三人そろっていなくても、
    誰か一人がそこにいるだけで、
    その場所はちゃんと私たちの場所になった。

    そう思っていた。

    たぶん、
    思い始めていた。


    その日は、少しだけ早く着いた。

    春の終わりの夕方で、
    空はまだ明るかった。
    ビルの隙間から差す光が、
    街の看板を少しぼんやりさせている。

    いつもの路地に入る手前で、
    私はトウマの声を聞いた。

    笑い声だった。

    すぐ分かった。
    あの声は、雑踏の中でも変に通る。

    私は少しだけ足を速めた。
    角を曲がれば、トウマがいる。

    そう思った。

    けれど、
    そこにいたトウマは、
    私の知らない顔をしていた。

    コンビニの前ではなく、
    少し離れたビルの壁際。
    トウマは同じ年くらいの女の子と話していた。

    その子は、
    髪を高い位置でひとつに結んでいて、
    大きめのパーカーに細いパンツを合わせていた。
    スニーカーの紐が片方だけ派手な色で、
    リュックの横には小さなタオルがぶら下がっている。

    たぶん、ダンサー仲間。

    そう思ったのは、
    彼女の立ち方がトウマに少し似ていたからだ。

    重心が軽い。
    いつでも音に乗れるみたいに、
    身体のどこかが少しだけ揺れている。

    「だからさ、明日のやつ来るんでしょ?」

    女の子が言う。

    「行けたら」

    トウマが答える。

    「それ来ないやつじゃん」

    「いや、行くって。たぶん」

    「トウマの“たぶん”は信用ならない」

    「信用してよ」

    「無理」

    二人は笑った。

    ただそれだけだった。

    本当に、
    ただの会話だった。

    なのに私は、
    その場でうまく動けなくなった。

    トウマが私たち以外の誰かと笑うことなんて、
    少し考えれば当たり前だった。

    彼は私よりずっと前から渋谷にいた。
    踊っていて、
    仲間がいて、
    知らない場所で知らない時間を過ごしている。

    そんなこと、
    分かっていたはずなのに。

    目の前で見るまで、
    ちゃんとは分かっていなかった。

    「ルナ?」

    後ろから声がして、
    私はびくっとした。

    振り返ると、
    ユイナが立っていた。
    制服の上に薄いパーカーを羽織っていて、
    片手にはコンビニ袋を持っている。

    「何してんの。入り口で固まって」

    「……別に」

    「別にって顔じゃないけど」

    ユイナは私の視線の先を見て、
    すぐに状況を理解したらしい。

    「ああ」

    その「ああ」が、
    妙に大人っぽかった。

    「ダンサー仲間じゃない?
     たまに見るよ、あの子」

    「知ってるの?」

    「名前までは知らない。
     でもトウマと同じ辺りで踊ってる子」

    「……ふうん」

    私は自分でもびっくりするくらい、
    興味のないふりをした声を出した。

    ユイナが横から私の顔を覗き込む。

    「なに、気になる?」

    「気になってない」

    「早い」

    「何が」

    「否定が」

    「気になってないから」

    「はいはい」

    その言い方が少しだけ悔しくて、
    私はコンビニ前の段差へ向かった。

    わざと、
    トウマたちの方を見ないようにした。


    いつもの段差に座っても、
    落ち着かなかった。

    コンビニの自動ドアが開く音。
    袋が擦れる音。
    通り過ぎる人の靴音。

    いつもなら、
    その全部が背景みたいに混ざる。

    でもその日は、
    トウマの笑い声だけが、
    変に輪郭を持って聞こえた。

    ユイナは隣に座って、
    袋からポテトチップスを出した。

    「食べる?」

    「いらない」

    「珍しい」

    「お腹空いてない」

    「嘘だ」

    「なんで」

    「ルナ、だいたいこの時間お腹空いてる」

    私は何も言えなかった。

    ユイナはポテトチップスを一枚食べてから、
    少しだけ声を落とした。

    「別にさ、あの子に嫉妬してるって決めつけたいわけじゃないよ」

    「してない」

    「うん。そういうことにしとく」

    「本当にしてないって」

    「じゃあ何が嫌だったの?」

    私は答えようとして、
    言葉を探した。

    嫌だった。

    それは確かだった。

    でも何が嫌なのか、
    うまく言えなかった。

    あの女の子が嫌いなわけじゃない。
    トウマが誰かと話すのが悪いわけでもない。
    私たちは別に、
    トウマの何かを持っているわけじゃない。

    それなのに。

    「……知らなかったから」

    気づいたら、
    そんな言葉が出ていた。

    ユイナが私を見る。

    「何を?」

    「トウマが、あんな顔するの」

    「どんな顔?」

    「……分かんない」

    分かんない。

    本当に分からなかった。

    私たちといるときのトウマは、
    いつも少しふざけていて、
    私の歌を大げさなくらい真面目に聴いてくれて、
    ユイナに茶化されて、
    ユウに冷静に突っ込まれて、
    それでも楽しそうに笑っている。

