
第19章|Shining in the Dark
曲は、いきなり完成したりしない。
だいたいは、どうでもいいみたいな一行から始まる。
あとから振り返ると、それが一番どうでもよくなかっただけで。
その一行は、二日くらい、何も増えなかった。
暗闇の中でも、まだ光っているものがある。
それを見返すたびに、ルナは少しだけ腹が立った。
何それ、と思う。
自分で書いたくせに、ふわっとしている。
詩みたいで、逃げている感じもする。
でも消せなかった。
消せない言葉は、たいていまだ使い道がある。
次のライブは神戸だった。
会場は、港の近くにある KOBE MERIDIAN。
そこまで大きくない。
フロアも低くて、最前との距離が近い。
ライブハウスというより、ちょっと音の鳴る地下室に近い場所だった。
そういう箱では、ルナは時々助かる。
ステージと客席の境目が近いと、
音楽は少しだけ嘘をつきにくくなる。
リハが終わって、本番まで少し時間が空く。
ルナは楽屋の隅でマーチンを抱えていた。
エレキじゃない方が今は良かった。
生音の方が、自分の言葉と距離を測りやすい。
「まだ書いてる?」
ユイナが言う。
「うん」
「出る?」
「……ちょっとだけ」
ユイナはそれ以上聞かない。
聞かないのに、近くの椅子に座る。
そういう距離感が、ありがたい時がある。
「ねえ」
ユイナが言う。
「この前、広島で声かけられてたでしょ」
ルナは顔を上げる。
「見てたの?」
「ちょっとだけ」
「盗み見じゃん」
「気になるでしょ、普通」
普通、という言い方で大抵のことは押し通せる。
ユイナはその辺がうまい。
「なんて言われたの」
ユイナが聞く。
ルナは少しだけ考える。
「フリーダムに救われたって」
「へえ」
ユイナはすぐに感想を重ねなかった。
その“へえ”だけで、たぶん十分受け取っている。
「なんかさ」
ルナはマーチンの弦を軽く弾く。
「ずっと、新しいの書かなきゃって思ってたんだよね」
「うん」
「五人になったし、もっと強いの、もっと今のSlowRushって感じの、もっと前に出るのを、って」
「うん」
「でも、その子が言ったの、昔の曲だった」
ユイナはそこで小さく頷いた。
「やっぱあれが原点だし私の音楽の本質なんだよ、たぶん」
「……かも」
「そういうの、AI作れないよね」
ユイナは何気なく言う。
ルナはそこで指を止めた。
今の時代、街にも家にも、音楽はあふれている。
その大半はAIが作っている。
プレイリストも、BGMも、広告も、だいたいそうだ。
完璧で、早くて、感情の“型”をよく知っている。
でも、広島で声をかけてきたあの子が救われたのは、
たぶんそういう曲じゃない。
うまくない頃の、
荒い頃の、
自分たちと一緒に年を取った曲だ。
「ねえ、ルナ」
ユイナが言う。
「その曲さ、誰に向けて書くの」
誰に向けて。
それは、今のルナにとって、思っていたより大きい問いだった。
自分に向けてなのか。
バンドに向けてなのか。
今の迷っている自分を殴るための曲なのか。
少し考えて、ルナは言った。
「……暗い中でも、まだこっち見てくれてる人」
ユイナは、そこでやっと笑った。
「いいじゃん」
「まだ一行しかないけど」
「一行あるなら十分」
その夜のライブは、少しだけ荒かった。
悪い意味じゃない。
でも、きれいに整いすぎていなかった。
照明が少なくて、
客席が近くて、
五人の音が少しだけ剥き出しになっていた。
ルナはその感じが嫌いじゃなかった。
Ghostedを歌う。
観客の顔が見える。
前で腕を組んでいる人。
目を閉じている人。
少し泣きそうな顔の人。
スマホをしまって、ちゃんとステージを見ている人。
その一人一人が、音の向こうにいる。
それを感じた瞬間、
ルナはふと、広島のあの子の言葉を思い出した。
まだ終わってないって言われてるみたいだった。
そのフレーズが、胸の奥で小さく反響する。
最後の曲が終わる。
拍手が起きる。
大きくはない。
でも、今日もちゃんと長かった。
終演後、楽屋に戻ると、絢音が先にいた。
ハイチェアに座って、タブレットを見ている。
「どうだった?」
ルナが聞く。
「今日は良かった」
絢音が言う。
「少し崩れてたのが逆に良かった」
「いい意味で?」
「うん」
絢音は画面から目を離さないまま言う。
「で、出た?」
ルナは少しだけ驚く。
「何が」
「曲。顔見れば分かる」
この人は本当に嫌だな、とルナは思う。
でも嫌いではない。
「少しだけ」
「聞かせて」
「今?」
「今」
逃げ道がない。
ルナはマーチンを手に取った。
まだ断片だ。
Aメロにもなっていない。
サビの欠片みたいなものが一つあるだけ。
でも、今までと違うのは、
その欠片が自分の外ではなく、ちゃんと“誰か”に向いていることだった。
ぽつぽつと弾く。
暗いコード。
でも絶望ではない。
沈んでいるのに、どこか上を見ている。
歌う。
短い。
本当に短い。
でも、歌い終わったあと、絢音は少しだけ黙った。
「……それ」
絢音が言う。
「ルナっぽい」
「雑」
「違う、ちゃんといいと思ってる」
絢音はやっとルナを見る。
「今の、理論で作ってないでしょ」
「してない」
「うん。だからいい」
その言い方に、ルナは少しだけ笑う。
「じゃあ理論いらないじゃん」
「いるよ」
絢音が即答する。
「でも、理論は核の代わりにはならない。整えるためには使えるけど」
それは、絢音自身の話でもある気がした。
AIのオーケストラを操れる。
シンセも弾ける。
ギターだって異常に上手い。
理論も知っている。
でもたぶん絢音は、ルナの真っ直ぐな弾き語りに、
自分がまだ辿り着けない“音楽の本質”みたいなものを見ている。
ルナはそこまで言語化できていない。
でも、なんとなく分かる。
「タイトル、決まった?」
絢音が聞く。
「まだ」
ルナは少し考えてから言う。
「でも、たぶん……Shining in the Dark」
絢音が一度だけ頷く。
「いい」
それだけだった。
でも、その“いい”は、今までのどの評価より少しだけ深く残った。
部屋に戻ったあと、ルナはノートを開く。
今度は一行で止まらなかった。
暗闇の中でも、まだ光っているものがある。
それはきっと、
自分じゃなくてもいい。
でも、
誰かがそこにいてくれるから、
こっちはまだ歌える。
言葉が、少しずつ繋がり始める。
外では車の音が遠くに流れている。
ホテルの廊下を誰かが歩く。
世界は普通に夜をやっている。
その中で、ルナの中だけが少しずつ明るくなる。
スランプが終わったわけじゃない。
迷いが消えたわけでもない。
でも、やっと一つ、
自分の外へ向いた歌が生まれ始めていた。
その時ふと、まだ見せてもいないはずのこの曲の輪郭を、誰かがもう知っているみたいな感覚が一瞬だけよぎった。