メインコンテンツへスキップ
見出し画像

第5章|音になる4人

    ある日、ユウがベースを持って現れた。
    ユイナはスティックを取り出し、トウマは何も言わず足で拍を取る。
    ルナの未完成な曲は、その夕方、初めて誰かの音と混ざった。
    それはまだバンドではなかった。けれど、たしかに始まりだった。


    その日、
    ユウはベースを背負って現れた。

    最初に気づいたのは、トウマだった。

    「お、でかい荷物」

    いつもの段差に座っていたトウマが、
    顔を上げる。

    路地の向こうから歩いてくるユウは、
    制服の上から黒いソフトケースを背負っていた。
    細い体に対して、そのケースは少し大きく見えた。

    ユイナが目を輝かせる。

    「え、持ってきたの?」

    「持ってきた」

    「今日?」

    「今日」

    「なんで?」

    「昨日のコード、気になったから」

    ユウはそれだけ言って、
    段差の横にケースを置いた。

    私は思わず、ギターケースを抱え直す。

    「本物?」

    「偽物のベースは持ってない」

    「いや、そういう意味じゃなくて」

    「弾くよ」

    ユウは何でもないことみたいに言った。

    でも私には、
    それがかなり大きな出来事に見えた。

    今までユウは、
    私の曲を聴いて、
    指摘して、
    たまに口で低い音をなぞるだけだった。

    実際にベースを持ってきたのは、
    初めてだった。

    「アンプは?」

    トウマが聞く。

    ユウは鞄から小さな電池式のアンプを出した。

    「持ってきた」

    「準備いいな」

    「鳴らすなら必要」

    「当たり前をすごく真面目に言う」

    ユイナが笑う。

    私はまだ、
    その光景を少しぼんやり見ていた。

    ユウがケースのファスナーを開ける。
    黒いベースが出てくる。
    夕方の光を受けて、
    ボディの端が薄く光る。

    私の曲に、
    本当に低い音が入る。

    そのことを想像しただけで、
    胸の奥が変にざわついた。

    怖いような、
    嬉しいような。

    自分の部屋に誰かを初めて入れる時みたいな、
    落ち着かない感じだった。

    「ルナ」

    ユウがこちらを見る。

    「昨日の、弾いて」

    「……今?」

    「今」

    「ここで?」

    「ここで」

    「ユウって、たまにトウマより強引だよね」

    私が言うと、
    トウマが笑った。

    「それは分かる」

    「分からなくていい」

    ユウは淡々とアンプの音量を絞った。
    路上で鳴らすには、
    かなり小さい音にしている。

    ユイナはスティックケースから、
    スティックを一本だけ抜いた。

    「じゃあ私も入る」

    「ドラムないけど」

    「あるよ」

    彼女は店の横に置かれていた段ボール箱を見つけると、
    中が空なのを確認して、段差の前へ運んだ。

    ミネラルウォーターでも入っていたのか、
    薄い通販箱より少し厚くて、
    手で叩くとちゃんと箱鳴りがした。

    ユイナはそれを縦に置き、
    両足で軽く挟んで固定する。

    左手のひらで正面を叩くと、
    ぼん、と低い音がした。

    右手のスティックで箱の縁を軽く叩く。

    ぱん、と乾いた音が返る。

    「ほら」

    「それドラム?」

    「今からドラム」

    トウマが腹を抱えて笑った。

    「いいね。路上感ある」

    「褒めてる?」

    「めちゃくちゃ褒めてる」

    「じゃあ許す」

    ユイナは段ボール箱の位置を足先で少し直し、
    もう一度、左手で正面を叩いた。

    トウマは少し離れたところに立つ。

    「俺は?」

    「踊れば?」

    ユイナが言う。

    「雑」

    「一番得意でしょ」

    「まあね」

    トウマはそう言って、
    イヤホンを外し、ポケットにしまった。

    その動きだけで、
    空気が少し変わった。

    誰もちゃんと始め方を知らない。
    曲名もない。
    譜面もない。
    練習でもない。

    でも、
    何かが始まりそうだった。


    私はギターを構えた。

    いつもの曲。
    まだ途中までしかできていない。
    何度も路上で歌って、
    何度も止まって、
    ユウに終わり方を指摘されて、
    ユイナにサビ前の呼吸を直されて、
    トウマに勝手に踊られた曲。