    でもさっきのトウマは、
    もっと前からその場所にいた人の顔をしていた。

    私たちの知らない合図で笑って、
    私たちの知らない予定を話して、
    私たちの知らない明日に行こうとしていた。

    それが、
    少しだけ寂しかった。

    たぶん。

    「……仲間だと思ってたから」

    私は小さく言った。

    ユイナはポテトチップスの袋を膝の上に置いたまま、
    しばらく黙っていた。

    「仲間でしょ」

    「うん」

    「でも、全部知ってるわけじゃない」

    「……うん」

    「それが嫌だった?」

    私は頷けなかった。

    頷いたら、
    自分がものすごく子どもみたいに思えたから。

    ユイナは少し笑った。

    でも馬鹿にした笑い方ではなかった。

    「ルナってさ」

    「何」

    「結構、独占欲あるよね」

    「ない」

    「また早い」

    「ないから」

    「はいはい」

    「ユイナ、さっきからそればっか」

    「便利なんだもん」

    ユイナはそう言って、
    ポテトチップスを一枚、私の口元に差し出した。

    「食べな。
     お腹空いてると、考えなくていいことまで考えるよ」

    「……いらないって言った」

    「言っただけでしょ」

    私は少し迷ってから、
    その一枚を食べた。

    しょっぱかった。


    トウマが戻ってきたのは、
    それから少しあとだった。

    「ごめん、待たせた」

    そう言って、
    彼は片手を上げる。

    いつものトウマだった。

    少し汗をかいていて、
    さっきのことなんて何もなかったみたいに笑っている。

    自分だけが勝手に変なものを見て、
    勝手に引っかかっている気がして、
    それがまた悔しかった。

    トウマは少しだけ考えて、
    私の隣ではなく、
    正面のガードレールに軽く腰を預けた。

    「さっきの、見た?」

    私は顔を上げた。

    「何を」

    「リオ。ダンサー仲間」

    名前が出た。

    それだけで、
    胸のどこかがまた小さく沈む。

    「別に見てない」

    「見てたじゃん」

    「見えてただけ」

    「それは見てる」

    トウマは苦笑した。

    「明日、ちょっとしたダンスの集まりがあってさ。
     来るかって聞かれてた」

    「行けばいいじゃん」

    「行くかも」

    「たぶん?」

    「たぶん」

    その言葉に、
    昨日の帰り道を思い出した。

    たぶん待ってる。

    あのときは嬉しかったのに、
    今は少しだけ嫌だった。

    同じ言葉なのに、
    向く先が違うだけで、
    こんなに変わる。

    「トウマって」

    私は足元の影を見ながら言った。

    「いろんなところにいるんだね」

    トウマは少し黙った。

    「まあ、渋谷にいるからね」

    「そういう意味じゃなくて」

    「うん」

    彼は軽く頷いた。

    「分かるよ」

    本当に分かっているのか、
    分かったふりなのか、
    その時の私には判断できなかった。


    ユウが来たとき、
    空気はまだ少しだけ変だった。

    彼は私たちを見て、
    すぐに何かを察したらしい。

    けれど、何も聞かなかった。

    いつものように段差の端に座り、
    鞄から小さなノートを出している。

    「何それ」

    ユイナが聞く。

    「音のメモ」

    「勉強以外もメモするんだ」

    「する」

    「見せて」

    「嫌だ」

    「即答」

    「見せるものじゃない」

    そう言って、
    ユウはノートを閉じた。

    そして私を見る。

    「弾かないの?」

    「……今日はいい」

    「そう」

    ユウはそれ以上聞かなかった。

    その淡白さが、
    少しだけありがたかった。

    ユイナがポテトチップスの袋を差し出す。

    「ユウも食べる?」

    「一枚だけ」

    「本当に一枚?」

    「一枚」

    ユウは本当に一枚だけ取って、
    小さく割ってから食べた。

    トウマが吹き出す。

    「一枚を二回に分ける人、初めて見た」

