
第22章|迷いの終わり方
迷いが消える時は、だいたい派手じゃない。
雷みたいに答えが落ちてくることは、たぶん滅多にない。
ただ、同じ場所に立った時に、前とは少しだけ違う景色が見えるだけだ。
川崎へ向かう車内で、Ghosted が小さく流れていた。
ユウが運転している時は、だいたい誰かが音源を流す。
移動時間をただの移動にしないためだ。
バンドって、たぶんそういう無駄な悪あがきの積み重ねでできている。
Ghostedは、ツアーに出てからずっと少しずつ変わっていた。
名古屋の時より、大阪はもう少し前に出た。
広島では少しだけ湿度が増えた。
福岡では逆に整理されて、
神戸ではShining in the Darkのあとに鳴らしたせいで、別の色を帯びた。
同じ曲なのに、毎回少し違う。
それを面白いと思う日もあれば、
怖いと思う日もある。
今のルナは、その両方だった。
「ここ」
絢音が言う。
「サビ前、昨日の感じ良かった」
「少し溜めるやつ?」
ユイナが聞く。
「うん。ちょっとだけ、客席が息止める感じになる」
カイが助手席から身を乗り出し、タブレットの波形を見る。
絢音の画面には、ライブ録音とメモと、仮想のオーケストラのレイヤーが同時に出ている。
相変わらずよく分からない。
でも、ちゃんと意味があることだけは分かる。
「その次で俺、少し引いた方がいいかも」
カイが言う。
「ルナの声、昨日そっちの方が抜けてた」
その何気ない一言に、ルナは少しだけ顔を上げた。
前なら、たぶん気づかなかった。
でも今は分かる。
みんな、この曲を完成させようとしている。
ルナの曲だから、ではなく、
五人のGhostedにしようとしている。
そこに、自分の居場所がないわけじゃなかった。
「ルナ?」
ユイナが言う。
「聞いてる?」
「聞いてる」
ルナは少しだけ笑った。
「なんか、ちょっと分かってきたかも」
「何が」
ユウがバックミラー越しに聞く。
ルナはすぐには答えなかった。
言葉にすると、また少しだけ軽くなる気がした。
「……この曲、私が完成させるんじゃないんだなって」
車内が少し静かになる。
その静けさは、悪いものじゃなかった。
ユウが前を見たまま言う。
「最初からそうだろ」
「今それ言う?」
ルナが聞く。
「今だから言う」
ユウは淡々としている。
「曲を最初に持ってくるのはルナだけど、バンドの曲になった時点で、もうルナ一人のものじゃない」
それは、ずっと前から分かっていたことのはずだった。
でも分かっていることと、受け入れることは別だ。
ルナは窓の外を見る。
高速道路の景色は、どの街でも少し似ている。
だから時々、自分がどこへ向かっているのか分からなくなる。
でも、同じ道でも、乗っているメンバーが違えば景色は変わる。
Ghostedもたぶん、それと同じなのだ。
自分一人で書いた旋律。
雨の中の記憶。
儚くて、曖昧で、少しだけ怖い曲。
それが今は、
ユウのベースに支えられ、
ユイナのドラムに押し出され、
カイのギターに切り裂かれ、
絢音の鍵盤に広げられている。
だから、前へ進めている。
ルナ一人では届かなかった場所に、
ちゃんと届こうとしている。
その事実に、やっと少しだけ息ができる。
川崎の会場は、前回よりも広かった。
FIRST STRUM後半の首都圏公演。
客席には、前に見た顔もいる。
知らない顔も増えている。
多分、
いつも応援してくれている、配信コメントの常連達がこの客席にたくさんいる。
「増えたね」
ユイナが小さく言う。
「うん」
ルナは答える。
増えた。
そのことが、今日は少しだけ素直に嬉しい。
照明が落ちる。
歓声。
いつものように、最初の一音で全部が決まる。
でも今日は、前ほど“自分がどう見えるか”を考えていなかった。
ユイナのスティック。
ユウの低音。
カイのギター。
絢音の鍵盤。
そこに、自分の声を乗せる。
それでいい。
Ghostedが始まる。
イントロ。
少しだけ長く息を取る。
サビ前で空気が浮く。
カイは一歩引く。
絢音のコードが景色を広げる。
ルナは歌う。
その瞬間、
胸の中にあったざわつきが、少しだけ違うものに変わった。
消えたわけじゃない。
でも、敵ではなくなった。
迷いは、たぶん間違いじゃなかったのだ。
ただ、曲の外に立っていたから苦しかっただけで、
今はちゃんと曲の中に戻れている。
サビ。
客席の奥まで、声がまっすぐ抜ける。
拍手の前に、一瞬だけ静かになる。
その静けさを、ルナは初めて怖がらなかった。
曲が終わる。
歓声。
今までと同じようで、少しだけ違う。
袖に戻ると、ユイナが最初に叫んだ。
「今の、良かった!」
「うん」
カイが珍しくすぐに言う。
「一番しっくりきた」
絢音は、ほっとしたように少しだけ笑う。
ユウは短く頷いた。
「完成したな」
その言葉に、ルナは一瞬だけ引っかかった。
まだ途中のはずなのに、まるで最初からここに来ることが分かっていたみたいな言い方だった。
その言葉に、ルナは一瞬だけ何も返せなかった。
完成。
あんなに欲しかった言葉なのに、
いざ言われると、妙に静かだった。
派手な達成感じゃない。
ただ、
やっとこの曲と同じ方向を向けた感じ。
「……うん」
ルナは言う。
「たぶん、やっと」
Ghostedは、その夜、五人の曲になった。
三人の頃の痛みも、
途中で加わった才能も、
置いていかれそうになった不安も、
全部抱えたまま。
でも、それでよかった。
きれいに整理されたから完成したんじゃない。
混ざったまま、ちゃんと前に出たから完成したのだ。
夜、ホテルに戻ってから、
ルナは一人でメモを開いた。
Shining in the Dark の下。
Together We Rise の断片の下。
そのさらに下に、新しい言葉を書き足す。
君がいるから、私は前に立てる。
書いた瞬間、自分でも少し照れた。
でも消さなかった。
それはたぶん、次の曲の核になる。
そして、その核はもう、
迷いからではなく、覚悟から生まれ始めていた。