    自分だけの曲だったはずなのに、
    もう少しずつ、
    自分だけのものではなくなっていた。

    「テンポは?」

    ユウが聞く。

    「分かんない」

    「いつもくらい?」

    「いつもくらい」

    「分かった」

    本当に分かったのかと思ったけれど、
    ユウはもう指を弦に置いていた。

    ユイナが右手のスティックで、
    箱の縁を軽く叩く。

    かん、かん。

    「はい、ルナから」

    「なんで仕切ってるの」

    「仕切った方が始まるから」

    たしかに、と思ってしまった。

    私は息を吸い、
    最初のコードを鳴らした。

    いつもより、
    少しだけ弱い音になった。

    緊張していたからだと思う。

    でも二小節目に入ったところで、
    低い音が下から入ってきた。

    ユウのベースだった。

    ほんの少し控えめで、
    でも確かにそこにいる音。

    私のギターの下に、
    床ができる。

    そんな感じがした。

    今まで空中に投げていたコードが、
    急に足場をもらったみたいに安定する。

    「……」

    歌い出すのを忘れかけた。

    ユイナがすぐに気づく。

    「ルナ、歌!」

    「あ、うん」

    慌てて声を乗せる。

    すると今度は、
    ユイナの左手が段ボールを叩いた。

    本物のドラムとは全然違う。
    音は軽いし、
    箱鳴りも少し頼りない。

    でも、
    ちゃんと前へ進ませる力があった。

    ギター。
    ベース。
    段ボールのリズム。
    そして、
    トウマの足音。

    彼は少し離れたところで、
    私の歌に合わせてステップを踏んでいた。

    踊っているのに、
    邪魔にならない。
    音を見える形にしてくれているみたいだった。

    サビ前でユイナが手数を少し減らす。
    ユウの低音が一度沈む。
    私はそこで息を吸う。

    いつもより自然に、
    サビへ入れた。

    声が伸びた。

    自分でも分かるくらい、
    遠くへ伸びた。

    通りすがりの人が、
    一人、足を止める。

    それに気づいた瞬間、
    少しだけ怖くなった。

    でもトウマが、
    こちらを見て親指を立てた。

    大丈夫。

    声には出していないのに、
    そう言われた気がした。

    私は歌い続けた。


    曲が終わったとき、
    少しだけ沈黙があった。

    車の音。
    信号の電子音。
    コンビニの自動ドア。

    街の音が戻ってきて、
    私はようやく息を吐いた。

    通りすがりの人が、
    軽く拍手をしてくれた。

    一人。
    それから、もう一人。

    大きな拍手ではない。
    立ち止まったのも数人だけ。
    すぐにまた歩き出していく。

    でも、
    それで十分だった。

    トウマが最初に叫んだ。

    「今の、めっちゃよかった!」

    ユイナも笑っている。

    「ね? 言ったでしょ。
     ドラム入ったら絶対化けるって」

    「段ボールだけど」

    「今は段ボール。
     そのうち本物」

    「そのうちって何」

    「そのうちは、そのうち」

    ユイナは悪びれない。

    ユウはベースのボリュームを下げながら、
    小さく言った。

    「サビ前、やっぱり落とした方がいい」

    「そこ?」

    トウマが笑う。

    「今それ?」

    「重要」

    ユウは私を見る。

    「でも、悪くなかった」

    「またそれ」

    私が言うと、
    ユウはほんの少しだけ口元を緩めた。

    「かなり、悪くなかった」

    ユイナがわざとらしく拍手する。

    「出ました。ユウ基準の最高評価」

    「最高とは言ってない」

    「じゃあ何点?」

    「点数にしない」

    「出た、面倒くさいやつ」

    「面倒くさくない」

    そのやり取りを見て、
    私は笑った。

    さっきまでの緊張が、
    全部ほどけていく。

    でも同時に、
    胸の奥ではまだ音が鳴っていた。

    自分の曲が、
    他の誰かの音を受け取って変わった。

    その事実が、
    体の中に残っている。