    「食べ方は自由」

    「そこも細かい」

    いつもの会話が戻ってくる。

    それだけで、
    私は少し救われた気がした。


    その日は、
    結局あまり歌わなかった。

    ギターは出した。
    コードも鳴らした。
    でも声がうまく乗らなかった。

    トウマは踊らず、
    ガードレールにもたれて聴いていた。

    ユイナは手拍子を入れず、
    私の横で膝を抱えていた。

    ユウは何も指摘しなかった。

    それでも、
    誰も帰ろうとは言わなかった。

    しばらくして、
    トウマがぽつりと言った。

    「ルナさ」

    「何」

    「俺、別にどこにも行かないよ」

    「……明日、ダンスの集まり行くんでしょ」

    「行くかも。
     でも、そういうことじゃなくて」

    「分かんない」

    「うん。俺も説明うまくない」

    トウマは少し笑った。

    「渋谷ってさ、いろんな場所があるじゃん。
     踊る場所も、歌う場所も、たむろする場所も、怒られる場所も」

    「怒られる場所?」

    「だいたい全部」

    ユイナが「それはそう」と言った。

    トウマは続ける。

    「でも、ここはここじゃん」

    「何それ」

    「うまく言えないけど。
     リオたちといる場所と、ここは違う。
     どっちが上とかじゃなくて、違う」

    私はギターの弦を指で軽く押さえた。

    違う。

    それだけで、
    本当は十分だったのかもしれない。

    でも十三歳の私は、
    十分だと思うにはまだ少し子どもだった。

    自分の知らない場所へ行くトウマを、
    寂しいと思った。

    自分たちだけのものだと思っていた時間に、
    外側があることを知って、
    少しだけ傷ついた。

    「……私たち、仲間?」

    気づいたら、そんなことを聞いていた。

    トウマは驚いた顔をした。
    ユイナがこちらを見る。
    ユウも、ポテトチップスを持つ手を止めた。

    少しだけ恥ずかしくなって、
    私はすぐに言い直そうとした。

    「いや、変な意味じゃなくて」

    「仲間でしょ」

    トウマが言った。

    あまりに簡単に。

    「ルナがそう思ってなくても、俺はそう思ってる」

    「……思ってるよ」

    「じゃあ仲間」

    「軽い」

    「重く言った方がいい?」

    「いい」

    トウマが笑った。

    その笑い方は、
    やっぱり私の知っているトウマだった。

    ユイナが小さく息を吐く。

    「めんどくさいなあ、青春」

    「誰目線?」

    私が聞くと、
    ユイナは肩をすくめた。

    「ちょっと大人目線」

    「高校生って、そんなに偉いの?」

    「偉いんじゃなくて、ちょっと先に転んでるだけ」

    「何それ」

    「転び方を知ってる人は、少しだけ大人なんです」

    トウマが笑い、
    ユウが「場合による」と言った。

    またいつもの空気に戻る。

    それでも、
    その日の私は知ってしまった。

    トウマには、
    私の知らない時間がある。

    私たちは仲間だけれど、
    仲間だからといって、
    全部を知れるわけじゃない。

    それは少し寂しくて、
    少し大人になるみたいだった。


    その日の帰り道、
    電車の窓にはまた、
    笑っているのか困っているのか分からない顔の私が映っていた。

    耳の奥には、
    トウマの声が残っている。

    仲間でしょ。

    それだけで、
    嬉しかった。

    それだけでは、
    足りなかった。


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    総目次|SlowRush

     
     
    📘 Novel × 🎵 Music × 🎥 MV すべてAIで創り続けるプロジェクト。 小説「Parallel Lights」を元にした楽曲 『Before the World…』を公開中。 小説・作詞・作曲・アレンジ・MVをSuno / Sora2 / Canva など

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