メインコンテンツへスキップ
見出し画像

第18章|それでも書けない

    言葉をもらって、少しだけ楽になることはある。
    でも楽になったからといって、すぐに書けるようになるほど、
    創作は親切じゃない。


    そういうところが、たぶん一番たちが悪い。

    渚と話した夜のあとも、ルナは書けなかった。

    いや、正確に言えば、まったく何も出ないわけではない。
    フレーズは浮かぶ。
    断片ならある。
    でも、それが次に繋がらない。

    ギターを抱えて、二小節。
    三小節。
    その先が急に白くなる。

    進みかけた旋律が、自分の目の前で細くほどけていく感じ。
    掴めそうだったものが、
    指先に触れた瞬間だけ形を変える。

    書けない、というのは、ゼロではない。
    むしろ中途半端にあるから厄介だ。

    ルナはホテルの机に向かって、ノートを開いたまま黙っていた。

    消して、
    書いて、
    また消す。

    “光”という言葉だけが、何度も残る。
    でも、その先が見えない。

    窓の外では、夜の街が小さく流れている。
    地方都市の夜景は、東京みたいに威張っていない。
    そのくせ、妙に人の気持ちに入り込んでくる。

    スマホが震えた。

    絢音からだった。

    《起きてる?》

    短い。

    ルナは少しだけ迷ってから返す。

    《起きてる》

    《下、ロビーいる》

    行く、と返すより先に、ルナは立ち上がっていた。

    ロビーには、絢音が一人で座っていた。
    紙コップのコーヒーを両手で持っている。
    深夜のホテルのロビーは、だいたい誰かの秘密に向いている。

    「寝ないの?」
    ルナが聞く。

    「寝る前に一回考えたい時ある」
    絢音が言う。
    「ルナもそうでしょ」

    返事の代わりに、ルナは向かいに座った。

    しばらく、何も話さない。

    絢音は急かさない。
    その代わり、待つのがうまい。

    「……まだ書けない」
    ルナが言う。

    「うん」

    絢音は驚かない。
    知っていた、みたいな顔をする。

    「渚にちょっと言われて、少し楽にはなった」
    ルナは紙コップの水を指で回しながら言う。
    「でも、それとこれとは別っぽい」

    「別だよ」
    絢音があっさり言う。
    「理解するのと、できるようになるのは別」

    その言い方が、妙に冷たくなくて助かる。

    「ルナって、たぶん今まで“できちゃってた”んだよね」
    絢音が言う。
    「感覚で。直感で。だから今、詰まってる」

    「それって褒めてる?」

    絢音は少しだけ笑う。

    「でも、そこが限界なんだと思う」
    「限界」
    「うん。今までのやり方の」

    ルナは黙る。

    反発したいわけじゃない。
    でも、その言葉があまりにも正確で、返し方が分からない。

    「理論、やる?」
    絢音が聞く。

    「え」

    「コード進行でも、構成でも、借用和音でも、メロディの置き方でも」
    絢音は紙コップを机に置いた。
    「ルナ、今まで感覚で来たでしょ。でも感覚が止まったなら、別の入口使えばいい」

    ルナはしばらく何も言わなかった。

    理論。
    そういうものに頼るのは、なんとなく反則みたいな気がしていた。
    自分の音が、もっと遠くなる気がしていた。

    でも、今はもう、そんな格好つけてる場合じゃないのかもしれない。

    「……教えて」
    ルナは言った。

    絢音は、そこで少しだけ目を細めた。
    嬉しそう、というより、やっとか、に近い。

    「よし」
    と絢音は言った。
    「じゃあ、まずルナは“勘でやってたこと”を言葉にするところから」

    「急に授業感」
    「授業だから」

    その夜から、少しずつ何かが変わり始めた。

    次の日の移動中、絢音はタブレットを開き、
    ルナに進行の図を書いて見せた。

    「ルナの曲って、いい意味で整理されてないの」
    「悪口?」
    「違う。感情が先に走ってる。だから刺さる」
    「ならそのままでよくない?」
    「今まではね。でも今、ルナはそこに自分でついていけなくなってる」

    カイが助手席から振り返らずに言う。

    「確かに。ルナの曲って、“なんでそこ行くの?”が良いとこあるし」

    「フォローになってる?」
    「一応」

    ユイナが後ろで笑う。

    「でも分かる。ルナって、理屈じゃないとこで急に刺しにくるもん」

    ルナは少しだけむっとする。

    褒められてるのか雑に言われてるのか分からない時、人はちょっと不機嫌になる。

    でも、絢音は真顔のままだ。

    「だから、感覚を殺すんじゃなくて、感覚の輪郭を作る」
    絢音が言う。
    「ルナが辿り着きたい場所に、自分で戻れるようにするの」

    その言葉は、妙に綺麗だった。

    戻れるようにする。

    ルナにとって今、一番欲しいのはたぶんそれだった。

    ツアーの合間、スタジオに入れる日は少なかった。
    それでも、空いた時間に絢音は容赦なくルナを座らせた。

    「じゃあ、ここ」
    鍵盤を鳴らす。
    「この進行、ルナならどう歌う?」

    「急に?」

    「急に。考える前に」

    ルナはアコギを抱える。
    マーチンの生音は、シェクターよりもずっと逃げ道がない。
    真っ直ぐで、誤魔化せない。

    ぽつぽつと歌う。

    絢音はその音を聞きながら、すぐに言う。

    「今、四度上行こうとしたでしょ」
    「……なんで分かるの」
    「ルナ、光のある単語の前でその癖出る」
    「怖」

    絢音は、そういうところがある。
    音楽を聴くというより、構造ごと見ている。

    でも同時に、ルナの真っ直ぐな弾き語りを聴く時だけ、
    絢音は時々すごく静かになる。

    その理由を、ルナはまだ知らない。

    絢音にとってルナの弾き語りは、
    理論で辿り着けない場所にあるのだ。

    だから教える。
    だから試す。
    少し意地悪なくらいに。

    夜、ライブハウスの袖で絢音はぽつりと言った。

    「ルナは、ちゃんと迷ってるから大丈夫」
    「何それ」
    「迷ってない人、成長しないし」
    「絢音って、時々すごく上から言うよね」
    「時々じゃない」

    ルナは笑った。

    こうしているうちに、少しずつ“書けない”の質が変わっていく。

    前は、真っ白だった。
    今は違う。

    まだ出ない。
    でも、出ない理由の輪郭が見え始めている。

    それだけで、少し違った。

    ホテルへ戻る道、ルナは一人で歩きながら、
    頭の中でコードを反復していた。

    感覚を信じることと、
    理論を学ぶことは、
    敵同士じゃないのかもしれない。

    今までは、直感で扉を開けていた。
    今はその扉の構造を知ろうとしている。

    それは、少し悔しい。
    でも、同時に少しだけ新しい。

    人は、できることが増える時、
    嬉しいだけじゃなく少し寂しくもなるのだと、
    ルナは初めて知った。

    部屋に戻る前、スマホのメモを開く。

    何も考えず、短く一行だけ打つ。

    暗闇の中でも、まだ光っているものがある。

    それだけだった。

    でも、その一行は、ここしばらくで一番ちゃんとルナの言葉だった。


    次の話へ

    総目次|SlowRush

     
     
    📘 Novel × 🎵 Music × 🎥 MV すべてAIで創り続けるプロジェクト。 小説「Parallel Lights」を元にした楽曲 『Before the World…』を公開中。 小説・作詞・作曲・アレンジ・MVをSuno / Sora2 / Canva など

    あなたへのおすすめ