    私一人では、
    あのサビには行けなかった。

    そう思った。

    それは悔しいことではなかった。

    不思議なくらい、
    嬉しかった。


    「ルナ」

    ユイナが急に真面目な声を出した。

    私はギターを片づけかけていた手を止める。

    「なに?」

    「ちゃんとバンドやった方がいいよ」

    その言葉は、
    前にも聞いた気がする。

    でも、
    その日の言い方は少し違っていた。

    冗談じゃなかった。
    勢いだけでもなかった。

    ユイナは段ボール箱の上にスティックを置き、
    まっすぐこちらを見ていた。

    「ルナの曲、ギター一本でもいいけど、
     たぶん、それだけじゃもったいない」

    「もったいない?」

    「うん。
     もっと広くなる。
     もっと遠くまで行ける」

    私はすぐに答えられなかった。

    バンド。

    その言葉は、
    今まで私には少し遠かった。

    学校の軽音部とか、
    ライブハウスのポスターとか、
    SNSで流れてくる知らない人たちとか。

    ちゃんとした人たちが、
    ちゃんとした場所でやるもの。

    そう思っていた。

    自分がそこに入るなんて、
    想像していなかった。

    「でも、私」

    言いかけて、
    何を言えばいいのか分からなくなる。

    下手だし。
    子どもだし。
    曲も途中までだし。
    何も知らないし。

    言い訳ならいくらでも浮かぶ。

    ユイナは、
    それを全部聞く前に笑った。

    「今できてないことは、後でできればいいじゃん」

    「簡単に言うね」

    「簡単に言わないと、始まらないから」

    その言い方が、
    ユイナらしかった。

    トウマが横から口を挟む。

    「いいじゃん、バンド。
     ルナが歌って、ユウが低いやつ弾いて、ユイナが段ボール叩いて」

    「段ボール固定やめて」

    「じゃあ本物のドラム叩いて」

    「叩くし」

    ユイナは即答した。

    その声が、
    少しだけ強かった。

    私はユイナを見た。

    彼女はすぐに笑ったけれど、
    その一瞬だけ、
    普段より遠いところを見ているような目をしていた。

    「ユイナは、バンドやりたいの?」

    聞いてから、
    少し踏み込みすぎたかもしれないと思った。

    でもユイナは、
    怒らなかった。

    「うん」

    少し間を置いて、
    彼女は言う。

    「やりたい。
     というか、もう一回ちゃんと何かやりたい」

    もう一回。

    その言葉が少し引っかかった。

    「前も、何かやってたの?」

    「まあね」

    ユイナは軽く流すように笑った。

    「昔ちょっと、見られる側のことしてた。
     でも、うまくいかなかった」

    それ以上、
    詳しくは言わなかった。

    私は聞かなかった。

    たぶん、
    その時のユイナには、
    聞いてほしかったわけではない。

    ただ、
    少しだけ見せてくれたのだと思う。

    「だからさ」

    ユイナはスティックを一本、
    くるりと回した。

    「ルナ見てると、なんか腹立つんだよね」

    「え?」

    「まっすぐすぎて。
     怖がってるくせに、ちゃんと前に出るから」

    「褒めてる?」

    「たぶん」

    「たぶん?」

    「今のところは」

    トウマが笑う。

    「ユイナの褒め方も分かりづらいな」

    「うるさい」

    ユイナは照れ隠しみたいに、
    段ボールを軽く叩いた。

    ぱん、と音がした。


    ユウは、
    ずっと黙ってベースの弦を拭いていた。

    でもユイナの話が終わると、
    小さく口を開いた。

    「俺は」

    みんながユウを見る。

    彼は少しだけ言いづらそうにして、
    それでも続けた。

    「ベース、家でしか弾いてなかった」

    「そうなの?」

    私が聞くと、
    ユウは頷く。

    「学校でバンドやってる人もいるけど、
     話が合わない」

    「音楽の?」

    「音楽の。
     あと、音楽以外も」

    トウマが茶化さずに聞いていた。

