
第6章 | 幻影の夜
消えた理由が見えた瞬間、物語は動き出す。
偶然だと思っていた出来事は、すでに選ばれていた。
だが、まだ誰もその裏側を知らない。
佐久間が両脇を押さえられ、夜の喧騒の中へ連れ出されていく。
制服警官の怒声と無線が、喫茶店の静けさを切り裂いた。
倒れた椅子が遅れて軋む。――さっきまで、ここには「二人」しかいなかったはずなのに。
予定外だった。
シンは奥歯を噛み締める。
まさか佐久間が銃を抜くとは。追い詰められた人間は、想像よりずっと脚本家だ。
カーテンの陰から、ルナが姿を現した。
「無事か?」
「うん……でも、撃つなんて聞いてない。想定が甘かった」
声は震えているのに、目は冷めている。
怖がりながら冷静、という矛盾を自然にやってのけるのがルナだ。
「俺も聞いてない。……通報してないんだな?」
「してない。警察が来たのは偶然。……結果オーライ、って言っていい?」
「……言っていい。今は」
短い苦笑。
だが、シンの胸の奥の疑問は消えなかった。
さすがに偶然で片づけるには、タイミングが良すぎる。
⸻
作戦が立案されたのは、昨夜だった。
リハーサルを終えたライブハウスの出口で、シンは待っていた。
ルナはその距離感だけで“偶然じゃない”と分かった。
「……ねえ、シン。紗耶さんを匿ってるんでしょ」
直球すぎて、シンは一瞬言葉を失った。
「……なんで、そう思う」
「勘。でも当たってるでしょ」
視線を逸らした時点で、否定じゃなかった。
「それと。あの幽霊。ミラージュ飲まされたんだと思う。……違う?」
シンは答えず、短く息を吐いた。
降参の合図みたいだった。
「来い」
夜の街を抜け、古いマンションの一室へ。
鍵を回し、ドアが開く。
そこにいたのは――紗耶だった。
雨の中で見た“幽霊”とは、想像していた紗耶とは違った。
呼吸の温度、瞬きの速さ、床に立つ足。生きている人の細部が揃っている。
「やっと会えたね、ルナちゃん」
紗耶は笑った。怯えはない。決意が先に立っていた。
ルナは声が出なかった。
昨夜の光景が、音もなくほどけていく。
幽霊じゃない。消えたんじゃない。――生きていた。
シンが口を開く。
「ルナ。これ以上、誤解のまま巻き込みたくない」
「誤解って、何」
「まず、“ミラージュ”だ」
違法薬物。幻覚。現実と夢の境目が崩れる。
本人は“本当に見た”と思い込む。
ルナの背筋が冷える。昨夜の雨の中の輪郭が、別の意味で蘇る。
「……それを流してるのが、関係してる連中?」
ルナが訊くと、シンは頷いた。
「そうだ。半グレと闇バイトだ。しかも、警察の上が黙認してる。署長と……佐久間がな」
点と点がぶつかった。
喫茶店での佐久間の落ち着きすぎた目。
言葉の端に残った違和感。
「じゃあ、あの幽霊を見たとき。私にミラージュを飲ませたの?」
沈黙。
ルナは逃がさない。
「幻覚って分かってたの、あなただけだった。……飲ませた本人しか分からないはずでしょ」
シンは首を振った。
「違う。お前にミラージュは一滴も飲ませてない」
「……じゃあ、なんで」
シンは言い切った。
「あれは俺の“能力”だ」
「能力……?」
シンは目を閉じ、軽く指を鳴らした。
テーブルの上に白い百合が現れる。
ルナが触れた瞬間、花は霧散した。
現実の形をして、現実じゃない。
「俺は“幻”を、現実みたいに見せられる。」
ルナは百合が消えた場所を見つめた。
昨夜の幽霊の輪郭が、別の意味で蘇る。
紗耶が静かに続ける。
「私の力は、触れたものの記憶を読むこと。サイコメトリーって呼ばれてる」
「……記憶を読む?」
「店に来た闇バイトが置いていったカップから、ミラージュのことを知った。だから警察へ行った。でも……事情聴取で佐久間と署長に触れた瞬間、分かってしまったの。二人が組織に加担してるって」
紗耶の声は震えていない。
震え切った先の、固さだった。
ルナは自分の掌を握りしめた。
分からないことだらけなのに、やるべきことだけが妙に鮮明になる。
「……話してくれてありがとう」
喉が乾いていた。それでも言葉にする。
「正直まだ受け入れきれてない。でも状況は分かった。たぶん……私にも、やれることがある」
シンが短く頷く。
「ルナ、お前が鍵だ。だから呼んだ」
ルナは息を吸って、言った。
「――解決策、浮かんだ」