    ユウは視線を落とす。

    「勉強してると、ちゃんとしてるって言われる。
     ベース弾いてると、意外って言われる。
     どっちも俺なのに」

    その言葉は、
    とても静かだった。

    静かだからこそ、
    重かった。

    「でも、ルナの曲は」

    ユウは少し考える。

    「合わせたいと思った」

    私は何も言えなくなった。

    ユウがそんなことを言うと思っていなかったから。

    彼はいつも、
    感情より先に理屈を置く人だと思っていた。

    でも今の言葉は、
    理屈ではなかった。

    「……ありがとう」

    なんとかそれだけ言うと、
    ユウは目を逸らした。

    「別に」

    「出た」

    ユイナが言う。

    「照れてる」

    「照れてない」

    「照れてるじゃん」

    「照れてない」

    「はいはい」

    ユウは少しだけ不満そうな顔をした。

    その顔を見て、
    また全員で笑った。


    「じゃあさ」

    トウマが両手を叩いた。

    「一回、ちゃんとやってみれば?」

    「何を?」

    私が聞く。

    「バンドっぽいやつ」

    「っぽいやつ?」

    「名前とか決めて、スタジオ入って、
     ユイナが本物のドラム叩いて、
     ユウが低いやつ鳴らして、
     ルナが歌う」

    「トウマは?」

    そう聞くと、
    彼は少しだけ得意げに笑った。

    「俺は踊る」

    「バンドじゃないじゃん」

    「バンドの横で踊るやつ」

    「何それ」

    「新しいだろ」

    「雑に新しい」

    ユイナが笑い、
    ユウも小さく息を漏らした。

    トウマはふざけていた。
    いつものように、
    話を軽くしてくれていた。

    でも、
    その軽さがありがたかった。

    もし誰かが真剣な顔で、
    「バンドを組もう」と言っていたら、
    私はきっと逃げたと思う。

    重すぎて、
    怖くなって、
    まだ早いと言ったかもしれない。

    でもトウマは、
    まるで明日のコンビニで何を買うか決めるくらいの軽さで言った。

    一回、ちゃんとやってみれば?

    そのくらいなら、
    できる気がした。

    「……一回だけなら」

    私が言うと、
    ユイナがすぐに反応した。

    「一回やったら二回やるよ」

    「勝手に決めないで」

    「決まってるんです」

    「怖い」

    「大丈夫。私、段取り早いから」

    「それも怖い」

    ユイナはもうスマホを取り出していた。

    「近くで安いスタジオ探す。
     学割料金あるとこ」

    「早い」

    トウマが感心する。

    ユウは小さく言った。

    「土曜なら行ける」

    「行く気じゃん」

    「一回だけなら」

    「みんな一回だけって言うんだ」

    ユイナがにやにやする。

    私はギターを抱えたまま、
    三人を見た。

    トウマは笑っている。
    ユイナはもう次のことを考えている。
    ユウは何でもない顔をしているけれど、
    ベースのケースを閉める手が少しだけ丁寧だった。

    その光景が、
    なぜかとても眩しかった。

    誰かが「バンドを組もう」と言ったわけではない。

    でもその日、
    私たちは初めて、
    音を重ねた。

    私の曲は、
    私だけのものではなくなった。

    それが少しだけ寂しくて、
    それ以上に嬉しかった。

    春の渋谷の片隅で、
    段ボール箱を叩く音と、
    小さなベースアンプの低音と、
    トウマの足音と、
    私の声が混ざった。

    まだ名前もない。
    形もない。
    約束にもなっていない。

    それでも、
    たしかに何かが始まっていた。


    次の話へ

    総目次|SlowRush

     
     
    📘 Novel × 🎵 Music × 🎥 MV すべてAIで創り続けるプロジェクト。 小説「Parallel Lights」を元にした楽曲 『Before the World…』を公開中。 小説・作詞・作曲・アレンジ・MVをSuno / Sora2 / Canva など

    あなたへのおすすめ